我が家は地上35メートルくらいのところにある。「夏は涼しくていいでしょう」と言われる。確かに風があればクラーはいらない。けれど、冬は風がまともに当たるので、寒いばかりか屋外の物がひっくり返ったりするから大変である。それでも、ルーフバルコニーで花を育てている。夏の朝は日陰になるので、高原の爽やかさを味合うことが出来る。鉢の土は春と秋の植え替え時期に、鉢から出して新しい肥料を加えて利用している。
私が植えたこともないものの芽が出てくることが時々ある。こんな場所にどうしてなのか不思議だけれど、毎年この夏にいくつかの知らない草木を見つける。芽が出てある程度育つと、鉢に植え直してやる。そうしている内にランタナは30鉢以上になってしまった。9鉢あったナンキンハゼはマンションの敷地に植えてもらった。今年は昨年植えたケイトウがいろんなところから芽を出し育っている。
写真はツユクサ、これは何かの苗についてきたものだ。私の子どもの頃、敷地の隅に生えていた。朝、この様に鮮やかなブルーの花を咲かせているが、午後にはもう花は見られない。朝露に濡れながらしっとりと咲く姿は、花が小さいこともあって可愛く哀れさを誘う。万葉集にもツユクサを詠った歌があった。「あした咲き 夕べはけぬるつきくさの けぬるべき恋も我はするかも」(読み人知らず)。あしたは朝、けぬるは消える、つきくさはツユクサのこと。朝咲いて夕べには消えるツユクサのような、身も心も消えてしまいそうな恋を私はするだろうという歌。
ツユクサの花の青に魅せられて、花汁で染めたという。けれども色は褪せやすかったので、人の心の移ろいやすさを表すことにも用いられたらしい。雑草は1本も生えさせない人もいるが、私はむしろどんな花になるのかと育てている。いろんなものが混然とあることを嫌がる人もいる。雑種とか外来種とか言って忌み嫌う。でも、みんな必死で生きている。必死で子孫を残そうとしている。みんなで生きていけばいいじゃーないか。だから他を排除する集団的自衛権を含め、自衛権そのものに反対だ。
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