2024年1月(1/07 、 1/14、 1/21、 1/28)
朝日歌壇の入選歌より、戦争を詠んだ歌を、わんちゃんが選り抜きを。
選者は永田和宏さん、佐佐木幸綱さん、高野公彦さん、です。☆⇒共選作 ★⇒【評】
<永田和宏選>
つくる人売る人買ふ人使ふ人ありてぞ武器に殺さるる人(焼津市)増田謙一郎
ふるさとの「あやべ」と同じ面積でガザ二〇〇万綾部市三万(大和郡山市)四方護
☆ガザはガーゼの語源と知りてかなしみのいや増す街よ破壊のつづく(香芝市)関口 光子
★関口さん、ガーゼの語源を持つ町で、常にガーゼなどの医療用品が足りない状況に。
堂々とこれ程までの民意無視沖縄以外で出来ただろうか(千葉市)鈴木一成
★辺野古埋め立ての代執行。確かにこれほどの民意無視は他の県ではありえないだろう。
死の苦痛和らげるだけ病院は鎮静剤のみガザの子どもに(筑紫野市)二宮正博
<佐佐木幸綱選>
血を流す子ら抱き走る男たちガザの悲鳴が茶の間にひびく(一宮市)園部洋子
☆戦争のニュースを消して出立す広島へ修学旅行引率(湖西市)佐藤きみ子
供出の梵鐘(かね)の証拠を写しありもんぺ姿の幼き叔父と(東根市)庄司天明
★太平洋戦争の末期に供出した梵鐘と叔父の写真である。今では知る人も少なくなった「もんぺ」。
<高野公彦選>
戦闘の再開報じる一面に途中で気付き配達止まる(甲州市)麻生孝
知覧茶を飲む開戦日 知覧とふ特攻隊の飛び立ちし場所(南相馬市)水野 文緒
★12月8日に鹿児島産・知覧茶を飲みつつ、知覧から飛び立った若き兵たちを悼む。
☆ガザはガーゼの語源と知りてかなしみのいや増す街よ破壊のつづく(香芝市)関口 光子
★ガーゼの発祥地はガザという。
「ゲルニカ」を描きしピカソの怒りもて我も詠(うた)はむ世界の無道(水戸市)檜山佳与子
ゲルニカ (絵画) - こちら
少年がテントの母を守るため素手で溝掘る雨季のガザ地区(中津市)瀬口美子
☆戦争のニュースを消して出立す広島へ修学旅行引率(湖西市)佐藤きみ子
戦争を放棄した国 殺傷の兵器を輸出する国となる(柏市)菅谷修
湖西のさざ波 高野公彦
街川に街の灯(ひ)映り年の夜のこの静けさよ戦禍遥けく
👆朝日新聞デジタル2024年1月1日朝日歌壇選者が新年に戦争を詠む。
(天声人語)言葉とウクライナ戦争
2年前にロシアによる侵攻が始まった直後、人々は言葉を見失った。誰もが戸惑い、何を話せばいいか、分からない。医療講習は受けたけれど、「人の心は戦争の準備など、できないのです」。ウクライナの詩人、オスタップ・スリヴィンスキーさんは振り返る▼でも、1週間ほどたつと、これは単なる沈黙ではないのだと気づいたという。戦場から逃げてきた人たちは、食べたり、寝たりするのと同じように、何かを話したがっていた。彼らは話を聞く人を求めているのではないか▼詩人は駅に立った。そっと、避難者に話しかける。あなたにとって言葉とは何ですか。堰(せき)を切ったかのように語り始める彼らの物語に、ひたすら耳を傾けた▼戦争によって、人々の抱く言葉の意味は変容していた。「食べ物を召し上がって」。そんな何げないひと言で、多くが涙を流した。「住宅」は破壊された台所となり、「チョーク」は壁に書かれた「助けて」の記憶となった▼77の証言を本にまとめた。日本語版の『戦争語彙(ごい)集』も昨年末、出版された。日本文学を研究するロバート・キャンベルさんが繊細に、丁寧に訳した。「桟橋のような通路」を築き、戦地と日本の読者をつなげようとの模索である▼武力を前に、言葉は無力かもしれない。だが、何かを話すこと、聞き手がいること、それは「ときに人々の武器となり、シェルターにもなるのです」。キャンベルさんはそう話す。私たちには何ができるだろう。戦争はいまも、続いている。
👆朝日新聞2024年1月29日朝刊一面
朝日歌壇の入選歌より、戦争を詠んだ歌を、わんちゃんが選り抜きを。
選者は永田和宏さん、佐佐木幸綱さん、高野公彦さん、です。☆⇒共選作 ★⇒【評】
<永田和宏選>
つくる人売る人買ふ人使ふ人ありてぞ武器に殺さるる人(焼津市)増田謙一郎
ふるさとの「あやべ」と同じ面積でガザ二〇〇万綾部市三万(大和郡山市)四方護
☆ガザはガーゼの語源と知りてかなしみのいや増す街よ破壊のつづく(香芝市)関口 光子
★関口さん、ガーゼの語源を持つ町で、常にガーゼなどの医療用品が足りない状況に。
堂々とこれ程までの民意無視沖縄以外で出来ただろうか(千葉市)鈴木一成
★辺野古埋め立ての代執行。確かにこれほどの民意無視は他の県ではありえないだろう。
死の苦痛和らげるだけ病院は鎮静剤のみガザの子どもに(筑紫野市)二宮正博
<佐佐木幸綱選>
血を流す子ら抱き走る男たちガザの悲鳴が茶の間にひびく(一宮市)園部洋子
☆戦争のニュースを消して出立す広島へ修学旅行引率(湖西市)佐藤きみ子
供出の梵鐘(かね)の証拠を写しありもんぺ姿の幼き叔父と(東根市)庄司天明
★太平洋戦争の末期に供出した梵鐘と叔父の写真である。今では知る人も少なくなった「もんぺ」。
<高野公彦選>
戦闘の再開報じる一面に途中で気付き配達止まる(甲州市)麻生孝
知覧茶を飲む開戦日 知覧とふ特攻隊の飛び立ちし場所(南相馬市)水野 文緒
★12月8日に鹿児島産・知覧茶を飲みつつ、知覧から飛び立った若き兵たちを悼む。
☆ガザはガーゼの語源と知りてかなしみのいや増す街よ破壊のつづく(香芝市)関口 光子
★ガーゼの発祥地はガザという。
「ゲルニカ」を描きしピカソの怒りもて我も詠(うた)はむ世界の無道(水戸市)檜山佳与子
ゲルニカ (絵画) - こちら
少年がテントの母を守るため素手で溝掘る雨季のガザ地区(中津市)瀬口美子
☆戦争のニュースを消して出立す広島へ修学旅行引率(湖西市)佐藤きみ子
戦争を放棄した国 殺傷の兵器を輸出する国となる(柏市)菅谷修
湖西のさざ波 高野公彦
街川に街の灯(ひ)映り年の夜のこの静けさよ戦禍遥けく
👆朝日新聞デジタル2024年1月1日朝日歌壇選者が新年に戦争を詠む。
(天声人語)言葉とウクライナ戦争
2年前にロシアによる侵攻が始まった直後、人々は言葉を見失った。誰もが戸惑い、何を話せばいいか、分からない。医療講習は受けたけれど、「人の心は戦争の準備など、できないのです」。ウクライナの詩人、オスタップ・スリヴィンスキーさんは振り返る▼でも、1週間ほどたつと、これは単なる沈黙ではないのだと気づいたという。戦場から逃げてきた人たちは、食べたり、寝たりするのと同じように、何かを話したがっていた。彼らは話を聞く人を求めているのではないか▼詩人は駅に立った。そっと、避難者に話しかける。あなたにとって言葉とは何ですか。堰(せき)を切ったかのように語り始める彼らの物語に、ひたすら耳を傾けた▼戦争によって、人々の抱く言葉の意味は変容していた。「食べ物を召し上がって」。そんな何げないひと言で、多くが涙を流した。「住宅」は破壊された台所となり、「チョーク」は壁に書かれた「助けて」の記憶となった▼77の証言を本にまとめた。日本語版の『戦争語彙(ごい)集』も昨年末、出版された。日本文学を研究するロバート・キャンベルさんが繊細に、丁寧に訳した。「桟橋のような通路」を築き、戦地と日本の読者をつなげようとの模索である▼武力を前に、言葉は無力かもしれない。だが、何かを話すこと、聞き手がいること、それは「ときに人々の武器となり、シェルターにもなるのです」。キャンベルさんはそう話す。私たちには何ができるだろう。戦争はいまも、続いている。
👆朝日新聞2024年1月29日朝刊一面