財務省は「1984年」の真理省になったか。いよいよオーウェルの世界。国民を欺いてきた始末をどうつける。
3月12日朝日新聞夕刊の「素粒子」です。
財務省の「文書改竄」事件について聞いたときに、私も「オーウェル『1984年』の真理省」を、まず思い浮かべました。そう書こう、と思っていたら、上記「素粒子」を見て、まぁだれしも思うことは同じだな、と思い、同じようなことを書いてもしょうがないな、と思いました。・・・で、見方を変えて、というか、自分たちの方に視点をひきよせて、考えようと持ったのですが、あまりにも長くなりそうなので、きょうのところは、その前提となることについてだけ書いておくようにしたいと思います。
まずは、「素粒子」で言われていることの意味が通じないといけないので、とりあえず「Wikipedia」wを引用してジョージオーウェル「1984年」についての解説を載せさせていただきます。
1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。
ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで、体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジューリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。また、古い物の残るチャリントンという老人の店を見つけ、隠れ家としてジューリアと共に過ごした。さらに、ウインストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人、オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白した。エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書をオブライエンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。
ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、愛情省で尋問と拷問を受けることになる。彼は、「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を想いながら“心から”党を愛すようになるのであった。
ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで、体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジューリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。また、古い物の残るチャリントンという老人の店を見つけ、隠れ家としてジューリアと共に過ごした。さらに、ウインストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人、オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白した。エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書をオブライエンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。
ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、愛情省で尋問と拷問を受けることになる。彼は、「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を想いながら“心から”党を愛すようになるのであった。
・・・オーウェルの「1984年」は名作ですので、是非現物に当たっていただきたいと思いますが、とりあえず若干の「補足」をします。
「主人公ウィンストン・スミス」は「真理省」の役人として勤めています。今で言えば「官僚機構の一端」ですが、もっともっと末端の位置にいます。歴史的な事実を扱う部署にいますが、時の政権が「真実」だとすることに基づいて「歴史」の改竄を行う作業を(その末端で)行っていて、すでに時の政権の都合のいいように、何度も「歴史」を改ざんしていますので、スミスのような末端の役人だけでなくその上司たちを含めて「何が真実か?」ということは、すでに分からなくなっています。その中で、その時々に都合のいいように「歴史」を書き換える作業が繰り返されられ、「昨日の真実は今日の嘘、今日の嘘は明日の真実」という状態になっています。スミスは、その中で、いわば機械的に「歴史」の改竄を自らの職務として行いつつ、それをも含む全体のありかたに疑問を抱いていくということがこの小説で描かれていることです。
・・そのうえで、今回の事件。
この事件というのは、今、「麻生財務大臣が辞任するかどうか?」というようなところで問題にされていますが、その程度の問題ではない、のだと思います。もちろん、麻生さんの引責辞任は避けられない(最低限必要)と思いますし、安倍内閣自体の屋台骨も揺らいでいる、ということなのだと思いますが、そのうえで、「1984年」的な、あるいはもっと卑近な「ファシズム」的な政治体制の選択、ということが問われている、という問題として考えなければならないのではないか、と思えるのです。
たとえ「民主主義」で、みんなの意見に基づいて決めていくんだ、としていたとしても、その「みんなの意見」を決めるための情報が、最も権威あるとされる官庁の情報を含めて改竄・偽造されていて信用できないのだとしたら、「決める」ための基礎、考えるための根拠も成立しないことになってしまいます。
・・・ということの上で、次回は、グーっと卑近な私たちの問題について考えてみたいと思います。