宇梶剛士『不良品』ソフトバンクを読みました。
話題になったときは、芸能人の武勇伝かなと思い読んでいませんでしたが、読んでみるとそうではないことが分かりました。
宇梶さんが渡辺えり子さんと子弟関係にある様子なのも、どういういきさつでそうなったのだろうと思っていました。
宇梶さんは、東京や広島で、普通で仲のいい家族として過ごしていました。
小学校のとき、父親が単身赴任になり、母親が活動を始めたことで一家がばらばらになり始めます。
小学生高学年のときの、「自分はここにいる、僕を見てくれ」という言葉と、
中学生のときの、「家族の思いも理解できないのに、なぜ人を助けることができるのか!」という言葉は、子供を持つ親として重く受け止めるものでした。
プロ野球選手になりたいという夢が実現できなくなり、暴走族になり、2000人を率いる総長になりますが、ある事件から少年院に入ります。
少年院のしくみも、読んで初めて知りました。
与えられる作業にも出世コースがあり、農業課から始まって、営繕課、畜産課、炊事課、そして院外補導生とランクアップすること
自分自身と向き合う時間が設けられていたり、日記を書く時間もあり、これは役に立ったと宇梶さんは書いています。
少年院には新しい情報が入らないので、新入者には流行っている歌を教えさせるようにしていたが、それがあやふやで、なぞの『雨の慕情』を歌うはめになったというところは、おもしろいなと思いました。
差し入れに『チャップリン自伝』があり、それを読んだことでエンターテイメントの世界を目指そうという気持ちになります。
母親の紹介で錦野旦さんの付き人になり、菅原文太さんに事務所に入れてもらいます。
菅原さんは、勉強熱心な人で、仕事のないときは自宅で1日5冊の本を読み、映画やドラマのビデオを大量に見ていたという、意外な面も紹介されています。
錦野さんのマネージャーの紹介で、美輪明宏さんに会い、「あなた、暗い道を歩いてきたのね」と言われ、過去のことは知らないはずなのに言い当てられたと書いてあります。
美輪さんの舞台に出演しているうち、美輪さんの紹介で渡辺えり子さんの劇団に入り、渡辺さんの指導を受けるようになったということでした。
宇梶さんの、仕事がない時期に、映画館や美術館に通い、本を読み、舞台にも顔を出して交流の輪を広げ、何かを生み出す方へ向けたという姿勢と、
いつでもどこでも、出会った人からなにかを得るんだと言い聞かせて、この20年間を過ごしてきたという姿勢は、特に印象に残りました。
-------------------------------
※朝日新聞、火曜日の夕刊に、宇梶剛士さんと渡辺えり子さんの往復書簡が連載されています(関東版)。