大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本-「ファシズムの正体」(佐藤優著:インターナショナル新書)

2018-03-01 08:38:36 | 日記
著者は
「現在、ファシズムの危機が異常に高まってきている」
と言います。
このようなことは、わりとよく言われることであり特に驚くべきでもないことかもしれませんが、著者の指摘の特異なのは「福祉国家もまたファシズムの論理から理解できる」としていることであり、「3.11以降に『絆』という言葉が氾濫したことは、ファシズムへの傾斜が強まっていることをしめしています」と指摘しているところです。

このような理解は、「ファシズム」という言葉をどのようなものとしてとらえるのか、というところからでてきます。
「ファシズム」という用語は、一般的には、広い意味で、国家主義的な政治運動や体制のことを指す言葉として使われます。その典型的なものとして思い浮かべられるのは、ヒトラーのナチズムであったり、わが日本の戦前の軍国主義体制です。
しかし、「ファシズム」という名を自ら名乗ったのはイタリアのムッソリーニですから、イタリアの「戦闘ファッショ」の展開した政治運動とそのつくった政治体制が「ファシズム」の「本家」だということになります。本書で対象とされている「ファシズム」は、主にこのイタリア・ファシズムです。

著者は、次のようなことを指摘します。
「ファッシ」というイタリア語は、元来は「きつく結ばれた棒の束(束桿)」を意味する言葉で、「ファッショ」は「束ねる」という意味を持つものだそうです。そのような言葉を使った政治運動としての(イタリア)ファシズムは、資本主義の下で進む矛盾と分裂に対して国民を束ね(統合し)て強い「国家」をつくっていこうとするものです。
資本主義は、その展開のなかで人々をバラバラな「個」に分解するとともに、貧富の「格差」とそれにもとづく「分断」をもたらします。
これに対して「ファシズム」は、「国家エリートが力を使って、民衆に再配分を行う」ことを一つの処方箋とします。「福祉国家」との連続性です。
しかし、この「再配分」は一つの国家の中だけでは実現しきれません。外部からの収奪を追求する帝国主義に向かい、それはやがて戦争に結び付きます。ファシズムは、この過程を「国家」の強化によって実現しようとし、それは「独裁」に結び付きます。
そのようなファシズムは、思想的には「合理主義、個人主義及び物質主義」に反対するものとなります。「生の感情」「生の哲学」などと言われるもので、「経済的な幸福」の追求は人間を「動物的な水準にまで低下せしめ」てしまうものだとして、より「高い生の観念」を求めるのだとします。そしてそれは「国家」と結びつき、その中でこそ実現できるものとして、国権主義に、独裁に結び付きます。

このような(イタリア)ファシズムの特徴を見る中で、今の日本において「ファシズムの危機が異常に高まってきている」というのが、著者の見立てです。それは、「3.11以降の絆」のような、それ自身としては美しい姿をも取りながら、「有事」に対処するものとして登場してくるものであるので、ナチズムのような差別主義的な姿だけに気を取られるのではなく、歴史の教訓に学ぶ必要がある、ということになるわけです。