河野美砂子の「モーツァルト練習日記」+短歌+京都の日々の暮らし

7/27(土)13時30分 NHK文化センター京都 ショパン「マズルカ」Op.59全曲、「バラード第3番」等

カデンツァその後・アマ手紙18

2006-10-31 00:19:29 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

日曜日の本番、「私はランドール」変奏曲の、私ヴァージョンの曲順とカデンツァ初演、皆さんに喜んでいただきました。

「聞いていて、曲順はこれしか考えられない。」と言ってくださった方もいて、うれしかったデス。
カデンツァも、今日になって、若干の修正を入れながら、この線で行くつもり。

ところで、
モーツァルトさんが模倣したとされる、アイネクライネジーグK.574のテーマのモトになった、ヘンデルの「組曲ヘ短調第一集第8番」ジーグの楽譜、手に入れました。
これもなかなかいい曲で、ちょっと驚きました。
きっと、モーツァルトさんはいい曲に刺激されるんですね。
ただ、モーツァルトさんのジーグの方が、小曲だけど、ちょっと凄みがある。
もっとこういう曲、書いてほしかったわぁ。

明日は学校です。
帰りに、桂川を渡って、渡月橋から嵯峨野、御室のあたりをドライブするの、楽しみです。♪

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ランドールカデンツァ・アマ手紙17

2006-10-29 03:12:59 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、よろこんで!

「ランドール変奏曲」の、最後のメヌエットの、あたしヴァージョンのカデンツァ、できました!!

明日日曜、小さな本番あるので、そこで試してみます。
わるくない、と自分ではおもうのですが。

以前にも、モーツァルトさんのピアノコンチェルトK.467 ハ長調のカデンツァを、私は自作したことがあったのですが、今回、久しぶり。
なかなか楽しいもんですね。

カデンツァだから、気楽。
でも、モーツァルトさんの、もとの楽譜にある、カデンツァの出だしと、それから一番最後の終わり方はそのまま生かそうと思うので、その続け方が(特に最後・ちょっと変わってますよね)ムズカシイです。

ともあれ、明日、ご感想をぜひお願いしますね。♪
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アマデウスへの手紙・16

2006-10-27 23:51:50 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

「私はランドール」による12の変奏曲K.354 について、今日はおたよりします。

以前に、12曲の変奏曲の順番について、ちょっと疑問を持ったことがありました(プログラムメモ・9月24日参照 http://music.geocities.jp/misakn95/event/20061105/program.html)。

ヘンレ原典版、ウィーン原典版、新モーツァルト全集いずれも、第7変奏曲のあとに Tempo di Menuetto の変奏曲が来ます。そして、1番最後の変奏曲が Molto Adagio Cantabile で、その後に「ランドール」のテーマが回帰して終わる、という形。

でも、何回弾いても、エネルギー一杯の第7変奏曲の後に Menuetto を弾くのはぴったり来ませんでした。
さらに、Molto Adagio の後に、テーマが帰ってくるのも、どうしても変に感じました(最後にテーマが回帰する変奏曲はまったく一般的なのですが、なぜかこの曲に限っては変)。

調べてみると、変奏曲の順番に別ヴァージョンがあり、それは、メヌエットが最後に来る、という形。
テーマの回帰なしに、メヌエットの最後のカデンツァで曲を終わる、というものです。

弾いてみると、こっちの方がずっと良い。
ぴったりはまります。

第7変奏まで、どんどん派手になり、第8変奏で一転、変ホ短調(♭6個!)。
その後、オクターヴトレモロがソプラノとバスで続く、鏡のような構造の第9、第10変奏曲。
で、第11変奏の Molto Adagio で綿々と歌って、そして最後、メヌエットの大団円……オペラみたい!!

しかも、そのメヌエット、つまり全変奏曲のシメはカデンツァ。
ここは、楽譜には、減七和音のアルペッジョとスケールのみでメモ程度にしか書かれていませんが、実際にモーツァルトさんが人前で弾いた時は、きっと即興的にものすごく自由に弾いたことでしょう。

モーツァルトさんの当時の手紙には、その様子が生き生きと書かれています。
「…ぼくがこの曲を公開演奏すると、いつも最高の喝采を受けてきました。―というのは、それぞれの変奏にいろいろと巧いコントラストがあって、しかも誰もが楽しめるようになっているからです。…」(1781年3月24日・レオポルト宛)

新モーツァルト全集の解説(ドイツ語)によると、初版のエーナ版(1778年)は、メヌエットが第8番目という形でした。
つまり新モーツァルト全集はこの初版をモトに編集されているのですが、その後、Offenbach(1792年)が、別ヴァージョン(メヌエットを最後にした版)を出版、その後はこちらの方が普及していたそうです。

が、コンスタンツェが、モーツァルトが死んだのち(たぶん1799年)、出版社に「その順番はオリジナルではない」と手紙で抗議したらしく、また20世紀後半のオリジナル重視の気運もあって、現在は初版のものを「オリジナル」としているわけですね。

でも、私は、断然、メヌエットを最後に弾きます。
だって、その方が、「音楽」としてずっと素敵ですから。

モーツァルトさんだって、このご自慢の曲を、悪口言われてるのは心外でしょう?
先日も、「名曲解説辞典」をたまたま見たら、ヒドイこと書いてありました。

でもそれは、一部の学者さん、あるいは、良くない演奏を聞いた人たちが誤解してるにすぎません。

わたし、今度の演奏会で、この曲の名誉回復のため、ずごく気合いれて日々さらっています。
できれば、最後のメヌエットのカデンツァも、私ヴァージョンのものを作って弾きたいのですが…?

ともかく、モーツァルトさん、ちょっと待っててね。
7日を、ぜひお楽しみに。♪

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アマデウスへの手紙・15

2006-10-26 03:08:17 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、泣きたいです。

さっき、モーツァルトさんへいっぱい書いた手紙、完成直前で、すべて消えてしまいました。

今日はもう書く元気ありません。

またあした。

人生って、ままならないものですね。♪

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アマデウスへの手紙・14

2006-10-23 23:40:17 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

一つ前の手紙で、短歌について少し書きました。
五句31音のうちのどこか(たとえば助詞など)を動かすと、他のコトバもも自動的に変わっていく、みたいな話でした。

それに関連して、演奏も似たようなことがあると思ったのです。

たとえば、あるソナタの第1楽章を弾くとき、冒頭の音から最後の音までの容量が、弾く前にもう決まっている(見えている)。
それは或る意味で、短歌の五七五七七(五句31音)という枠とおんなじ。

冒頭から弾き出して、たとえば、或る箇所を、ちょっといつもより時間をかけて弾いたとしたら、その分を、どこかでうまいバランスを取る。
テンポで取り戻すとは限らず、ディナーミクや、歌い方や、その他、いろんな要素を総合して、第1楽章全体の枠の中でなんとかカタをつける、みたいな。

コトバにするとまどろっこしいけど、そういうことってありますよね。

音って、とても物理的なもの、って私は感じるのですが、「物理的」というイミの使い方、まちがってるかしら? 数値化はできないけど、でも、エネルギーのやり取り×音色、とか、なんだか知らないけど、そういう感覚があるのですが。

う~ん、これ以上言っても、ややこしくなるばっかりですね。

今日は、雨が降っています。
音楽室は一定の湿度に保っているはずなんですが、楽器は敏感で、タッチがすごく変化しました。

どんな状態でも対応できるよう、練習さらにしなくっちゃ。

モーツァルトさん、時々は返事ちょうだいね。♪

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アマデウスへの手紙・13

2006-10-22 00:36:57 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

ロンド・ニ長調の、40小節目イ長調のあたりの話をこの前の手紙で書いていて、ちょっと短歌のことを思い出したので、今日はそのことを書きたいと思います。

あの、ハーモニーがイ長調からイ短調に一瞬変わるところ(1秒前後の長さ)、短歌でいえば、書いているうちに、ちょっと助詞を動かしたくなった、という感じと似てるのではないかしら?

固有名詞の思ひだせない日ぢやつたよ林檎摺(す)りをり暗黒の王へ         
・・・・・・・・岡井 隆(どの歌集に入ってたか思い出せない)

これって意味を読む場合、「暗黒の王へ」の「へ」がけっこう問題になるのだけど、作る方の立場でいえば、もともとは「へ」ではなく、きっと「は」だった(暗黒の王=岡井隆)。

固有名詞の思ひだせない日ぢやつたよ林檎摺りをり暗黒の王は

でもこれじゃストレートすぎて面白くない。
そこで、ちょこっと助詞「は」を操作して、「へ」へ。

するとちょっとしたねじれができて、スパイスが効く。

こういう操作が、モーツァルトさんの場合、書く前にアタマの中ですべて終わってるのかもしれないけど。

この短歌では、最後の助詞だけが替わりましたが、場合によっては、ひとつの助詞を動かすと、他の五句もそれに応じて変化することももちろんある。
それによって、思わぬ歌ができることあります。
自分の意図を裏切るように歌が動いていくの、おもしろいのですが、モーツァルトさんの場合、どうだったのでしょう?

それを考えれば、演奏も似たようなことありますね。
そのことは、また明日に。

わたし、締切過ぎた原稿があるんです。
岡井氏について、今からがんばって書きます。♪

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アマデウスへの手紙・12

2006-10-20 00:04:30 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

このところ、秋晴れの日がつづいています。
今日も、ロンドK.485ニ長調の続きで、ハーモニーのことを一つ書きます。

楽譜を載せられない(私の技術不足のせいで)のが残念ですが、36小節目、イ長調のテーマになったところです。
(移動ドで)
ソーーー ファミー レドー ファーーレシーーー ファーーー ミレー ドシー ソーーミ #ドーーー
①ーーー ーーーー ーー ②ーーー ーーーー③ーーー ーーー ーーー ④ーーー ーーーー

①の和音は、主和音(Ⅰ)。
②と③は、属和音(Ⅴ)。
で、④は、減七。
この④の和音が伏線となり、次の、テーマの後半メロディが、ものすごい陰影を帯びるのです。

40小節目
レ ミレ#ド レ ミ ファーーシ ド レドシ ド レ ♭ミーー#ファ ソド・ミ ソファレシ
⑤ーーーー ・・・・⑥・・⑦ーーーー ・・・・・ ⑧ ーーー ⑨ーーー ⑩ー

⑤の和音は、ファ ラ。 ⑥は、ファ ♭ラ(翳る)。

で次の ⑦は、ミ ソ、と思うでしょ?
だって、バスが半音進行するはずだもんね、こういう時(ファ→ミ)。
翳った⑥の和音が、ここ⑦で、もとの調・ハ長調に戻るはず。

ところが!
この⑦は、♭ミ ソ なの。ミ に、♭が付くのです。
ハ短調になる!!

⑧は、そのノリで、♭ラ ド。
これもすごいけど、これは⑦のハ短調があれば、まあわかる。
(⑨はハ長調に戻ってⅠの46→⑩のⅤ=カデンツ)

私は、このたった1拍の、♭ミ ソ が凄いと思います(以上すべて移動ド……トホホ)。
鳴ってる秒数は、0.5秒くらい。
お休みが2拍あるから、和音の響きとしては1秒あまり残るはずだけど。

お日様に一瞬雲が走って、でも世界中の誰も気づかない。
葉っぱの上にいたちっちゃな虫だけがそれを見てた。
その虫は、でも、それを誰に言うでもなく、やがて葉っぱから飛び立って行く。
そのあと葉っぱがほんの少しだけゆれてる。
はじめと変わらないはずのお日様。

このロンド、10歳のころから数知れず弾いてるけど、数年前に弾いた時にもそんなこと気づかなかった。
そのちっちゃな虫は、その時からずっとそこにいたんですね。♪

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アマデウスへの手紙・11

2006-10-18 01:42:08 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

日曜日の小講演会でお話したことを少し書きます。

天才と凡人の違い、というわかりやすい例を、楽器を使って実演しました。
お話に先立ち、ロンドK.485 ニ長調の一部をまず弾いたので、そこからお話を進め、メロディと、和声のことをそれぞれ一つづつお話しました。
今日はメロディのことを。

(ややこしいので移動ドで書きます。)
ソーーーファミーレドーファーーレシーーー……というメロディは、クリスチャン・バッハからの借り物なのですね?
でも、そのあとのメロディ、「ラ シラソラ シ ド* * ソ ラ シラソラ シ ド* * ソ」の次の
「ソ (#)ファ (ナチュラル)ファ レ  ファ (#)レ ミ ド ミレドシラソ…」の、この「ファ (#)レ ミ ド」がすばらしい。

凡人なら、「ソ (#)ファ (ナチュラル)ファ レ 」(下降形)と来たら、「ファ ミ レ ド」(同じく下降形)とします。

天才はここで、二回同じことをするのを避ける。
避ける、というより、本能的にちょっとクリっとおしゃれする。

ファ から(#)レ へ一旦下がって(減3度!)、今度は半音上って ミ 。
そして3度下の ド 。

書くと実にわかりにくいのですが、実際に音に出すと、皆さん納得されたようでしたよ。

なんでもないようで、こういう所が天才、というより、モーツァルトさんの、個性というか気質なんでしょうね。少なくともベートーヴェンにはない。

同じことを繰り返すのが恥ずかしい、とか、どこかで遊ぶココロがあるというか。

誰も気づかなくても、そういう細部がたいせつ。
少なくとも私がそこを弾くときは、モーツァルトさんに心の中でウィンクしますからね。
見のがさないようにね。♪

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アマデウスへの手紙・10

2006-10-16 01:43:50 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

実は、今日はモーツァルトさんについてお話をする会(小講演会)があって、2時間ほど一人でお話をしてきました。
2時間って、あっという間ですね。

参加された方は、音楽やモーツァルトさんについて興味はあるけどそれほどよく知らない、という方が多かったので、入門編という形でした。

そのなかで、モーツァルトさんがたくさん残している手紙の一部を朗読してみたのですが、久しぶりに読んでみて、モーツァルトさんのナマの声に触れたようでとても懐かしくなりました。

14歳の時の、ローマやナポリからのナンネルさんに宛てた生き生きとした手紙。
ベーズレちゃんへの全編駄洒落ではしゃぎまくってるもの。
一転して、パリでお母様が亡くなったときの、ザルツブルクにいるお父様への気づかいの手紙。
もう亡くなっているのにそうとは書かず、まず心の準備ができるように長々と書き、それと同時にザルツブルクの友人に、お父様とお姉様を支えるように頼む手紙を書く。

私が持っているのは昔の岩波文庫の上下。
もう紙が茶色に変色しています。
1980年第1刷となっています。

その他に、電子ピアノでちょこちょこ弾きながら、モーツァルトさんの曲のどこが凡人の作と違うか、ということを実演しました。

ここでは再演はムリですが、明日、少しだけそのことをお手紙に書きます。

一昨日、新モーツァルト全集全20巻が届いて、あらためてその楽譜の物理的な量の多さを思ったのですが、手紙も「書簡全集」は7巻あるのでしょう?
モーツァルトさん、ほんとにいっつも何か書いてたのですね。
そういえば、「楽譜を書いて手が痛くてもうこれ以上書けません。」という手紙、けっこうありますものね。♪

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古典調律について

2006-10-15 01:26:51 | アマデウスへの手紙
別枠でこういうやり取りがありましたので、コピーします。
11月7日は、古典調律(ヴェルクマイスター第3法)でやるので。


・質問
古典調律の長所短所はどういう点でしょうか?
平均率の長所短所は、その裏返しという事でOKですか?

・答
かいつまんで。

調により、カラーというか性格がある、というのはご存知でしょうかしら?

たとえば、ニ長調は黄金の(輝かしい)調、変ホ長調は堂々とした立派な感じ(「魔笛」序曲、ベートーヴェン「英雄」「皇帝」など。今度私が弾く「私はランドール」変奏曲も変ホ長調で、モーツァルトの曲にしては響きがぶあついです)とか。
ロ短調は、ゆがみます。

古典調律(種類はたくさんあります)のメリットは、その違いがはっきりつかめることだと思います。
もちろん、モーツァルトの時代には「平均律」という調律法は存在しませんでした(理論上はありましたが)。

一方のデメリットは、歪(ゆが)む調では、まあ言えば、きれいでない響き、にごった響きになるのでそれが不快になるかも。

でも、大雑把に言って、フランス革命(1789~)以前は、音楽においても「平等」はなく、「良い拍」と「悪い拍」とか、「正しい和音」と「正しくない和音」がはっきり別れてたのです(アーノンクールの本をお読み下さいませ)。

平均律の調律法は、すべての調がほどほどに(非常に、じゃなく)美しく響く、ということです。
古典調律は、非常にきれいな調と、きれいでない調がはっきりわかれる。

ちなみに、バッハの「平均律」というのは大誤訳で、原語は「良く調整されたクラヴィア」という意味になります。
英語でいうと、well-tempered clavier です。
もちろん、バッハの時代も調律法はたくさんあって(平均律はない)、どの調律法にするかバッハ自身もそのつど悩んだようです。

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アマデウスへの手紙・9

2006-10-12 22:58:53 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

今日はニュースがあります。

モーツァルトさんの全作品を網羅した楽譜、「新モーツァルト全集・全20巻」を買ってしまったのです!まだ現物は届いていませんが、これがなんと超お買い得の79800円!!(昔は何十万円もしたらしい)

オペラも、オルガン作品も、室内楽も歌もピアノコンチェルトも。

私はふだんは、信頼できるヘンレ原典版とウィーン原典版を使っていますが、やはり権威ある新全集もチェックしないと、と思ってた矢先。
今回の演奏会で弾くモルトアレグロ K.72a なども、この全集にしか楽譜がないので、これは以前に新全集からのコピーを手に入れたのです。

インターネット上の情報って、すごいでしょう?
あ、おわかりでない?

とにかく、その楽譜がナマで家に届いたら、その量(なにしろ20巻ですから)だけで圧倒されるでしょうね。これを、モーツァルトさんは、1ページづつ手書きされたのですね。

早くその楽譜を見てみたいです。
その楽譜を見ながら弾くと、またいっぱい発見があるでしょう。

……
明日は歌会なので、たぶん手紙は書けませんが、
また明後日に。♪

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アマデウスへの手紙・8

2006-10-12 00:09:33 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

この前の手紙のつづき、アダージォK.540 ロ短調のことを少し書きます。

これは、モーツァルトさん唯一のロ短調の曲、と言われていますが、フルートクヮルテットK.285 ニ長調の第2楽章がロ短調であることを、先日わたしが見つけたのでした。

でも、この2曲、ずいぶん違う。
およそ正反対と言ってもいいくらい。

Fl.Q の方は、なんというか、情緒にものすごく訴えかけてくる。
アインシュタインは「かつてフルートのために書かれた最も美しい伴奏つき独奏曲」と言ったとか。
一貫して、フルートソロ+3つの弦のピツィカート、というのがその雰囲気を余計にかきたてるのでしょうね。

対して、ロ短調アダージォは、ものすごく厳しくて、劇的。
モーツァルトさんが、自分はオペラの作曲家だ、と言ったこと、また、ドン・ジョヴァンニなどを思い浮かべてしまいます。

ですが、注意深く音型を見てみると、構造的にはこの2曲は似ているのですね。

Fl.Q の冒頭メロディを、経過音などを省いて、骨組みだけおおざっぱに見ると、「最初の音から4度上昇、その後6度下降」となるでしょうか。

アダージォの方は枝葉もなくシンプルで、「4度下降、その後6度上昇」。

ね?

なのにアダージォがなんでこんなに厳しく聞こえるのか。

一つは、素材がすごく限られているということ。無駄なものはなにも要らない、とでも言いたげに。もう「歌う」ことも、何か甘すぎて近づけないよう。

冒頭のメロディが、何度も何度も調を変えて出てくる。突然の休止、減七和音の多用。

この曲、「ロ短調」ということ自体、物凄いことですものね。
鍵盤楽器では、当時の調律でいえば、ロ短調は「歪んだ調」。(今度の京都芸術センターでも、調律は平均律ではなく古典調律(ヴェルクマイスター第3法)です。)

モーツァルトさん自身が自分でも意識できない領域、井戸の深いところへ降りて行っているのですね。9月18日の日記に書いた、〈村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」と「魔笛」〉を思い出してしまいました。

この曲を、自身の目録に日付入りで書き入れたとき、モーツァルトさんはどんな気持ちだったのでしょう?

……また明日書きますね。

今日は、一日秋の雨が降って肌寒い日でした。
これを書きながら「ドン・ジョヴァンニ」を聞いてるのですが、ちょうど第1幕が終わったところです。♪

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アマデウスへの手紙・7

2006-10-10 00:28:26 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

また今日、ひとつ発見してちょっとコーフンしてるところです。

今度の本番では、後半に「アダージォK.540 ロ短調(この特殊な調!)」を弾きます。
モーツァルトさん自身が、自分の作品目録に「1788年3月19日」と自ら書き入れた曲。

「モーツァルト唯一のロ短調の曲」と言われているので、ほんまかしら?と、調べたのです。
で、見つけたのが、フルートクヮルテットK.285(ニ長調)の第2楽章。
これが、ロ短調。

このクヮルテットのフルートのメロディ、何気なく楽譜を見てみたら、昨日の日記に「パクリ?」と私が書いた、あの、K.280のクラヴィアソナタ第2楽章(ヘ短調)のメロディに、またまた酷似!
シチリアーノ風といい、「ミ~ファミ → ラ(移動ド)→6度下降」という音型といい、ほんまよう似てる。
(「アダージォ・ロ短調」のメロディは、全然似てないので、この際おいといて…。)

流れとしては、
ハイドンさん「エステルハージ・ソナタ(第3番第2楽章へ短調)」(1773年)

→モーツァルトさん「クラヴィアソナタK.280第2楽章(ヘ短調)」(1775年)

→モーツァルトさん「フルートクヮルテットK.285第2楽章(ロ短調)(1777年)

→モーツァルトさん「ピアノ協奏曲K.488第2楽章(嬰へ短調)」(1786年)

ということでしょうか。
きっと、この間にも(特に、77年から86年の間)いくつかの類似メロディがあるんでしょうね。

お!そうこうするうちに、「アダージォ・ロ短調」のメロディも、解けてきたぞ!!

さっき、全然似てない、とか言ったの、ウソ。
一見(一聴)似てないけど、よくよく見てみたら……!

この続きはあした。

モーツァルトさん、きっと、こういうのって無意識でやってたんでしょうね。

でも、そういう、なんというか、底で繋がる、左脳的な部分がちゃんと支えているからこそ、右脳的なインスピレーションとかが生きるんでしょう。

その一端に、なんとか触れたいのです。♪

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アマデウスへの手紙・6

2006-10-08 01:20:06 | アマデウスへの手紙

モーツァルトさん、こんにちは。

今日は、昨日のハイドン先生の「エステルハージ・ソナタ」の話に関連して、モーツァルトさんのヘ長調ソナタK.280 のことをちょっと。

この1775年はじめに作られたソナタから、今回、私は第2楽章アダージォヘ短調(♭4つのすごい調!)を弾くのですが、その理由はおわかりですよね?

後年の名曲、イ長調ピアノ協奏曲K.488の第2楽章、嬰へ短調(これも普通ではない調)の冒頭メロディにそっくり、ということは、先日のプログラムメモにも書きました。
こんな深い曲が10代で突如出てくるの、凄い。
これは皆さんに聞いてもらわなくっちゃ、っていうことです。

で、それとは別に、先ほどからハイドン先生のソナタの楽譜を見ていて、発見!

「エステルハージ・ソナタ」第3番の第2楽章ヘ短調(同じヘ短調!)の冒頭メロディと、くりそつ!!
(業界用語使ってすみません。「そっくり」ってコトです。)

これって、パクリ?

著作権、てのもないはずだし、パロディでもないし、意識的か無意識か、でも、ハイドン先生の方が、たぶん、モーツァルトさんのこの曲より2年ほど早くできているみたい。

モーツァルトさん、もちろんハイドン先生のこの曲、知ってたのね?

前からうすうす気づいてたけど、ハイドン先生って、モーツァルトさんより20歳以上年上なのに、けっこう大胆な調の曲を書いてますね。

この「エステルハージ・ソナタ」だけを見ても、2番、3番、4番それぞれの第2楽章が、短調の曲。この時代、短調の曲、というだけで、なんか存在感ある。
ベートーヴェンの時代では、もはやそういうことはないけど。

やっぱり、すごい曲を見ると、刺激されて、それをきっかけに書きたくなるんですね?

わたし、このハイドン先生のヘ長調ソナタ、ずいぶん以前から気に入っていて、自分が弾くほかに、生徒の発表会とかにも弾かせていました(もちろん全楽章)。
今日あらためてお二人の重なりに気づいて、なんとなくにっこりしてしまいましたョ。

……

ここ何日か、外では金木犀の香りがしています。

あの小さな星のような花を両手にいっぱい集めて、それをパ~って花火みたいに撒いたらきれいでしょうね。
そういうこと、モーツァルトさんに似合いそう。

またあした。♪

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アマデウスへの手紙・5

2006-10-07 00:32:22 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

今日は、いくつか質問があります。

モーツァルトさんって、「ソナタ形式」とか、「提示部」「展開部」ってコトバ、知ってました?

もちろん、モーツァルトさんのソナタは、われわれが「ソナタ形式」と呼ぶ形で書かれ、「提示部」も「展開部」もあるんですが、その形は、ハイドン先生から習ったの?

でも、ハイドン先生の初期のソナタは、後期の立派なソナタ形式のものと全然違ってますよね?

ここで整理しておきますが、ハイドン先生は、モーツァルトさんより24歳年上。

だけど長生きされて、モーツァルトさんが1791年に亡くなったあと、なんと18年間(1809年まで)永らえていらっしゃる。

たとえば、ハイドン先生のクラヴィアのための「エステルハージ・ソナタ」6曲(1773年~1774年)と、同じ時期に書かれたモーツァルトさんのクラヴィアソナタ6曲 K.279~K.284(1775年初め)を比べると、明らかに、モーツァルトさんの曲の方が、21世紀の私達が呼ぶ「ソナタ」また「ソナタ形式」(第1楽章)に近い。

私は、ハイドン先生の個性的な「エステルハージ・ソナタ」、大好きで(ひょっとしたらモーツァルトさんの整ったソナタより好みかも?)、これらは、でも、「ソナタ形式」には収まりきらないファンタジーの噴出みたいな所が魅力。

というより、形式に何かをあてはめる、という概念があんまりない。

この1774年の時点で、少なくともハイドン先生のアタマの中には、21世紀の私達が親しんでいる「ソナタ形式」は、まだ存在しなかった、と言っていいのではないでしょうか?

その同じ時期に、作品によって多少の違いはあるとはいえ、モーツァルトさんは、もう「ソナタ形式」をきれいに書いたはる(しかも18歳で)!

モーツァルトさんのソナタって、ハイドンの「エステルハージ・ソナタ」に比べると、ずっとインターナショナルですよね。

やっぱり、小さな頃から旅行ばかりしてたから?

わたし、練習と演奏会準備の雑用(泣)に追われて、ちょっとお勉強(ハイドン先生やモーツァルトさんに関する読書)が足りてないの。

もちょっと調べてから、また続きを質問したいと思います。

今日は、週末なのにちょっとカタイ話になりました。

今から、お風呂→ビール、で、リラックスします。

またあした。♪

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