河野美砂子の「モーツァルト練習日記」+短歌+京都の日々の暮らし

11/23(土)13時30分 NHK文化センター京都「マズルカ⑫最終回」Op.67、Op.68全曲 

批評の基本

2007-08-31 23:14:42 | ショパン
9月12日の講演会「ショパンが知りたい」、
定員50名余りのところ
今週初めに64名で締めきり、
まだキャンセル待ちが10人ほどとか(!)。

やっぱりショパンって
人気あるんですねぇ。

2時間くらいのお話のなか
電子ピアノでミニ演奏も、という
従来の講演会とは違ったスタイルが
ひょっとしたら良いのかしら?

なるべく啓蒙的なお話(その生涯など)は半分くらいにして
ピアニストとして
楽器を使いながら
現場のお話(ここが面白い、とか、ここのこの音が天才だ、とか)
をたくさんしたいと思ってます。

とは言っても
たとえば少年の頃のエピソード
(夏休みの滞在先で新聞を発行、意外にもユーモアたっぷり等)や
社会的な背景(ポーランドの革命)、
ジョルジュ・サンドとの恋愛など、
押さえておかなければならないこと多々あり。

で、
遠山一行著「ショパン」(講談社学術文庫)を再読。

久しぶりに読みましたが
思わず線を引く箇所続出。

こんなに良い本だったとは。

昔に読んだときは
ちょっと難しかったのかも。

遠山さんの文章が
ある意味信頼できるのは、

批評文として、つまり文学としてこれを書く
という立場を貫きながら
いつも基本に在るのは
「耳」という点です。

楽譜や、社会的背景や
ショパンという人物像などのことではなく、

ショパンの音楽を「耳で聴いた」
その印象を必ず基本として
(作品に魅せられる、ということが基本)、

なぜそういう曲が生まれたのか
さまざまなことを調べ
書きながら思考していく
という態度が貫かれているからです。

まず
その対象物への「愛」がベースにある、
ということが
批評の基本だということ
あらためて感じました。



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河合先生おわかれ・戸隠の会

2007-08-29 21:28:18 | 悼・河合隼雄先生
東京へ行ってました。

河合隼雄さんのお別れの会が
9月2日に京都で開かれるのですが、
たぶん、ものすごく大掛かりな
公式的な会になるみたいなので
(当初、京大のホールで、という話だったのですが
国際会議場に変更されました)、

戸隠の会としては、
別の日に、戸隠で小さな会をしようということになり
相談してきました。

11月3日、
谷川俊太郎さんの詩の朗読と
私のピアノで40分~50分ほど、
山田さんのお話
ということのみ決まり。

どんな曲がいいか
いろいろ思案中。

今のところ、
シューベルトの最後の変ロ長調ソナタ(遺作)の
第1楽章を中心に
先生がお好きだった
バッハとモーツァルトを少し、
と思っているのですが。

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その道のプロの会話

2007-08-25 23:15:41 | 他のジャンルと音楽
たまたま見た教育TV「芸能花舞台」で
「伝説の至芸・三世尾上多賀之丞」というのを見ました。

三世尾上多賀之丞という人は
いわゆる脇役、
女の老け役では天下一品という役者だったらしい。

ゲストは、
多賀之丞と同じような役をやることの多い歌舞伎役者
澤村田之助さんと
歌舞伎評論家の、渡辺保氏。

昔のVTRを見ながら
二人が話す、
そのプロの話が滅法おもしろかったです。

私は途中から見たのですが、
たとえば
「仮名手本忠臣蔵・六段目」。

お軽と勘平の話の中で
勘平が闇の中で殺した人が、
お軽の父親だったかもしれない、という場面。

お軽の母親(多賀之丞)が、
そのことで婿である勘平を責め立てるところ。

(最後には勘平はその母親の責めに耐え切れず
切腹してしまいますが、実は殺したのは別人だった→
お軽にとってもその母親にとっても大悲劇です。)
                 
母親は見るからに老女ですが
勘平を責める
恨みに満ちた長~い長~いセリフ。

その場面を見ながら
田之助氏と渡辺氏が言うには、

「これ、一息ですね~。」
「言葉と言葉のあいだに間(ま)はあるけど
息を継いでいない。」
「息を継いでしまったら、
そこで発散してしまうからだめなんですね。」
「溜めて溜めて溜めておかないと。」

「ほんとにエネルギーが要るんですね。」
「私(田之助氏)がこの役をやった一ヶ月公演の間は、
毎日毎日ビフテキか焼肉を食べたかったです。」                  
等等。
おもしろ~い。

これって、まったく
私がたとえばベートーヴェンを弾く時に感じること。

「みずからその場(舞台上でのある場面)で発散してしまったら
その演奏はお客には通じない。」 

たとえば
クレッシェンドをする時、
人間の自然な習性として
テンポも少し前向きに速くなるのですが
それをやってしまうと×の場合が多い。

辛抱して辛抱して
前へ行きたいのをブレーキかけて
でもクレッシェンドはする、
みたいな感じ
がだいじ。

坂道を下るとき、
ほっとくと
だんだん前のめりに駆け出してしまいますが
それをエネルギー使ってしないようにする。

一歩づつ踏みしめて
平地を歩くのと同じ速さで下る。

それにはエネルギーが必要です。
エネルギーがないと、
どどどっと速く下ってしまう。

エネルギーを使わないと
相手のココロには届かない
(音は物理的に耳に届くけど)。

ラクしてたら
相手の耳には
右から左で終わってしまう。


他にもいろいろありましたが、
とにかく
現場の人(田之助氏)と、
現場をよく知っていてそれを聞き出す人(渡辺氏)の
ある種マニアックな会話は
本当に良かったです。

じつは、渡辺保氏に関しては、
私は毎日新聞の書評欄でその名を知っていました。

何度もその文章に感銘を受けたことがあるからです。
(歌舞伎以外に関しても書評すばらしい。)

秘かに渡辺氏はすごい、と思っていたら
ある時、高橋睦郎氏も同じお考えだったので
うれしくなったことありました。


話かわりますが、
思うに
最近のNHKクラシック音楽番組は
いわゆる啓蒙的なものが多すぎて
上のような
良い意味でのマニアックなものは
ほぼ壊滅状態です。

これでは
結局はお客さんは離れていく、
と私はつよく思います。

現場の人同士の思い切りマニアックな会話
プラス
その会話を一般の人と繋げる役目の人
というメンバーでの鼎談
みたいなの、
聞いてみたいですねー。

            
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SLとモーツァルト

2007-08-24 18:13:06 | 京都の暮らし
京都の郊外、亀岡の
湯の花温泉に小旅行してきました。

京都の奥座敷
とも言われてる所だそうです。

前日夕方の思いつきでしたが
「すみや亀峯庵」というお宿、
とても良かったです。

食事はお部屋ではなく
ダイニングでするのですが、
そのダイニングが
たいへん贅沢な作りになっていました。

ダイニング以外の部分でも
建物の内装全体がたいへんシックで
徒然文庫という名の読書室もあり
ちょっと
由布院の亀の井別荘や玉の湯さんを
思い出す雰囲気でした。

露天風呂は
私一人の貸切状態で、
ちょうど夕方の
雷雨が激しい時間でしたが
稲光を見上げつつ雨に濡れながらの露天風呂、
なかなかオツなもんでした。

お風呂のあと、
ワインのリストを見ると
オーストリアのワインがたくさん!
とっても珍しい。

以前ウィーンに住んでた関係で
私達はオーストリアワインに興味あり
なんで亀岡にオーストリアワインなん?
と思っていたら
亀岡と
なんとかいうオーストリアの街が
姉妹都市という関係で…
ということでした。

一泊した翌日は
保津川下り。
車を亀岡の乗船場に置いて、
約1時間半という長旅。

前日雨が降ったので
水量がちょうど良く
また、奇跡的にその日だけ涼しく
気持ちよかったです。

嵐山に着いたあと、
乗ったことなかった
トロッコ列車にも乗ろうと
トロッコ列車嵯峨駅に行ったのですが、

そこには19世紀ホールという場所があり、
なぜかSLといっしょに
ベーゼンドルファーのグランドピアノと
チェンバロが置いてあったのでした!!

しかも
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど
等身大の彫像も!!!
?!?!

なんでここにモーツァルトなん?

ようわからん。。。

駅員さんにお聞きしたのですが、
「19世紀」ということで
社長さんがどうのこうの、というお話。

SLのでっかいのが3つほど置いてある前に
ベーゼン。
その横に
モーツァルト等の彫像。

なんかようわからんけど
たいへん印象的な空間ではありました。

トロッコ列車は、
コースは以前の山陰線なので、最高。

列車はちょっとディズニーランド風?

……
とにかく無事
亀岡まで(再び亀岡に戻ってきました)。

そこから
置いてあった車に乗って帰路、
9号線→千代原口→物集女街道→嵐山(再び!)→
広沢池など観光道路→金閣寺
というコースで
帰宅しました。

昨日は、
亀岡に2回行って
嵐山にも2回行く、という
めったにないコトしました。
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和歌山大会

2007-08-20 02:20:37 | 短歌

塔短歌会全国大会、和歌山より帰宅しました。
約150名が参加。

土曜日の鼎談は、無事終了しました。
話していて楽しかったし
おおむね好評だったようではありました。

ただお客様はいろんな方がいらっしゃるので
ある方々にとっては
マニアック過ぎたかもしれない?

例歌はもっと絞った方が良い、
というアドヴァイスもY川さんより。

続く「歌合わせ」では、
歌合せのスターK木さんが
バクダン発言!!

不謹慎ながら
私のなかでは大ウケ。。。

内容は、
怖くてとてもここには書けません。


懇親会の後は
夜中の3時過ぎまで3次会4次会。
今朝の歌会(私はB組に参加)は
タイネムのチーキョクでした(ねむたいの極致)。

ホテルはお城が一望できるロケーションで
広くてきれい、
気持ちよく過ごせました。

以下、明日締切の塔の10首より。

和歌山の夜は終はらず歌会Bテーブルの上に眠り打ち寄す

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破調と定型の境界

2007-08-17 17:17:47 | 短歌
明日18日午後1時過ぎより、
塔短歌会の全国大会(ダイワロイネットホテル和歌山
電話 073-435-0055))で鼎談をします。

メンバーは、
真中朋久さん、澤村斉美さんと私。

今回の鼎談のために
先週、三人が集まり
いろいろと話しました。

その後、メールでやりとりするうちに
「破調」っていったい何?
ということになってきました。

というのも
最近の現代短歌は
五七五七七、5句31音という定型はむしろ少数で
たいていが字余り。

また、
「句割れ」「句またがり」も
広義には「破調」らしいので、
それも入れると
現代短歌では破調の方が主流、
となります。

結局今回は、
大幅な破調ではなく
定型と破調との境界線をさぐる、
という主旨のもと
具体的な作品を挙げて
話し合うことになりました。

3人でやりとりしたメールは
数十通以上。

その甲斐あって
明日は
なかなか面白くて充実したものになりそう。

たのしみです。
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ホ長調のためのホ短調?

2007-08-15 23:49:00 | モーツァルトに関係ないですが。音楽関連♪
ベートーヴェン「ピアノソナタOp.90ホ短調」について考えるうちに
タイトルのようなことが思い浮かびました。

ベートーヴェンの全作品のうちで
大きなホ短調の曲といえば
「ラズモフスキー2番」(弦楽四重奏曲)でしょうか。

これは、第2楽章が
ベートーヴェンの思い入れたっぷりの
「Molto Adagio」ホ長調。

第2楽章冒頭に、わざわざ
「Si tratta questo pezzo molto di sentimento」
(この楽章は深い感情をもって演奏するように)
とイタリア語で書き入れたベートーヴェン。

第1楽章に対して、
この第2楽章は内容的に
また、量的にもたいへん重い。

この第2楽章ホ長調を訴えたいがため、
ベートーヴェンは第1楽章ホ長調を用意したのでは?
という私の推理、
けっこう説得力があるように思います。

これに付随して思い浮かべるのが
「ピアノソナタOp.109 ホ長調」。

第1楽章の、あのなんともいえない
天から降ってくるような
妙音の聞こえる冒頭のホ長調。

最終楽章ヴァリエーションの
天国的な3拍子のテーマもホ長調。

それに挟まれた
激しいPrestissimo は
ホ短調です。

「傑作の森」とも呼ばれ
大作が目白押しの「中期」を過ぎて
ベートーヴェンは、
それまでとは違って「小さなピアノソナタ」
(Op.78もこのOp.90も2楽章しかありません)
しか必要を感じなくなったのです。

その時、「ピアノソナタOp.90」の
第2楽章(最終楽章)ホ長調や
Op.109の冒頭やヴァリエーションの、
あの穏やかで柔らかく、また深い感情に
たいへん心を寄せていたのです。

特に、Op.109のヴァリエーションは、
次のOp.110変イ長調の「天国」、
または
Op.111最後のピアノソナタのヴァリエーションに直結する曲で

この「天国」を感じるためには
どうしてもその前に
ホ短調Prestissimoの激しさが必要だった。

今回気づいたのですが、
Op.90の一番最後の終わり方は
そのまま、次のソナタ(Op.101)に
見事につながります。

Op.101といえば、
第1楽章の抒情が
なんとも印象的なソナタ。

(Op.101は、イ長調だけど
冒頭、ホ長調の和音で始まります!)

Op.90の第2(最終)楽章の気分は
そのままOp.101の冒頭の抒情につながるのですね。



今、ラズモフスキー2番をCDで聞いていて
フィナーレのPrestoになったのですが、
この音楽
不思議な感じ。

楽譜では
♯一つの、まぎれもないホ短調の楽譜なのですが
いきなり
どう聞いてもハ長調です!

ベートーヴェンさん
これ
とっても自慢だったのでしょうねぇ。

おお、最後の和音!

Piu Presto になった後、
最後の和音が
第1楽章冒頭の
トニカ+ドミナントの二つの和音に回帰します!

いかにもベートーヴェンさんらしい、
終わりましたーって感じ。

ハ長調で始まったけど
もちろんホ短調で終わる
ってとこを強調したのですね。

これ、ご自慢だったのですねー。♪
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ホ短調の性格

2007-08-13 18:11:24 | モーツァルトに関係ないですが。音楽関連♪
先日、
ベートーヴェンの
ピアノソナタホ短調Op.90をレッスンしていて
「ホ短調」という調性の性格について
考えました。

案外、イメージがはっきりしない。

ベートーヴェンの作品の中に
ホ短調が少ないのです
(ラズモフスキー2番とか、Op.109ピアノソナタのPrestissimoなど)。

他の作曲家の作品で思い浮かぶ曲といえば
モーツァルト唯一の短調のVn.ソナタ、
メンデルスゾーンVn.コンチェルト、
ドボルジャーク「新世界」など。

「新世界」を入れてしまうと
イメージが分散するので除外するとして。


今日は、仮説として以下を書いておきます。

「ホ短調」は、
「ホ長調」(♯4つの、潤いのゆたかな調)に奉仕するための調
ではないか、ということ。

これ、私の直感ですが。

詳しいことはまた明日に。
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小泉文夫

2007-08-11 00:49:47 | 短歌
小泉文夫の著作を再読しつつ
あらためて
偉大で、貴重な人だったこと確認しています。

「音楽の根源にあるもの」と
「日本の音」(平凡社)2冊とも
音楽というより、音の根源(コトバも入る)に立ち返って、

音楽(世界のあらゆる音楽)と、
音楽以外の
演劇、文学、建築、美術、造園、その他
茶道や華道から
ある民族の一般人の日常態度から気づくことなど

広範な知識と実体験をもとに
さまざまな思考と問題提起を
示してくれます。

私が、
音楽(いわゆる西洋音楽のピアノ)と
現代短歌実作の両方やっていることを
学問的(理論的)に
深いところでつなげてくれる人だと思いました。
(感性的につなげてくれる人は、たとえば杉本秀太郎氏など)


東京藝術大学の教授であった1983年、
58歳で亡くなられたのは
本当に本当に
もったいないことでした。
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七五調の謎をとく

2007-08-08 22:28:16 | 短歌
この何日か、
8月18日の鼎談「定型を踏みはずす―破調と定型の境界」に向けて
読書に励んでいます。

中では、
坂野信彦「七五調の謎をとく」(大修館書店・96年初版)が◎。

でも短歌界では
この本、あんまり取り上げられない(?)みたい。

というのは
坂野氏という人、
この「七五調…」の数年前に、
「深層短歌宣言」(91年)を書いて
短歌実作者の間で
けっこう反発くらったとか(?)。

私はその時代
まだ短歌はやっていなかったので
今回、坂野氏という人物の
先入観なしにざっと読んでみましたが、
記紀歌謡から塚本邦雄、俵万智まで取り上げ
非常に具体的、かつ説得力あり。

「深層…」では、
現代短歌に対しての坂野氏の主張があったらしいのですが
(それに歌人が反発した?)、

この「七五調…」では
なぜ七五調なのか、ということを
ものすごく丁寧に調べ、数字(%)を挙げ、
敏感な聴取力で歌を感じ取り、
とても説得力がありました。

たとえば結句7音が
四+三か三+四かでどのように感じが違うか
私自身なかなか言葉ではっきり説明できませんが、
坂野氏の文を読んで、なるほど、と思いました。

茂吉の有名な「四三…」についても
茂吉がそう感じた理由と、
その前の時代がそうでなかった理由が
たいへん整合性をもって書かれています。

万葉集の時代と王朝和歌の決定的な違いを
具体的な「リズム」を取り上げて指摘。

さらに、
それらの歌が声を出して読まれるときの
読み方の違いまで、
さまざまな例証を挙げてほぼ断定(?)しています。

PC検索したところ
90年代最初の「深層…」出版後、
いろいろあったらしいですね。

私の感じでは、
そのことで坂野氏は短歌界からソッポを向かれ、
だから、その後96年出版の「七五調…」を
短歌界ではあまり取り上げなかった、
ということだと想像します。

思うに、
「深層」で坂野氏も懲りて
数年後の「七五調」では
ただひたすら研究の成果を客観的に書くことに務めた、
ということではないでしょうか?

少なくとも
別宮貞徳「日本語のリズム」(ちくま学芸文庫)よりは
ずっと信頼が置ける感じです。

別宮氏のは
まだほんの30ページほどを読んだだけですが、
なんの根拠もない独断に満ちています(この先読む気なし)。

たとえば、
「歌はなぜ歌われるか」という所。

「田植え歌」などが存在することからも、
一般的に「労働のとき…」と思われているし、
彼もなんの疑いもなく、調査もなくそう書いていますが、
それってウソ。

あの小泉文夫の研究では有名な(?)話です。

本居宣長の言
(別宮氏の「日本語のリズム」ちくま学芸文庫28ページ)を
別宮氏はいとも簡単に(なんの根拠も示さず)
「真実ではない」と書いていますが、

本居宣長のこの言葉についても
坂野氏はたいへん丁寧に解説、
論拠をいっぱい挙げて、
この本居の言が正しいということを
書いています。

くやしいのは、
今回のために
この、ちくま学芸文庫の「日本語のリズム」を
ネットショッピングしたのですが、

この本
実はずっと以前、
講談社の新書シリーズで出版されていて
わたし、
その本もってたんです

しょうもない本
2冊もこうてしもた…。


今は、
小泉文夫「日本の音」(平凡社ライブラリー)を
読みなおし。

小泉文夫って
ほんとーに偉いというか、すごいというか
素敵な学者さん
というより、

現場の人でありながら
人物として魅力に富み、
かつ
モノゴトの視野がとてつもなく広く
プラス
思考が深い。

もう亡くなって20年ほど過ぎますが
あまりにも若すぎる死でした。


他に、
川本皓嗣『日本詩歌の伝統-七と五の詩学』、
アマゾンで申し込みました。
サントリー学芸賞受賞作なんですね。
たのしみにしてます。

  
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日本語のリズム

2007-08-06 23:39:07 | 短歌
8月18日(土)午後
塔短歌会の全国大会が開催され
そこで鼎談をすることになりました。

「定型を踏みはずす―破調と定型の境界 」というテーマ。

澤村斉美さん(先ごろの角川短歌賞受賞者)
真中朋久さん(塔選者・現代歌人協会賞受賞者)と
私の3人で。

最近、小池光氏なども
定型のリズムについての評論を連載されたり(「短歌研究」)
「音」としての短歌の特集が
総合誌であったり(角川「短歌」3月号、「短歌現代」3月号)。

その日のため
参考文献として
いろいろナナメ読みしています。

中では
坂野信彦「七五調の謎をとく―日本語リズム原論」
(大修館書店)というのがわかりやすい。

古代歌謡から、俵万智、本邦雄まで
具体例をふんだんに出しながら
主にリズム(声に出して読む・詠じること)を中心に
長年の研究をまとめ
いろんな数字(%)を挙げているので
説得力があるようです。

他に、
別宮貞徳の「日本語のリズム」(ちくま学芸文庫)や
岡井さんのものも読まなくちゃ。

音楽家サイドから
「ユリイカ」に以前掲載された
林光の文章や、
小泉文夫のもぜひ。

菅谷規矩雄「詩的リズム―音数律に関するノート」は
ずっと前に買って読んでなかったので
今回読もうとしましたが
あまりにヤヤコシくて挫折。


鼎談の前に、河野裕子氏の講演もあり。
公開イヴェントですので
ご興味あればお出かけくださいね。

ダイワロイネットホテル和歌山 
電話 073-435-0055
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最終回 悼・河合隼雄さん⑫

2007-08-04 02:07:26 | 悼・河合隼雄先生
私が先生に最後にお会いしたのは、
去年の6月の戸隠でした。

例の「宿題」の時です。

翌日曜日は、毎年
ハイキングや
茸鍋や
いろいろイヴェントがあり
たいへん楽しみにしているのですが、

去年、私は
どうしても急いで帰らなければならない事情があり
次の日早朝に出発。

先生とは
前の日の本番後にお話したのが
最後となりました。

いつもは
「ランプ」での打ち上げパーティーのあと
宿舎の高山坊に帰って
そのままそれぞれの部屋で眠るですが、

去年は
高山坊に帰ったあと
談話室みたいなところで
遅くまで何人かとワイワイやってました。

先生とは
珍しく隣同士の席になり
いろんなお話をしました。

何のきっかけだったか、
人が死ぬことについての話になり、

わたしは、
私の知人が
マンションの9階から飛び降りたんです

先生に言ってしまいました。

先生は、
は~、かわいそうにな~…
とか
いろいろおっしゃった後に


ひかりが見えたんかもしれませんなぁ……

と、ひとことおっしゃいました。


光。

ひかりですか……。



……
先生、

先生も
やっぱり
その「ひかり」が見えたのですか?


その光のなかで
フルート吹いたはるのですか?





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戸隠② 悼・河合隼雄さん⑪

2007-08-02 19:31:13 | 悼・河合隼雄先生
戸隠での思い出は
ほんとうにいっぱいあります。

いつも土曜日本番で、その夜は
「ランプ」で打ち上げパーティー。

先生は、そこで
童謡を片っぱしからフルートで吹き
(先生はたいていの曲は楽譜なしでもOKでした)、
みんなでそれを歌うのが
大好きでした。

私はもちろん
ほとんどの曲は知っているので
そこにあるアップライトピアノで
伴奏できましたが、
ときどき「戦前」の歌が出てきて
それには困りました。

(「兵隊さん♪」とかいう歌の替え歌で
「厨房さん♪」と先生は歌われました。
そのパーティーのお料理を用意してくれた
女性陣に敬意を表して。)

翌日曜日は
いろいろイヴェントがありました。
蕎麦打ち、
キノコ狩り、
バーベキューなど。

ある年は、
当時の戸隠村の役場にも行きました。
(これは本番の前日だったと思う。)

99年スタート当初は
楽器(ピアノ)がなく、
毎年グランドピアノを運び込みましたが、
運送費がものすごく高くつくのがモンダイでした。

何年目だったか、
そのことを知った先生は
ポケットマネーで
中古のグランドピアノを村に寄付。

当時文化庁長官だったこともあってか
先生はそのことで村役場まで行かれ、
職員の方たちを前にお話もされました。

その楽器を選定したのは私ですが、
先生はそのピアノが
「カワイ」でなかったのがウンヌンと
いつもの冗談も快調。


でも
私が一番印象深く覚えているのは
色紙にサインをしていた時のことです。

3人の出演者のサインということで、
先生の縦書きサイン「河合隼雄」の左隣りに
私は「河野美砂子」と書いたのですが、

筆ペンで書かれた
先生のサインがまだ乾いていなかったため
私の右手が
先生のサインを汚してしまいました。

あ~どうしよ~
とか言ってると、

先生はその色紙を手に取り
ちょっと遠くにかざして

「ふ~ん、〈河合隼雄〉に〈影〉がありますな~。」

と、わりと感慨深げにおっしゃって
しばらくそれを眺めていらっしゃいました。




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戸隠 悼・河合隼雄さん⑩

2007-08-01 17:07:29 | 悼・河合隼雄先生
戸隠での「お話と朗読と音楽の夕べ」は
1999年秋から始まって
毎年1回開催。

去年の6月で8回目でした。

河合先生は
毎年、戸隠をとても楽しみにしておられ、
どんなに忙しくても
戸隠の日だけはなんとか確保されていました。

特に長官になられてからは
本当に超御多忙で、
東京で単身赴任の身ではあっても
晩御飯を家で一人で食べる時がない(会食などで)、
とおっしゃってました。

戸隠の「お話…」では
毎回テーマを決めます(「読む」「木」など)。

その相談に
前もって
先生、谷川さん、山田さん(企画のモトジメ)と私が
集まるのですが……

そうそう、思いだしてきました。

ずっと昔は先生も時間に余裕があったので
その相談が終わったあとだったと思うのですが、
4人でカラオケへ行ったこともあります。

先生は童謡を歌わはりましたね。
私は、松任谷由美の「あの日に帰りたい」。
谷川さん、山田さんはなんだったかな?

私は、カラオケ生まれて2回目の経験だったので
忘れがたい思い出です。

で、
その前もっての相談ですが。

新宿の韓国料理屋さんに
夜行くことが今までは多かったのですが、
去年だったか
どうしても先生の夜の時間が取れず、
お昼休みの文化庁に来て、
ということになりました。

ちょうど文化庁の引越しのときで、
丸の内近くの仮の場所でしたが
長官室の先生の仕事部屋で
先生のポケットマネーで
お弁当をご馳走になりました。

先生の大きな仕事机の上には
未決、保留、済み(だったと思うのですが?)
と書かれた三つの木の箱がありました。

未決の箱には山のような書類が積んであり
済みの箱は空っぽだったの覚えてます。


戸隠の「お話…」は
毎年、秋の土曜日の夜に開催していたのですが、
去年はどうしても先生の調整がつかず
秋に開催するところを
6月に早めました。
みんなとても楽しみにしていたので。

このつづきはまた明日。
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