たまたま途中から見たBSの「ボストリッジ・テノールリサイタル」。
ボストリッジは、私はもちろん今までにCDで聞いていて
その声、というより音程の綺麗さでは随一、という印象。
(たしか「冬の旅」の、ヘンな演技付きのDVD見た記憶あるが)
歌曲集「冬の言葉」から ( ブリテン曲 / ハーディー詩 )
I 十一月のたそがれ
II グレート・ウェスタンの真夜中
III せきれいと赤ん坊
IV 古い小机
V 聖歌隊指揮者の葬式
VI いばった歌い手たち
VII 停車場で
VIII 生まれる前と死んでから
詩ともども、なかなか存在感のある音楽だった。
ブリテンの歌曲は、私は初めて聴いたけど
ほとんど歌は、伴奏ピアノとぶつかる音程ばかりのところ
ボストリッジはほんとに綺麗に「ぶつかる」。
音程というのは
もちろんチューナー等で機械的に「正しい音程」というものが存在するのだが
人間の耳にとっての快感というか
「最も美しい音程」というものがあって
それは
本当にただの一点でしかない(ほんの何分の1ヘルツでも違ったら×)。
もうちょっと正確にいうと、
それは音程のみの話ではなく
音質(今の場合は「声の音色」)とも密接に関係していて
たぶん
音程+音質のバランスがぴったりしたとき
「美しい」と私は感じるのだと思う。
(だから、よくあるネット上でのサイトで、音程のみを電子音で聞かせて云々するということは、やはりナンセンスとしか言いようがない、と思います。
どんなに理想的な音程で再現しても、その音色や表現が「機械的」では、まったく美しくない。
逆にいえば、やや音程が高め、あるいは低めでも、その時の音色や表情と一体となって「音楽」として聞こえてきたとき、その高めまたは低めの音程が、言われもなく説得力を持つのです。
少なくとも私はそういう例をたくさん知っています。)
・・・ということで
ボストリッジは
その音程(と音質)の点では本当に本当に信じられないほど綺麗だった。
ただ、その歌う姿というかカオが
なんというか、ちょっと違和感が・・・。
ボストリッジ自身は長身スマートな青年で
お顔も、いわゆるイギリス人(アングロサクソン)みたいな・・
決してブサイクではないどころか、イケメンっぽい。
なのに、カオや口をヘンにゆがめ
あるいは、客席に真正面に向かわないで歌う・・・。
それは歌詞の内容に影響されて・・・?
あのゆがんだカオや口から
あの美しい声と音程が聞こえてくるのが
なんとも不思議だった。
後半の曲、カワードという人の曲と、ポーターという人の曲
いずれも半分ポピュラーっぽい軽いもの。
ここではボストリッジは
ずっとポケットに手を突っ込んで歌ってた!
(昔のクラシックリサイタルでは考えられないデス)
時代は変わるのね。
そういえば衣装も
ソリストもピアニストも上着こそタキシードだけど
ネクタイなし(!)で
おしゃれな白いブラウスっぽいもので
一番上のボタンをはずして。
ピアノのジュリアス・ドレイクは素晴らしかった。
でも
演奏後、ソリストよりも先に引っ込むのも
時代が変わったのね~、と思いました。
・・・・
いま調べたところ
ボストリッジについて以下のことがわかりました。
・・・オックスフォードどケンブリッジ大学で哲学と歴史を学び、1990年に博士号を取得。専門は中世ヨーロッパの魔術師でこの分野でも若手の権威として知られている。・・・
「中世ヨーロッパの魔術師」!!
そう、まさにそんなカオでした!!!
ボストリッジは、私はもちろん今までにCDで聞いていて
その声、というより音程の綺麗さでは随一、という印象。
(たしか「冬の旅」の、ヘンな演技付きのDVD見た記憶あるが)
歌曲集「冬の言葉」から ( ブリテン曲 / ハーディー詩 )
I 十一月のたそがれ
II グレート・ウェスタンの真夜中
III せきれいと赤ん坊
IV 古い小机
V 聖歌隊指揮者の葬式
VI いばった歌い手たち
VII 停車場で
VIII 生まれる前と死んでから
詩ともども、なかなか存在感のある音楽だった。
ブリテンの歌曲は、私は初めて聴いたけど
ほとんど歌は、伴奏ピアノとぶつかる音程ばかりのところ
ボストリッジはほんとに綺麗に「ぶつかる」。
音程というのは
もちろんチューナー等で機械的に「正しい音程」というものが存在するのだが
人間の耳にとっての快感というか
「最も美しい音程」というものがあって
それは
本当にただの一点でしかない(ほんの何分の1ヘルツでも違ったら×)。
もうちょっと正確にいうと、
それは音程のみの話ではなく
音質(今の場合は「声の音色」)とも密接に関係していて
たぶん
音程+音質のバランスがぴったりしたとき
「美しい」と私は感じるのだと思う。
(だから、よくあるネット上でのサイトで、音程のみを電子音で聞かせて云々するということは、やはりナンセンスとしか言いようがない、と思います。
どんなに理想的な音程で再現しても、その音色や表現が「機械的」では、まったく美しくない。
逆にいえば、やや音程が高め、あるいは低めでも、その時の音色や表情と一体となって「音楽」として聞こえてきたとき、その高めまたは低めの音程が、言われもなく説得力を持つのです。
少なくとも私はそういう例をたくさん知っています。)
・・・ということで
ボストリッジは
その音程(と音質)の点では本当に本当に信じられないほど綺麗だった。
ただ、その歌う姿というかカオが
なんというか、ちょっと違和感が・・・。
ボストリッジ自身は長身スマートな青年で
お顔も、いわゆるイギリス人(アングロサクソン)みたいな・・
決してブサイクではないどころか、イケメンっぽい。
なのに、カオや口をヘンにゆがめ
あるいは、客席に真正面に向かわないで歌う・・・。
それは歌詞の内容に影響されて・・・?
あのゆがんだカオや口から
あの美しい声と音程が聞こえてくるのが
なんとも不思議だった。
後半の曲、カワードという人の曲と、ポーターという人の曲
いずれも半分ポピュラーっぽい軽いもの。
ここではボストリッジは
ずっとポケットに手を突っ込んで歌ってた!
(昔のクラシックリサイタルでは考えられないデス)
時代は変わるのね。
そういえば衣装も
ソリストもピアニストも上着こそタキシードだけど
ネクタイなし(!)で
おしゃれな白いブラウスっぽいもので
一番上のボタンをはずして。
ピアノのジュリアス・ドレイクは素晴らしかった。
でも
演奏後、ソリストよりも先に引っ込むのも
時代が変わったのね~、と思いました。
・・・・
いま調べたところ
ボストリッジについて以下のことがわかりました。
・・・オックスフォードどケンブリッジ大学で哲学と歴史を学び、1990年に博士号を取得。専門は中世ヨーロッパの魔術師でこの分野でも若手の権威として知られている。・・・
「中世ヨーロッパの魔術師」!!
そう、まさにそんなカオでした!!!