河野美砂子の「モーツァルト練習日記」+短歌+京都の日々の暮らし

9/7(土)15時 京都府民ホール・アルティ シューマン「ピアノ三重奏曲第2番ヘ長調」Op.80 

アマデウスへの手紙・14

2006-10-23 23:40:17 | アマデウスへの手紙
モーツァルトさん、こんにちは。

一つ前の手紙で、短歌について少し書きました。
五句31音のうちのどこか(たとえば助詞など)を動かすと、他のコトバもも自動的に変わっていく、みたいな話でした。

それに関連して、演奏も似たようなことがあると思ったのです。

たとえば、あるソナタの第1楽章を弾くとき、冒頭の音から最後の音までの容量が、弾く前にもう決まっている(見えている)。
それは或る意味で、短歌の五七五七七(五句31音)という枠とおんなじ。

冒頭から弾き出して、たとえば、或る箇所を、ちょっといつもより時間をかけて弾いたとしたら、その分を、どこかでうまいバランスを取る。
テンポで取り戻すとは限らず、ディナーミクや、歌い方や、その他、いろんな要素を総合して、第1楽章全体の枠の中でなんとかカタをつける、みたいな。

コトバにするとまどろっこしいけど、そういうことってありますよね。

音って、とても物理的なもの、って私は感じるのですが、「物理的」というイミの使い方、まちがってるかしら? 数値化はできないけど、でも、エネルギーのやり取り×音色、とか、なんだか知らないけど、そういう感覚があるのですが。

う~ん、これ以上言っても、ややこしくなるばっかりですね。

今日は、雨が降っています。
音楽室は一定の湿度に保っているはずなんですが、楽器は敏感で、タッチがすごく変化しました。

どんな状態でも対応できるよう、練習さらにしなくっちゃ。

モーツァルトさん、時々は返事ちょうだいね。♪

コメント
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