今日一日、国会中継を聞いていました。
感想としては、「すまじきものは宮仕え」。
「官庁の中の官庁」の財務省において激烈な出世競争を勝ち抜いてきた「エリート中のエリート」である「財務省官房長」「理財局長」などが、何をつまらないことを言ってるんだろう?と呆れかえってしまうようなものでしたね。哀しい。
そこでおもったのが、「すまじきものは宮仕え」です。つくづく「官僚になどならずによかった」と思います。(同様に「芸能人にならずによかった」とよく思いますが、なろうと思ってもどうせなれなかった、ということはさておいて・・・。)
・・・と思ったところで、そんな風に「他人」のことを見ながら、はたして私たちはどれだけこの「官僚の不自由さ」と無縁で居られているのか?ということも考えさせられてしまいます。
今や、完全な「悪者」に仕立て上げられてしまったあの佐川(さん)も、ほんの二週間前までは「国税庁長官」でした。財務省理財局長という要職において、森友問題での国会質疑という難関を乗り越えた能吏として「適材適所」で国税庁長官に起用されていたわけですが、もはや「トカゲのしっぽ」になってしまいました。政治家たちが「佐川のせい」ということで収めようとしたり、それに便乗した後任の理財局長が「佐川さんの責任」で終わらせようとしているのを見るにつけ、「すまじきものは宮仕え」とは思うのですが、はたして「民間」の私たちは、それとどれほど離れたところにいるのだろう?ということも考えさせられてしまうのです。
佐川さんが、国税庁長官になった後、就任記者会見もせずひたすら表に出ないようにしていたうえで、初めて表に出てきたのは、日本税理士会連合会での「新春インタビュー」だったそうです。そこでは、日税連の会長などが森友問題にはなんら触れないまま、「税務行政」などについて語り合った、とのことです。
このようなことが、今の時点でどう評価されるのかはよくわかりませんが、少なくともその当時においては、税務当局の眼鏡に適い、政権の眼鏡に適うことであったのでしょう。
しかし、ここにおいて本当は、「日税連」の姿が問われていたのだと思います。財務省・国税庁の下請け・翼賛業者なのか、国民の側に立った民間資格者なのか?という問いです。
同様のことは、私たち土地家屋調査士にも言えます。法務省において不祥事が起き、それを官僚たちがひた隠しにしようとしたときに、はたして私たちはどのような態度をとれるのか?(実は、すでに同様のことはいくらでもあった、と言えるのですが、それはさておき)「未来」の問題として)考えておかなければならないことです。