実家の近くに鍼灸師さんがおられ、小学生のこ
ろからお世話になっていました。 まあ、小学生
のくせに、首や肩がカチンカチンになり、肉体年
齢は中高年、の有様でした。
そこはご夫婦とも失明者で、お二人とも鍼灸師
さんでした。 いつもはご主人に鍼を打っていた
だきましたが、ご主人が出てこられるまで、奥様
にはよくマッサージをしていただきました。
身体が弱くて、あまりにも不憫(ふびん)に思わ
れたのでしょう。 今も、ご主人が治療の合間、
ふともらされた言葉を憶えています。 「この子、
四十の坂が越えられるかなぁ...」
こうした先生方のお陰で、四十どころか五十の
坂を越えつつあります。 人の縁、近頃はそれを
強く感じます。 ご主人は鍼灸学校でも教えて
おられたそうです。 吉田重春先生。 亡くなら
れてからずいぶん経ちますが、今でもご夫婦の
お顔を思い出します。
ろからお世話になっていました。 まあ、小学生
のくせに、首や肩がカチンカチンになり、肉体年
齢は中高年、の有様でした。
そこはご夫婦とも失明者で、お二人とも鍼灸師
さんでした。 いつもはご主人に鍼を打っていた
だきましたが、ご主人が出てこられるまで、奥様
にはよくマッサージをしていただきました。
身体が弱くて、あまりにも不憫(ふびん)に思わ
れたのでしょう。 今も、ご主人が治療の合間、
ふともらされた言葉を憶えています。 「この子、
四十の坂が越えられるかなぁ...」
こうした先生方のお陰で、四十どころか五十の
坂を越えつつあります。 人の縁、近頃はそれを
強く感じます。 ご主人は鍼灸学校でも教えて
おられたそうです。 吉田重春先生。 亡くなら
れてからずいぶん経ちますが、今でもご夫婦の
お顔を思い出します。