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【わんちゃんの独り言 part2】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています

防災研修会~神戸市「人と防災未来センター」~

2009-12-05 | デジカメ紀行
私が住む自治会には自主防災会という活動があります。
行事の一環として研修会が年一(前回の参加2008.2.27)楽しい遠足も兼ねて実施されます。

 まず、出発前に6ページにわたるレジメをいただきました。
バスの中でちょこっと予習。

神戸市「人と防災未来センター」


We don’t forget~1.17忘れない~
1995.1.17

ある日突然発生し、甚大な被害をもたらす自然災害。
世界は今、減災社会の実現のために何をしないといけないかが問われています。
その一つの答えがこの「人と防災未来センター」です。
阪神・淡路大震災の経験を語り継ぎ、その教訓を未来に生かすことを通じて、災害文化の形成、地域防災力の向上、防災政策の開発支援を図り、安全・安心な市民協働・減災社会の実現に貢献することをミッションとしており、「減災社会の実現」と「いのちの大切さ」「共に生きることの素晴らしさ」を世界へ、そして未来へと発信していきます。
さらには、世界的な防災研究の拠点として、災害全般に関する有効な対策の発信地となることをめざします。
(パンフレットより抜粋)人と防災未来センター長さん


センターの中で印象に残った言葉→【減災】

資料展示室では写真撮影禁止のため
阪神・淡路大震災記念:人と防災未来センター参照

昼食は中華コース料理(美味しかったです)


その後は南京町でショッピングと自由散策




その後は神戸ワイン城(神戸市農業公園)


2009 11 29神戸ワイン城

ここでは、梅、ブルーベリー他、4種類のワインの試飲体験
もちろん4種類ともいただきました。
梅の白ワインが甘く口当たりも良く美味しかったです。

町所有のバスを借り切って、ご近所さんたちと自治会遠足たのしかったぁ~~



五山の送り火

2009-08-22 | デジカメ紀行
嵐山灯篭流しの場所から如意ケ嶽の大文字が遠くに小さく見えるのです。
大文字の点火は午後8時、妙法、舟形、左大文字と続いて最後に鳥居形に点火されるのは8時20分

鳥居形の送り火
嵐山灯篭流しの渡月橋の反対側から鳥居形の送り火の様子がよく見えます



「きれいやわぁ、これは生で見るんにかぎるよねぇ・・・」
「あの木の枝がちょいじゃまやなぁ、惜しいなぁ、来年までに切ってもらわんと、もっと伸びよるで、鳥居の足が片っぽ枝で消えてしまうがな」

川風が幾分か暑さをやわらげてくれました。
嵐山灯篭流しも鳥居形の送り火も、
見に来てよかった・・・と思いつつ、JR嵯峨嵐山駅に急ぎました



【おまけ】


≪大文字・・・・・東山如意ケ嶽(大文字山)≫
午後8時点火
先祖の霊や生存する人の無病息災等が記された護摩木(割木)が送り火の点火資材として当日山上へ運ばれる。
当夜7時から山上の弘法大師堂でお灯明がともされ、般若心経があげられる。その後、このお灯明を親火に移し、合図により一斉に送り火が点火される。
火床は全部で75、薪数600束、松葉100束、麦ワラ100束。
よく見えるところ:賀茂川(鴨川)堤防

≪妙法・・・・・妙:松ヶ崎西山(万灯籠山)
        法:松ケ崎東山(黒天山)≫
午後8時10分点火
点火の際、「妙」の山で読経が行われる。
また送り火終了後の午後9時頃から約1時間涌泉寺で「題目踊り」「さし踊り」が行われる。
なお今日では、火床は鉄製のものを使用している。
妙の火床103、法の火床63、薪数400束、松葉170束。
よく見えるところ:「妙」北山通(ノートルダム女学院附近)
           「法」高野川堤防(高野橋北)


≪船形・・・・・西賀茂船山≫
午後8時15分点火
当日朝早くから割木が山上へ運ばれ点火の準備が行われる。
山麓の西方寺で鳴らす鐘を合図に、山上の送り火が点火される。
送り火終了後、西方寺で、六斎念仏が行われる。
火床は79、薪数400束、松葉130束。
よく見えるところ:北山通(北山大橋から北西)


≪左大文字・・・・・金閣寺大北山≫
午後8時15分点火
当日午後7時頃法音寺(衣笠街道町)の親火台で護摩木が焚かれ、点火法要が行われる。
その火で新火松明(1基)、手松明(約40本)の順に点火される。
同時刻に街道筋の25ヵ所の門火が一斉にともされ、火は山上へ運ばれ、山上の送り火が点火される。
火床53、薪数350束。
よく見えるところ:西大路通(西院~金閣寺)

≪鳥居形・・・・・嵯峨鳥居本曼荼羅山≫
午後8時20分点火
当日午前8時頃山麓から松明が山上へ運ばれ、午後4時頃から点火準備にとりかかる。
当山の松明は、松の根の部分(じん)を束にしたものを縦に組んで鉄製 火床の上に立てる。
火床は108、薪数108束。
よく見えるところ:松尾橋・渡月橋・広沢の池など


東山如意ケ嶽(大文字山)に私は姪っ子のE子ちゃんと2002.5.5に登山してます
思ったよりハードだったと、日記には書いてありました。
たしか、左大文字が遠くのほうに見えた記憶があります。


嵐山灯篭流し (あらしやまとうろうながし) 2009.8.16

2009-08-19 | デジカメ紀行
京都市 嵐山 渡月橋南側・中ノ島公園にて
毎年、盆の翌日に精霊(しょうりょう)送りの行事として灯篭流しが行われます。
嵐山渡月橋東詰から約7000~8000もの灯籠が流されます。

嵐山灯篭流しは、当初戦没者の霊を慰めるため、お寺も在家も一つとなって灯籠による供養を始めたことに由来します。
お盆には、私達のご先祖であるお精霊さま(おしょらいさま)をお迎えして供養のまことをつくし、お盆が終わったら極楽浄土へお送り致します。
京都では、お送りの行事として五山の送り火がありますが、この灯篭流しもお送りの行事の一つです。
つまりお精霊さまにこの灯籠に乗っていただき浄土へお送りするのです。


お盆のお墓参りのときにお寺に寄りまして、灯籠を一基、お願いしました。
いったんウチに持ち帰り、当日(16日)持参しようかな、と思いましたが、何かの都合で行けなくなったら・・・と思い、お寺に預けました。

16日は朝からカンカン照り、灯篭流しは夜ですが、そこに行くまでが暑い!!
ウチの中から外を見ると、一歩も出る気がしません。
「う~~ん どうしようかなぁ・・・行こかなぁ、やめとこかなぁ」

嵐山の渡月橋に着くともう大変な人だかりです。
渡月橋が人であふれてます。車は通行禁止。
渡月橋を渡って中の島に・・・・
夜店の屋台が続いていて良いにおい、
浴衣姿のお嬢ちゃんがリンゴ飴でお口の周りが真っ赤っか

川べりには人が溢れてて、さてどこから見ようかな・・・・


「30年間の願いがやっとかないました、息子です、3歳のときに亡くなったんです、ここへはずっと来たいと思ってました、やっと来れました。東京からです」


「うわぁ、きれいやなぁ・・・一番明るいノンがお父ちゃんのやでぇ、うちらにようわかるように、明るうして流れてきてや、て、お願いしといてん」


「今夜は風がきつそうやね、せからしゅう流されて行ってはるわぁ」


「こっからは、名前がよう見えへんなぁ、もう流されていかはったんやろか?」

桟橋から川にそろり~と下ろして、流れて拾い上げる桟橋まで約100㍍くらいでしょうか、ユラリユラリと波に乗って流れていきます。


16日は五山の送り火の日でもあります。

つづく

【おまけ】

ご住職様

昨晩、嵐山灯篭流しに行ってまいりました
日曜日のせいか、渡月橋にも今までより人が多かったように思いました

ご住職様のお姿が見えませんでしたが、
体調でもお悪くされたのでしょうか?

この暑さ お見舞い申し上げます。

Re:ご住職
お暑いところ、嵐山灯篭流しにおいで頂き有り難う御座います。

私はこの日、川施餓鬼法要に出演?していました。
皆さんが焼香しておられる、あの祭壇のところで法要があったのです。
この法要は午後7:30から20分程度の比較的短い法要ですから、お気づきにならなかったかもしれません。

この法要の担当は、3グループあり、いずれも地元の大きな寺です。
 今年は浄土宗釈迦堂グループが担当しました。だから私も出演したのです。
 来年は臨済宗天竜寺グループの担当です。
 その次の年は真言宗大覚寺グループです。
つまり3年に1回法要の当番が回ってくるのです。

そして法要をしない年は経木書きをしています。
         2009.8.18


梅だより PARTⅡ~大阪城梅林~

2009-02-18 | デジカメ紀行

「このまま、春になってしまうんでしょうか?」
「それやったらええんですけどね、そう言うわけにはいかんでしょうねぇ・・・」
とかなんとかの会話を楽しみながら、ぽかぽか陽気の午後のこと。

大阪城梅林に梅の花を撮りに行ってきました。

「もうええわ~」と、いうくらい撮りました。
どうぞ、飽きるまで見ておくれやす・・・・






















⑥楊貴妃


























































【おまけ】


まぁ 飽きやんと最後までおつきあいしてもろて~
ほんまにおおきに~~

これに、凝りやんと、また来ておくれやす・・・・

梅だより PARTⅠ

2009-02-15 | デジカメ紀行
♪うめ~は 咲いぃたぁか??♪


 嵯峨釈迦堂清凉寺の紅梅2009.1.25


 嵯峨釈迦堂清凉寺の白梅2009.1.25

舅が亡くなって早や1年が経ちました。
主人が亡くなって今年は7回忌です。
二人の年忌法要を1月のとある日曜日に執り行いました。

ウチのお寺は嵯峨釈迦堂清凉寺のとなり(薬師寺)です。
法要はいつもお寺の本堂でお世話になります。
法要が終わるとお墓まで行きます。
お墓は車で5分ほどのところにあります。
大河内山荘や野々宮神社のそばで、そばをトロッコ列車が走ってます。

お墓の前で住職さんに年忌法要のお経も唱えていただきましたが、
その日は寒の最中だったのに、意外と暖かくみんな、ほっとしました。

【おまけ】
なんとなく嵯峨釈迦堂清凉寺をぐるり











神戸ルミナリエ2008~『光のインフィニート』~

2008-12-15 | デジカメ紀行
「明日、ルミナリエに行こうかなと思てるねんけど・・・一緒に行かへん?」と、友達にメール
「あきまへん、困ったお人どすなぁ!今夜はやめといときよしや!あんたはんの事どっしゃろ?ええかげんに、おしよす」と、京都弁で戒めのメールが返ってきました。
(何で、京都弁なんやろ急に?)
「しょっちゅう人込に行くのんや無いんです。ダマし騙ししながら、慣れたらええかな?と思うて・・・普段はウチの近所で体力づくり、さて!と、言うことでルミナリエのお出かけはその体力づくりのお試しなんですぅ」と・・・・
なんだかんだと、薀蓄(勝手なこと)を述べて、要はルミナリエにどうしても行きたい私。
「行ったら、ええやん」と息子たち。
「一人で行くのも気楽でええよ、自分のペースで行動自由やんか」とも・・・・

JR元町を降りたらすぐアンデスのBGMが・・・・


元町通りの南京町に寄ってみましょう・・



夕食代わりに何を食べようかな?居並ぶ中華料理のお店が店頭で屋台を出してます。
どこも超人気で行列の出来るお店ばっかり。
中華チマキ、豚まん、中華バーガー、桃まんじゅう、ごま団子、春巻き、中華ポテト、鶏のから揚げ、ラーメン各種等等、一個からでもOK,
列の最後に並びました、すぐ後ろに人が並び始めます。
3種類ほど一個づつ注文、お箸をつけてくれはります、お店の横手には小さな丸椅子が置いてあるところもあります。
ほとんどは、立ったままいただきます。

大阪から来たというご婦人二人連れとお友達になりました。
「お宅、どこから来はったん?」「京都です」「うちらは大阪ですねん」
「ルミナリエは初めて?」「えぇ、初めてですねん」
「私は毎年来てるんですよ、神戸に住んでる叔父や叔母、それに友達なんかが少なからず震災で影響受けてますねん、そやから・・・」「そうですのんか?」


「きれいやわぁ~~ホンマにぃ~~」と何回も何回も言うてはりました。
ツアーで来てはるようで、三宮でお別れしました。
「私ら、来年はツアーじゃ無いのんで来ますわ、もし偶然に逢えたらええね、その時はよろしゅうに」とおっしゃってました。
大阪のご婦人は気さくな方が多いようで・・・・

このルミナリエを開催するには、莫大な費用がかかるそうです。(約5億5千万円)
世界金融不安で企業協賛金が減るかもしれない、「個人募金が頼みの綱」なんですって。
会場のあっちこっち(31の募金箱)にある箱に少しですが協力しました。

神戸市役所の24階の展望台から→全長140㍍の楕円形の光の壁掛け
「スパッリエーラ」



神戸ハーバーランド、モザイク街(JR神戸付近)の大観覧車が遠くに見えてました
オリエンタルホテルも見えてました。


花時計

葉牡丹です、植え替えの様子を先日、夕方のニュースで見ましてね、どんなんかな?と、立ち寄ってみました。

JR三宮駅前の歩道橋から・・・・


【おまけ】
阪神大震災で多くの命が奪われ、人々は言葉に表せない闇に包まれました。
ルミナリエは過去、現在、そして未来にかざす光として95年にともされました。
14回目の今年のテーマは「光のインフィニート(無限)」阪神大震災への犠牲者への鎮魂と、復興の歩みに永遠の輝きをもたらす・・・・・

インフィニートはイタリア語で
「震災を経験した神戸の過去未来に無限の光を注ぎ込み、輝かせる」
との思いが込められている。

メーン会場の入り口で来場者を迎えるのは巨大な光の扉
「フロントーネ」

高さ23㍍、幅21㍍、今年のコンセプトは
「新しい発見を与えてくれる冬の神戸の始まり」という。

フロントーネをくぐると、東遊園地につながる回廊
「ガレリア」

頭上にはゆったりと流れる雲をモチーフにしたひさしのあるアーチが24基。

長さ約279㍍の回廊は、震災があった過去から未来へと進む時間がイメージされている。

東遊園地に入ると、、全長140㍍の楕円形の光の壁掛け
「スパッリエーラ」

最も高いところでは21㍍ある。



今年のルミナリエは約20万個の電球が使われ、電力の一部は風力、バイオマスなどの自然エネルギーでまかなっているという。(朝日新聞より)


一休寺~紅葉の頃~

2008-12-07 | デジカメ紀行



「お母さん、一休寺の紅葉が見頃やゆうてここに載ってるでぇ・・・」
朝日新聞の朝刊、京都版にカラーでしっかり載ってます。
今度の土日は混むやろなぁ、行くなら月曜か火曜日やな・・・
と、すっかり紅葉狩りに行く気になってる私。
「一休寺の紅葉を撮りに行こうかと思てるねんけどぉ・・・」
「今年いっぱいでも大人しくしてないと、チャンチャカ、チャンチャカ出かけたらアカンのと違う?一休寺のもみじは逃げへんのやさかい」とOさんが言う

“一休寺でのミニ撮影会”ご案内
が、偶然にも私のPCのメールに入ってきました。
0月0日13:00 一休寺門前集合

府道木津八幡線の棚倉孫(たなくらひこ)神社をすぎた信号を左折したあたりから、ずっと同じ方向へ後ろから・・・
ひょっとして一休寺に行かはるのかな?
駐車場で「あらぁ~~Sさぁん」と久しぶりの出会いにキャァキャァワァワァ
私が持ってるカメラの先輩です。
これは都合がよかったです「えっと~~どこをいじるんだったかな?」と何回も教えを請う、親切丁寧に教えてくれはります。
他にも同じ仲間の女性グループが5~6人

ミニ撮影会を提案のM先生とも「お久しぶりで~す」「どうや?元気そうやない?良かった、良かった」

お寺の入り口の手水鉢でしばしねばってました。


ちょろちょろと落ちる水の輪に周りの紅葉が映りこんでなんともいえない風情・・・・
私なんかパチパチ撮るだけ、皆さんは目の付け所がちゃいますねぇ・・・
「帰りしなにもう一回、お日さんの光の角度が、う~んと変わってくる、こっちあたりから日が射すとまた違った雰囲気になるよ、あの真っ赤なもみじがきれいな紅で映りこむところがね」と・・・・

♪好き好き好き好き好き~好き 一休さん♪コンコンコンコン一休み、一休み・・・・
子供たちが子供のころ毎週欠かさず観ていた一休さんのアニメ
一休さんが晩年を過ごしたという一休寺には、イメージがちょっと違うおじいさんの一休像がありました。

枯山水の庭は方丈の縁に座って瞑想にふけると良いとか・・・・



お堂をぐるり~と回ると
「あれ?藪椿に似てるけど、普通ヤブツバキって紅とちゃうかなぁ?」お尋ねしましょう



「あぁ~あの白い椿ね、一休って名前がついてるんですよ」
「そうですかぁ~~」

いろんなシーンをウロウロ撮っていたら、他の皆さん「お先に・・・」と。
もういっぺん手水鉢のところでねばって「ほな、帰りましょうか」


3時を過ぎると、もう肌寒ささえ感じる、
「茶店で温もりましょう」と3人でお茶しました。
写真のこといろいろお話聞いて、とても勉強になりました。
忘年会のことが話題になってました。
そう言えば忘れてたけど、もう12月に、とっくに入ってますんやわ・・・・

【おまけ】

























若葉寒む

2008-05-12 | デジカメ紀行
 一昨日の土曜日の吉野は朝から雨の若葉寒む。

「大和の国、明日香のほど近く、西行や芭蕉が愛した吉野に窯を築き十年。
この度、多くの方々のご縁を頂き、茶室びらきを兼ねた、やきもの展が開けますことを深く感謝いたしております。
新緑に心をやすめ、器の語らいに耳をかたむけながら、くつろぎの一服を草庵でお楽しみください」


こんな便りが我が家のポストに・・・・


高校時代のクラスメートです。

ウチのクラスは世話好きが居ないせいもあってか、卒業して30ン年間音沙汰なしでした。
学年同窓会が卒後30ン年目にあったのはもう10年ぐらい前のことだったかな?
同じテーブルのクラスメートはお互いに「これから時々会おうよ」と言って、会ったのが3年前の春、 Saくんの工房を5人で訪ねました。
吉野の山々は桜が満開、津風呂湖は岸に桜できれいな景色。


そのそばに登り窯があって、蘆庵窯があるのです。
ウチにはいると広い土間になっていて、奥は板の間で、真ん中に囲炉裏があります。
それを囲んで座り、特に Saくんのウンチクが面白く話が弾みましたね、男子はほとんど聞いてなかったみたいだけど・・・・・
「ゆくゆくはここに茶室を建てて、道具は僕が焼く、そもそもココの家は僕らが青春時代の昭和30年代の雰囲気をだして、土日にはココに来てあの時代にタイムスリップするための空間なんや・・・」と言うていたっけ・・・・、

「ここ、ええとこやなぁ、こんなええとこなんやし、又時々来ようよ」と言うて3年目、
一昨日の土曜日に雨の吉野へ行ってきました。

前日まで初夏の陽気、うってかわって肌寒い雨の一日でした。
にもかかわらず、たくさんの人が来てはりました。
一緒に行ったSiくんも私もビックリ。
最初「僕らだけとちゃうか?」と言ってたSiくんも道端にずらりと並んだ車を見てビックリ、結構遠くから来てはるんです。

 Saくんは皆さんから「先生、せんせい、」と呼ばれてるんです。
陶芸教室やっててたくさんの生徒さんがいはるみたい。
野点のしつらえに緋毛氈を敷いた床机がありました。
「夕べ、ホームセンターに急いでこのシートを買いに行ってなぁ・・・」
太い青竹を柱にビニールシートで屋根がこしらえてありました。

 Saくんの奥さんがお茶をたて、長男さんのお嫁さんがお饅頭とおうすを私たちのところに・・・・

登り窯のためのたくさんの薪が積んであるのを壁にして、作品が並べてありました。




小さなカードが花活けや徳利なんかの底に敷いてあります。
「これは?作品作った生徒さんのん?」違いましたね、すべて Saくんの作品だから、カードは気に入った人が予約したものでした。
作品に結構、敷いてあるんです。
またまた、Siくんと二人で「へぇ~~~~」


茶室に行ってみました。そこに行くには裏庭から、大小の石を組み合わせて石段があります。 Saくんの手作りだとか・・・

にじり口をくぐりぬけて茶室に入ると、障子からの光が意外と明るく思えました。
自筆の掛け軸、床の間の茶花、水屋には茶道具が整然と並んでました。





「ひょっとして、昼からは着物に着替えてお茶のお点前するかも?」と言ってた Saくんも次から次から来はるお客さんのおもてなしに、ちょっと出来無さそう・・・

「今度はみんなを誘って来るわね、秋あたり紅葉がきれいやろうねぇ」
雨に濡れた紅葉の若葉やツツジの花も風情がありました・・・・


お土産をいただいたんです
「ありがとう」と書いた袋の中身は、 Saくん手作りのぐい飲みもあれば、お猪口もあったり、フリーグラスやお湯呑みとか・・・
一人一人、開けてみて「ほぉ~~~」

蘆庵窯への道、雨にけむる、吉野路のドライブも楽しかったです。
「寒い、寒い」と言ってたSiくん、お風邪はだいじょうぶでしたでしょうか?
ありがとさん、お疲れ様でした。

【おまけ】
 Saくんの思い入れとこだわりがここにも・・・・








防災研修会~名古屋市港区防災センター~

2008-02-27 | デジカメ紀行
二月のとある日曜日、自治会の遠足がありました防災視察研修会です。
大型バス(町バスのふれあい号)に乗りましてね・・・・

バスの中で先日(1月20日)の防災訓練のビデオが放映されました。
KCN京都からの取材撮影がありまして、後日テレビで放映されたビデオなんですよ。
なんと顔見知りのご近所の奥様、ご主人方が次々にインタビューされてるんです。バスの中はなごやかな雰囲気につつまれましたね。
そして、ウチの息子たちが消防団員としてインタビューに答えてるんですよ。これはダビング×ダビングですよ、ウチの宝物にしなくっちゃね。

主たる目的は名古屋市港区防災センター見学です。

名古屋市港区役所に隣接する公共施設です。
キャラクターはナマズらしい、名前は???聞くの忘れました。

この地域は昭和34年の伊勢湾台風で甚大な被害を蒙った箇所でもあり、また東海大地震への危惧ということからもリキ入ってますよ。
「地震体験」「伊勢湾台風を知る」「煙避難体験」等のコーナーを案内してもらいそれぞれを体験しました。


「地震体験」は先日の起震車での体験よりももっとリアリティなものでした。
地震が起きたら、
①まず、テーブルの下にもぐり、
②揺れが収まったらガスの元栓を締め、
③脱出(ドアノブをさわってドアを開ける真似。
④そして脱出の際にはブレーカーを切る。ここまでの動作を行う。
ブレーカーを切るというのはここで初めて知りました。
関東大震災、阪神淡路大震災など数パターンを入れ替わって体験できる。
機械の揺れだと分かっているのでなんとかなるが、実際に地面がこんなに揺れたら…と思うとやっぱり地震は怖い。

移動して「伊勢湾台風を知る」コーナーは入り口で3D眼鏡をひとりづつもらって部屋に入っていきます。

体験コーナーの民家内部。
昭和34年ごろの民家のお茶の間、家具も本物。
壁にかけてある日めくりカレンダーは伊勢湾台風がやって来た9月26日になっている。
立体CGと音響・照明などにより伊勢湾台風を実体験できるその部屋はすごい迫力がありました。
正面に大きなスクリーンがありまして、これが窓の想定、丁度家の中から台風の様子が体感できるようになってます。
高潮の時、貯木場が決壊して大きな丸太がド~ンと、みんなが座っている家の中に突っ込んでくる・・・・「あぁ~怖かった~~」

隣の「煙非難体験場」は大衆食堂風になっていて、みんなぞろぞろ入って行くんです。
真っ暗闇の中で、どちらかの手(ここでは右手)で壁を触りながら前進する。
途中いくつかのドア(開かないものもあり)を越えていくのだが、当然障害物はないのでケガをすることはない。
無害だけど少し臭い煙も充満していて雰囲気たっぷり。
ドアノブは建築基準法で高さが決まっているのでドアを探すなら無闇に手を上下させない方がいいらしい。実際には障害物もあるのでなかなかそうはいかないだろうけども・・・・(煙が充満している想定の真っ暗闇の店の中は写真はちょい無理)

そんなんやこんなんの体験をしたりホールのパネル展示を見てまわって約1時間ぐらい居ましたかね。
天災は忘れた頃にやってくる。肝に銘じておきました・・・・

雪のメタセコイア並木

2008-01-28 | デジカメ紀行

先週のことです。どこの局の天気予報も「明日は全国的に雪が降るもよう」
夜の雨が朝には雪に変わることを期待してましたが、雨は雪にかわりませんでした。

雪が降ると行ってみたい所があるのです。
「ひょっとしてそこには雪が降ってるかも知れないし、だめもとで今日あたり、行ってみようかな、でも降ってなかったら、つまらんし、あほくさいし、時間も交通費も、もったいないし・・・」とぶつぶつ独り言。
そばで聞いてた次男が「ター君のおばちゃんに聞いてみたらええのんとちゃうん?」
「ほんまやぁ ター君の家、その傍やもんね」
さっそく電話で「あのう、そちら雪、降ってますやろか?」
「いやぁ残念やねぇ、今年はまだいっぺんも降ってないのんよ」
それからひとしきりお久しぶりのご挨拶・・・
「ほんなら雪が降ったらメールをもらえますか?」

メールがきました。
「今津にも待望の雪が降りました!ただ電車で来られる時は、風などでダイヤがよく乱れるので注意が必要です。いい写真を撮ってください。浜の方には、コハクチョウも飛来してるようです。」
とメールをいただきました。「思い立ったが吉日、ほな明日、行こ!!」

京都駅から湖西線に乗り換えまして、いざ・・・・キラキラ光る琵琶湖の向こうには近江富士がチラッと見えまする。
なかなか雪景色には出合えません・・・しかし堅田(かたた)を過ぎる頃には雪景色がちらほらと・・・・いくつかトンネルを抜けるともうそのあたりは雪・雪・雪。

嬉しさのあまり、車中からパチリ・・・・


マキノの駅前は雪がいっぱい、循環バスを待つ間にもお子ちゃまたち、もう雪遊びに夢中

マキノ・ピックランドで循環バスから降りました。
もうもう、ずぼっと雪の中に膝まで・・・
別に道があるのですが、こんな時、誰も踏んでない雪の中に入ってみたくなるのは私だけ?


私は今、雪のメタセコイア並木に立っています。
後ろからも前からも車が走りぬける道路のど真ん中に・・・・

【おまけ】


メタセコイアの実→これは間違いです
本当は→モミジバフウの実




融雪装置


雪のメタセコイア並木に魅せられた人々



私のお気に入り

ご一緒したQちゃんが投稿してくれはりました。


【おまけ2】
マキノピックランドの手前から牧野の集落まで、500本のメタセコイヤが2.5kmにわたって続く並木。
戦後に植えられたものだが、日当たりがよく湿潤な場所では成長が早いという生きた化石植物であり、生育環境や並木を引き立てるロケーションといいマキノ高原にふさわしい。
歩道やベンチがあって散策にいい。ここだけが注目されるが、知内川に面した場所にも同時期に植えられた並木があって、足を延ばしてみるといい。また日本で産出する石炭はほとんどがこの木でできたものということもあまり知られていない。(パンフレットより)




春日若宮おん祭り

2007-12-21 | デジカメ紀行


一年のしめくくりとなる12月に、奈良の伝統行事 春日若宮おん祭(若宮祭)が行われます。撮影会に誘っていただき参加しました。
 
 春日若宮神社は、春日大社の摂社の一つで、水の神 天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)をお祀りしています。
おん祭は、平安時代1136年当時の関白であった藤原忠通が、うち続く洪水とそれによって引き起こされる飢饉や疫病の流行で苦しむ人々を救おうとして、若宮の神に五穀豊穣を祈る祭りを行ったのが始まりです。
以来、今年で871回を迎えるこの行事は日本最古の文化芸能の祭典であり、神前に奉納される神楽や舞楽などの神事芸能は国の重要無形民俗文化財にも指定されています。(関係者さんのお話)

今回は行列を撮らんと、待ち受けること2時間あまり・・・

祭りの最中に何の打ち合わせ??


郡山藩 大名行列保存会


稚児流鏑馬の子のお父さん!キモチは解かりますけどぉ~~


スタートラインに立つ競馬


慣れない馬上の人、緊張の一瞬


どこのお姫様?



お稚児さんのお母さんはさすがにお若いい!!








馬糞収集車

祭りのハイライトはなんといっても17日の行列ですね。
儀式は次の順番なんですが→ 県庁前(お渡り式)→登り大路→興福寺南大門前→一の鳥居→影向の松→お旅所(お旅所祭)→春日大社参道を上る(還幸の儀)→若宮神社
実際には登り大路を下ってJR奈良駅前から三条通を一の鳥居まで上ってきましたね。

行列と一緒に歩くわけにもいかず、要所要所で待ち受けるんです。
寒い冬の一日でしたがまだその日はマシなようだったらしく時には雪がちらつく年もあったとか・・・

関西でずっと住んでて、奈良市内で商売をしてたのに、なんとこの「若宮おん祭り」をじかに観覧したのは初めてのことでした。

詳しく解からないので、とにかく奈良在住の方に離れないようにくっついて、ご一緒させていただきました。その方には足手まといになったかも・・・・・

身体の芯まで冷えて、ただひたすら、打ち上げ会を楽しみに・・という出来の悪い生徒でした、この日の私・・





神戸ルミナリエ2007~『光の紀元』~

2007-12-18 | デジカメ紀行


私は2回目からずっと毎年ルミナリエには出かけてます。
叔父や叔母が震災にあい、川西、宝塚、明石に住む友人達も少なからず被害にあっているからひとごととは思えないのです。



神戸・元町の旧外国人居留地から三宮・東遊園地をメイン会場に、阪神淡路大震災の犠牲者への鎮魂の想いや街の復興・再生の願いを込めてアートディレクター、ヴァリレオ・フェスティ氏(イタリア)、作品プロディーサー・今岡寛和氏により1995年から始まった「光の彫刻」
luminarieはもともとイタリア語でイルミネーションの意味。
旧外国人居留地の延長約270mの「ガレリア」(光の回廊)や東遊園地の円周約135mの「スパッリエーラ」(広場を囲む光の壁掛け)は夕方から光がともされます。


「え~~っと、今年はルミナリエにまだ行ってないなぁ・・・いつまでやったかな?」
なんと、17日で終わるんです。
「急なんやけど、明日ルミナリエ行かへん?」「お誘いありがとう、もちろん行きたかったの」

順路は、元町駅から三ノ宮駅方面への一方通行となっていて逆行はできない
元町駅に着くと、左へ行くところを右へ行かされるんです。
「なんで?」みたいな・・・
「ルミナリエまであと、90分・・・」の大きな立て札が・・・
1時間ほど歩くと今度は「あと30分」
「こんなに、長いこと歩かされるんやったら、来年はもう来んとこぅ」と後ろの方で若いお嬢さんのボヤキ・・・
「そんなこと言わんと、ルミナリエの下へ行ったら、来年もきっと又、来よう、と思うから、絶対感動しはるんやから・・・」友人と私は思わず言うてしまいました。
実際、私はいつもいつも神戸大丸デパートの角を曲がってルミナリエが見えたときウルウルしちゃうんです。あぁ~ハズカシ!!

混雑と迂回ルートによる長さにより、お年寄りや身体障害者等の方々の鑑賞が困難となってきたので、1999年からは開催の約1週間前に実施される試験点灯日を「ハートフルデー」として割り当てられています。
年々混雑の度合いを増し、1998年からは会場周辺に多くの警備員が配置される形となった。
これにより、現在では会場内と周辺道路で歩行者を含めて通行制限が徹底されている。警備員増員に伴う人件費増大、そして企業からの協賛金の減少(最大の協賛企業である西日本旅客鉄道(JR西日本)が2005年に起こしたJR福知山線脱線事故が大きな打撃になった)による赤字の膨らみにより、繰越金が減少して2007年の開催が12月6日~12月17日の2日短縮された12日間の会期で行われることになった。
この厳格な警備体制は、2001年に発生した明石花火大会歩道橋事故の影響もあるとされる。(ルミナリエ通の人に聞くところによりますと・・・・)



こんなにきれいな「光の彫刻」また来年も見れますように。
と、100円募金を5ケ所に入れました・・・・


神戸市役所の展望台から~

【おまけ】
ねぇ、ちょっと、聞いて!!
このルミナリエが存亡の危機に・・・というじゃ あ~りませんか

現在では、クリスマス時期のイベントとして定着しており、全国各地からルミナリエを観覧目的とした観光バスが出るなど、約2週間の期間中に毎年約500万人が訪れる。
と、いうではないですか、確実に一人一人が100円募金すれば単純計算ででも500,000,000円になりますよね、中には1000円札もちらほら・・・・

ホンマに来年も観れますように・・・・

この日のブログをアップした途端、PCが2泊3日の入院に入ってしまいました。
遅ればせながらでスミマセン







【萩】~新薬師寺から白毫寺(びゃくごうじ).~

2007-10-05 | デジカメ紀行
白毫寺(びゃくごうじ)の萩が見たくて、“行こう”と思い立つ。
あの辺りは新薬師寺、志賀直哉旧居、奈良市写真美術館と散策するにはもってこいの場所です。

そうや、新薬師寺も「萩の寺」でした。


それにもうひとつ「瑠璃光」と名づけられたステンドグラスが本堂の東側の壁面にはめ込まれています。

紹介します。
友人のステンドグラス作家の飯村直美さん(奈良市在住)の制作なんですよ・・・

ステンドグラス「瑠璃光」
2002年秋、本堂内陣に「心のゆたかな世紀」への願いを込めて、本尊薬師如来の浄土、東方浄瑠璃世界の光を取り入れるためステンドグラス「瑠璃光」をはめ込みました。
 「瑠璃光は西欧の教会がそうであるように、太陽光線が微妙な光となって本堂を尚一層、崇高な雰囲気に包み込んでいます」→パンフレットより

いっぺん午前中にお堂に入ってステンドグラスを通して瑠璃光が床面に映るのを見てみたかった。
朝の光がステンドグラスを通してお堂の床面に・・・・
まさしく”瑠璃光”

ふと、気が付いた「これは冬の朝のほうがいいかも・・・お日様が低いからステンドグラスの微妙な光がお堂の奥のほうまで届くんやわ、お天気の良い冬の朝にもういっぺん来なアカンな・・・」

新薬師寺のお庭




.その日は車での移動でしたが、新薬師寺から白毫寺までは歩くには丁度良い距離なんですよ・・・
白毫寺の春は奈良三名椿「五色散り椿」でも知られています。
10年ほど前に萩の咲く頃に行ったのを思い出しました。
今にも崩れそうな土塀と石段に沿って萩がしだれ咲く様は「まぁ~なんと!!」

今回はちょっと花の盛りが過ぎてました。

しょうもなかったです。

(ウチの近くの駅の花便りでは見ごろが9/29でした。4~5日過ぎたばかりなのに・・・)
花って早過ぎても、遅すぎても欲求不満が募るばかり・・・・
奈良市街を見下ろす高円山の中腹に建つ白毫寺はそれはそれは見晴らしも良く・・・なんですが
拝観券を買う気も失せて立ち去りました。
期待度が大き過ぎました。

それにもうひとつのがっかり材料は「奈良市写真美術館」が展示物の入れ替えのため10/1~10/5閉館「あ~~~ぁ」
一緒に行くはずの友達から急用でキャンセル・メールあり。
こんなとき「一人でよかった~~」と思うのであります。

(おまけ)
奈良三名椿とは
東大寺開山堂の「糊こぼし」
伝香寺の「散り椿」
白毫寺の「五色椿」

酔芙蓉(アオイ科)~白毫寺の門前で~

昨日の夕方に赤くなった酔芙蓉と朝に咲いた酔芙蓉


酔芙蓉の葉っぱを一生懸命食べてるきれいなムシちゃん、
大きくなったら何になるのかな?
アタマはどっち??

の虫の名前はフタトガリコヤガと判明➱こちら



嵐山発八月十六日 2007.8.16

2007-08-16 | デジカメ紀行

「灯籠はお盆が終わって、ご先祖様がお帰りになるときの乗り物です。
ご先祖様を灯籠でお送りいたしましょう。」
と、お寺さんより案内状が毎年来ます。

ウチは毎年、お墓参りのとき、お寺で申し込みだけして嵐山の方へはお寺の方から運んでもらってました。
本来なら、灯籠はお盆の間仏壇のそばにお供えし、8月16日に嵐山中の島までもって行き、係りの人に流してもらいます。

遠くに如意が岳の大文字が見えます。
少し歩けば鳥居形も間近に見ることができます。
もう30年以上も前になるでしょうか、長男がおじいちゃんの家で夏休みを過ごし16日に迎えに行ったことがありました。
長男は「まだ帰らへん、もっと居てる・・・」「ほんなら、嵐山でも行こか」と主人と二人水入らずのデートとあいなりウキウキ気分だったことを思い出しました。

姑が亡くなり主人も・・・2ケの灯籠を舅と私とで毎年申し込んでましたが、嵐山まではなかなか行けませんでした。
たったお盆の1週間の間だけウチに帰ってきて「ほな、さいなら」なんて・・・・
きっと、灯籠の灯りが涙でにじんでしまうのでは?

よっしゃ、今夜はブログのネタにでもしようかいな・・・と出向きました。


なじみのあの住職さんが飛び交うムシ達とたたかいながら、受付をされてました

ユラユラユラと波に漂いながらほかの灯籠と一緒になりながらゆっくりと流れていきました。
丁度主人が仲間と連れ立って帰っていくように見えました。


五山の送り火の最初の大文字に火が点けられたのは午後八時
嵐山の渡月橋からすぐそばの鳥居形には最後に火が点けられます。


このころには保津川からの風も時折す~~っと涼しく感じられました。



奈良発八月十五日

2007-08-15 | デジカメ紀行


近鉄奈良駅に降り立つと、もうみんな足早に“ただ目的はひとつ”のように歩いてます。
登大路を東へ東へ、私も付いていきました。
以前なら、燈花会の灯りが道案内をしてくれていましたが、もう昨日で終わってます。
暗い奈良公園の中をひとまず飛火野へ。。。
ここではもう慰霊祭が行われているはずです。

奈良県出身の三万柱の英霊を供養するため神式と仏式の両方が続けて行なわれる大変珍しいものです。
午後六時から春日大社宮司が斎主となっての神式の祭典、七時から市内34ケ寺の僧侶による仏式の慰霊祭
八時、大文字に点火されます。
奈良大文字送り火は昭和三十五年八月十五日、奈良県内の戦没者約三万人の慰霊と供養を目的に恒久平和を祈念する行事として開始されました。

「大」の字は宇宙を意味するといわれており、「大」を形作る火床の数は、人間の煩悩と同じく108ツあります。
「大」の大きさは、第一画目が109m,第二画目が164m,第三画目が128mあり、日本最大級を誇ります。
高円山にまもなく大の字が点火されます

こういった内容のアナウンスが途切れ途切れに何回も会場に流れていました。
「あと10分でいよいよ点火されます、皆様大文字に向かって合掌しましょう・・・」と
やかましいくらいにマイクから女性のアナウンスが・・・・

今年のはちょっと大の字が途切れてましたね・・・・

そしてすぐに大仏殿の方へ早足歩きで・・・南大門までのお土産屋通りの参道では夜も遅いのに鹿さん達がウロウロ、観光客にスリスリ・・・
おおきな図体なのにお目目パッチリでカワイイ~~


大仏様のお顔が窓から見れるというこの日
「立ち止まらないで下さい・・・」と何度も何度も「そこ、立ち止まらないで下さい・・・」
で、こんな写真がやっと・・・
立ち止まってキッチリ撮りたかったぁ~~


【大仏殿の中門が開かれ、無料で拝観できる。
普段は閉まっている大仏殿の桟唐戸(さんからど)も特別に開けられて大仏が顔をのぞかせ、幻想的な雰囲気に包まれる】
こんな記事をガイドマップで見つけて期待度100%。
やっぱりね、窓から覗いた大仏様のお顔を見た途端、あんまり信仰心の持ち合わせてないわたしでも、なんだかゾクゾクっときましたね、怖くてじゃないですよ、感動しましてね・・・

大晦日にもこの窓から大仏様のお顔が見れますよ。
友人のお嬢さんが春日大社の巫女さんのバイトをやってるからおみくじ買いに来て・・・という10年以上も前の大晦日に見に行ったことがありました。
寒かったぁ~~

おまけ(関係者さんより)



大文字の高円山にハイキングこちら