友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

15歳離れて妹が生まれた

2009年07月06日 22時30分22秒 | Weblog
 今日、長女は午前3時30分に、2,592gの女の子を出産した。39歳という高齢出産のため、かなり苦しんだようだ。自分でも「高齢出産がどんなに大変かという見本」と自嘲していた。股関節に異常が発生し、歩く姿は痛々しいほどだった。5日に「出血があり、入院する」と連絡があった。何とか落ち着いてくれるとよいがと願っていたけれど、そういかなかった。ダンナの話では「帝王切開の準備に入っていたんですが、『生まれる!』と言って、それで急遽分娩室へ行ったんです」ということだったそうだ。自然分娩でよかったが、実際に顔を見るまでは不安も大きかった。

 孫娘の学校が終わるのを待って、一緒に病院へ行く。病室で母子ともに健康な姿を見て本当によかったと思った。赤ん坊は小さかったけれど、可愛い手足をよく動かしていた。長女が生まれる3ヶ月ほど前にカミさんの妹が長男を出産した。病院へ見舞いに行き赤ん坊を見たが、黒々とした髪がふさふさとある丸々と太った色白の男の子だった。ところが長女が生まれ、始めて見て驚いた。真っ赤な顔でサルのように皺だらけで、髪はなく産毛のような毛が顔を覆っていた。

 長女の髪はなかなか成長してこなかったけれど、いつの間にか色白でキリッとした可愛い女の子になってきた。とても活発な女の子で怖いもの知らずだった。どんなに高いところへも平気な顔で登っていくし、腕の力も足の力も結構強い。私は男に与えるような自動車とか電車というようなオモチャを買ってきて渡したが、女の子は本質的に男の子とは違うのか、お人形と遊んでも自動車や電車とは遊ばなかった。

 長女は一風変わった子だった。とにかくよくしゃべる。録音しなかったことが悔やまれるけれど、眠りつくまでベッドの上で、何やらお話を作ってひとりで何役もこなしていた。長女はおしゃべりしながら食べるから、なかなか食事が進まない。当然だが長い時間をかけないと食事が終わらない。私はそんな長女を面白い子だなと思っていたけれど、カミさんは時間がかかるから我慢ならない。子育てについてはよくぶつかった。子どもたちはそんな両親をどう見て育ったのかわからないけれど、私は親であってもそれぞれに思うところが違うのだから隠す必要はないと考えてきた。

 私が子どもたちに求めてきたことは「自分には厳しく、人には優しく」ということだ。今、子どもたちは私が思っている以上に成長していると思う。むしろこれからは、私が教えられ引っ張られていくことになるのだろう。私は子どもたちの人生を歩めないし、子どもたちも私の人生をカバーできない。人はあくまでも自分でしか自分の人生を歩めない。今日、NHKテレビで「大切なものは目に見えない」と97歳の日野原重明さんが言っていた。孫娘は15歳も年の違う妹を抱いてどう思ったのだろう。感想を尋ねると、「別に!」と素っ気無い。複雑な思いなのだろう。
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