河野美砂子の「モーツァルト練習日記」+短歌+京都の日々の暮らし

9/28(土)13時30分 NHK文化センター京都「マズルカ⑪」Op.63、バラード第1番他 

アマデウスへの手紙・8

2006-10-12 00:09:33 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

この前の手紙のつづき、アダージォK.540 ロ短調のことを少し書きます。

これは、モーツァルトさん唯一のロ短調の曲、と言われていますが、フルートクヮルテットK.285 ニ長調の第2楽章がロ短調であることを、先日わたしが見つけたのでした。

でも、この2曲、ずいぶん違う。
およそ正反対と言ってもいいくらい。

Fl.Q の方は、なんというか、情緒にものすごく訴えかけてくる。
アインシュタインは「かつてフルートのために書かれた最も美しい伴奏つき独奏曲」と言ったとか。
一貫して、フルートソロ+3つの弦のピツィカート、というのがその雰囲気を余計にかきたてるのでしょうね。

対して、ロ短調アダージォは、ものすごく厳しくて、劇的。
モーツァルトさんが、自分はオペラの作曲家だ、と言ったこと、また、ドン・ジョヴァンニなどを思い浮かべてしまいます。

ですが、注意深く音型を見てみると、構造的にはこの2曲は似ているのですね。

Fl.Q の冒頭メロディを、経過音などを省いて、骨組みだけおおざっぱに見ると、「最初の音から4度上昇、その後6度下降」となるでしょうか。

アダージォの方は枝葉もなくシンプルで、「4度下降、その後6度上昇」。

ね?

なのにアダージォがなんでこんなに厳しく聞こえるのか。

一つは、素材がすごく限られているということ。無駄なものはなにも要らない、とでも言いたげに。もう「歌う」ことも、何か甘すぎて近づけないよう。

冒頭のメロディが、何度も何度も調を変えて出てくる。突然の休止、減七和音の多用。

この曲、「ロ短調」ということ自体、物凄いことですものね。
鍵盤楽器では、当時の調律でいえば、ロ短調は「歪んだ調」。(今度の京都芸術センターでも、調律は平均律ではなく古典調律(ヴェルクマイスター第3法)です。)

モーツァルトさん自身が自分でも意識できない領域、井戸の深いところへ降りて行っているのですね。9月18日の日記に書いた、〈村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」と「魔笛」〉を思い出してしまいました。

この曲を、自身の目録に日付入りで書き入れたとき、モーツァルトさんはどんな気持ちだったのでしょう?

……また明日書きますね。

今日は、一日秋の雨が降って肌寒い日でした。
これを書きながら「ドン・ジョヴァンニ」を聞いてるのですが、ちょうど第1幕が終わったところです。♪

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