54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

4/10 富士見別荘 その3車窓 四方津下車

2009-04-12 10:06:14 | 富士見

朝の清々しい空気と静けさ 7時から草取りを始めてしまう
鳥が話しかけてくれたり、ひょっこり小さな蛙が飛び出したり
枯れそうだった木が芽吹いていて喜んだり
手を休め見渡せば、すぐ近くに八ヶ岳、その手前に大きな鯉のぼり
霞んではいるが富士山も 青ーい空に向かって深呼吸
疲れすぎを恐れ家に入るが、すぐ出たくなりいくらでもある雑草取りとなる
近くを散歩する元気はなくいつもより早い 1:57の鈍行で帰ることに


富士見を出てすぐと小淵沢手前の八ヶ岳車窓  四方津駅

甲府盆地は花盛り 途中下車をしようか迷ったが車窓で満足
「勝沼ぶどう郷」から同席した女性は甲府で「ミレー」も見てきたという
4月からの「日曜美術館」が、壇ふみさんでなくがっかりとか意気投合
青春切符でひとり旅を重ねているそうだ
まだ時間を有効に使えないかと意見が合い、急遽四方津で下車
あんな高い所に住宅地が出来たんだからきっと良い眺めに違いないと
予想は裏切られ富士山など見えず周りの山も平凡
ながーいエスカレーターにも驚いた 帰りはケーブルカーにした
この建設費も住民負担と聞き2度びっくり? 二人で”なんで~” 
きれいに管理された別天地のような住宅地ではありました

高遠城址公園
南信濃から駿河、近江に進出する重要な地であった為、
南北朝よりのその支族である高遠氏は、武田信玄の侵略に合いその旗下となる
信玄は拡張改築を命じ、この築城に山本勘助が関わったとか
今その姿はなく空堀や土塁から戦略的な城の姿がうかがえる
武田支配は35年続いたが1582年伊那谷に攻め入った織田軍と戦った
仁科五郎盛信の姿は語り継がれ、盛信の流した血は城内に植えられている
コヒガンサクラの赤みにもなぞられる
明治5年新政府により建物は民間に払い下げられ、城跡に旧藩士らの手のよって
「桜の馬場」から桜が移植され明治8年公園となった


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