≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク
コース
近鉄新祝園駅 9:34発(京都行き急行乗車~竹田乗り換え 10:29市営地下鉄国際会館駅 着)
市営地下鉄国際会館駅→宝が池公園(昼食)→妙満寺(拝観)→圓通寺(拝観無し)→深泥池→北山駅(解散・14時ごろ)
歩行:約8.0km 約13,000歩
宝が池公園(老若男女が水辺に憩う)
江戸時代に造られた、周囲約1.8kmの人工池。宝が池公園として桜並木の散歩道や貸しボートなどが整備され、市民の憩いの場になっている。
わんちゃん的にこの池は2011年に鳥撮りに行ってるんですこちら
またここは桜の名所でもあります。ここで、お弁当タイムでした。
キレイ
↑ 撮影:Aさん ↓
妙満寺(インド風仏塔が建つ「雪の庭」の寺)
インドのブッダガヤ大塔を模した仏舎利塔がそびえる顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)の総本山。
妙満寺HP
↑ 撮影:Aさん
安珍・清姫伝説の鐘(道成寺由来の霊鐘)
「鐘に恨みは数々ござる」で知られる紀州道成寺の霊話は長唄、歌舞伎等の芸能に取り入れられています。その物語に縁あるこの鐘は数奇な運命で当山に伝わりました。
正平14年(1359)3月31日、道成寺では安珍・清姫の伝説以来、永く失われていた鐘を再鋳し鐘供養を盛大に営みました。すると、その席に一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下し、白拍子は蛇身に変わり日高川へと姿を消してしまいます。その後、近隣に災厄が続いたため、清姫のたたりと恐れられた鐘は山林に捨て去られました。
それから200年あまり経った天正年間、その話を聞いた「秀吉根来攻め(1585)」の大将・仙石権兵衛が鐘を掘り起こし京都に持ち帰りました。そして、時の妙満寺貫首日殷大僧正の法華経による供養で怨念を解かれ、鳴音美しい霊鐘となったと伝えられます。 (由来詳細はこちら)
当山では、例年の春に鐘供養を営み安珍・清姫の霊を慰めており、道成寺を演じる芸能人はこの鐘に芸道精進を祈ります。
仏舎利大塔
↑ 撮影:Aさん ↓
圓通寺の門前
「不許酒肉五辛入門(しゅにくごしんにゅうもんにいらず)」の石碑が建っております。
いわゆる結界石で・・・酒も肉も、にんにくなどニオイのきついものを食すのを禁じるということ。酒や臭の強い物を持ち込んでは修行になりません、心構えを持ってお寺にお入りください。・・・
つまり五辛(ゴジン)とは
『梵網經』に説かれる四十八軽戒の第四食五辛戒の中に
「若佛子。不得食五辛。大蒜革葱慈葱蘭葱興蕖。是五種一切食中不得食。若故食者。犯輕垢罪」よりで、葫(にんにく)・韮(にら)・薤(らっきょう)・葱(ねぎ)・蘭葱(ひる)。
妙満寺から圓通寺の前を通り深泥池へと歩きました。
深泥池(みぞろがいけ):浮島が浮かぶ伝説の池
この池には氷期のとされる ミツガシワが自生しています。
他にジュンサイ、ヒメコウホネ、タヌキモなど珍しい水生植物(天然記念物)が見られる。
周囲約1.5Kmの池。大蛇伝説など、魔界、心霊スポットとしても有名。
わんちゃん的にはここにも何年か前に鳥撮りに来たことがありました。
地下鉄北山方面に向かって歩きまもなく解散でした。
「ちょっとお茶しよか?」ッということになり、すぐ近くの「進々堂」で反省会となりました。
「おっ!いきいき健康ウォークのスタッフさんも焼き立てパンを・・・」でした。
文中の解説は「いきいき健康ウォーク」スタッフさん手作りのパンフレットから部分的に引用させていただいたのもあります。
マンホール
京都市の紋章は、昭和35年(1960年)1月1日に制定されたもので「京」の字を図案化したものに御所車を配し、金色と古都を象徴する紫色の2色を用いています。
略章は、明治24年(1891年)10月2日に制定された京都市き章を、 紋章の制定に伴い略章として用いているものです。