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スズキ初のオートバイ、ダイヤモンドフリー号とスズキの歴史。(番外編vol.3744)

2023-10-11 10:23:14 | 日記

国産4大メーカーの1つ「スズキ」は、そもそも「織機の機械メーカー」として、1909年に「鈴木式織機」として誕生した会社です。そこから第二次

世界大戦を経て静岡県の浜松市にある可美村高塚村へ会社を移転し、しばらくは変わらず織機機械のみを製造していたのですが、イギリス製の自動車

を手本とした国産自動車(小型)の開発に乗り出します。その後、二代目社長になる「鈴木俊三」さんの趣味である釣りに行くのに「自転車にエンジン

が付いた乗り物が欲しい」と言う考えからオートバイ製造にも着手する事となったと言われています。もちろん、当時の浜松市といえば、100社近い

いわゆる「オートバイ企業だらけ」の街だった事も大きな要因であったと考えられます。で、まず最初に開発したのが、自転車の補助としてエンジンを

搭載した「ダイヤモンドフリー号」を完成させます。時期は1951年~1952年。ちなみにこの「ダイヤモンドフリー号」の初号機の排気量は36ccで他社

のエンジンに比べ非力だった事もあり、直ぐに58ccモデルを開発、1953年にはこのオートバイで「富士登山レース」に参戦しクラス優勝を飾り、更に

「耐久性」と「信頼性」を実証する為、北海道から鹿児島まで約3.000kmを無事故・無故障走行に成功、数多くあったオートバイメーカーの中でも一躍、

頭角を表す様になります。また、その翌年となる1954年には新たな人気モデルとなる「コレダ号」を開発し、社名も「鈴木式織機」から「鈴木自動車工業」

へ移行します。この頃になると、二輪から四輪まで生産する大企業に飛躍しており、当時、海外最高峰レースだった「マン島TTレース」でも1963年に、

50ccクラスで優勝を果たし、更に同年の「GPレース」でも、50ccクラスと125ccクラスで総合優勝。更には、ホンダ「スーパーカブ」の対抗した量産型

モデルとして「セルペット」を開発し、世界初の4速ロータリーチェンジにセルモーターを装備した高性能な50ccモデルを登場させます。これで販売台数を

大幅に拡大する事にも成功しています。で、スズキ初のモデルとなる「ダイヤモンドフリー号」ですが、基本車体は当時の自転車を使用しており初期モデル

は36ccの2スト空冷式単気筒エンジンを搭載、最高出力は1psで、最大トルクは不明、トランスミッションは2速MTで、切り替えは自転車のギアチェンジと

同じ手法が取られていました。1954年に登場した2世代目「ダイヤモンドフリー号」はそこから排気量を58ccに拡大、最高出力も倍の2psとなり、最大

トルクが0.43kg、トランスミッションは初号機と同様の2速MTで、当時の新車価格が38.000円。特徴は非常に丈夫で信頼性が高いところにあり、他社の

モデルがオイル漏れや、エンジンの焼き付きに襲われてた中、長距離や山脈を走っても全く問題ない性能を誇った事から「信頼の鈴木自動車工業」となって

行きます。1960年代から1970年代に入ると大量にあったオートバイメーカーも、淘汰(とうた)され現在の4大メーカーへと絞り込まれていくのですが、

鈴木自動車工業もその1社として君臨する事になっていくんですよね。ちなにみ社名の「鈴木自動車工業」は1990年に現在の「スズキ」に変更。自動車と

オートバイのメーカーとして現在でも多くのユーザーを獲得する、大型企業へと進化を遂げてるって感じになる訳です。さて、今日はそんな「スズキ」の歴史

と初号機となる「ダイヤモンドフリー号」を考察してみましたが、いかがだったでしょう!(笑)



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