友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今どき、こんな学生がいたのか

2012年09月29日 22時55分53秒 | Weblog

 大和塾の市民講座で「ヒマラヤ登山」の話を聞いた。私は高いところと狭いところが苦手で、高いところにいると下へ吸い込まれていくように思うし、狭いところはどんどん狭くなって身動きが出来なくなってしまう。頂上に立って周りを見渡した時の開放感が、どんなに気持ちよいものかは分かるけれど、だからと言って踏み出した1歩のために奈落の底まで落ちていくのは恐い。しかし、世の中にはそうした冒険が好きでたまらない人もいるから不思議だ。

 講演の後で、とってもいい話を聞いた。登頂に成功した学生に、自分に代わって協力してくれた企業へ、登山の報告書(といっても立派な冊子であるが)を持って行かせたそうだ。その学生は両親を早くに亡くし、妹とふたりで祖母の世話をしている。彼は大学を諦めて会社員になったけれど、やはりこれではダメだと思い直して大学に入った。祖母は認知症のため昼間は施設の世話になっているが、それ以外の時間はふたりのどちらかが見ていなくてはならない。山岳部の彼が山に登る時は妹に頼むことになるので、彼は仲間との打ち上げは早々に切り上げて家に帰るのだそうだ。

 今どきに、そんな若者がいるのかと思っただけで、私は胸が熱くなってしまった。それでどういう話だったのかというと、報告書を受け取った会社の1つは、彼が卒業したら会社で採用しようとし、もう1つは彼に卒業するまで奨学金を支給し、お婆さんの面倒も見させてもらうと申し込んだ。3つ目の会社もぜひウチへ来ないかと告げたというから、やはりこの学生に惚れ込んだのだろう。それだけの価値を見出した会社もすごいが、それだけのものをこの学生が備えているということであろう。

 彼は祖母の面倒も見ると言ってくれた会社から卒業後の内定を受け、外国の大学へも留学させてもらうことになっている。さらにオチがあって、彼に奨学金を出すというのは会社ではなく、社長個人のマネーと社長が言い出してそうなったという。会社のヒモ付きではなく、学生に惚れ込んだ社長の個人的な応援の形にしておこうという配慮だろう。その学生は社長の好意を受け、卒業までの残りの2年間は山岳部に在籍し、後進の指導に当たるという。彼は毎日、午前6時半にその町の小山のふもとにやって来て登山し、それから大学へ向かうという。どこまでもストイックな男のようだ。

 会社に入ってまだ、まともに仕事もしていないのに、自分には合わないからと言って辞めていく若者が多いと聞く。何が天職か、何が自分の生き方なのか、おいそれと分かるものではない。たとえ仕方なく就いた仕事であっても、やっているうちに天職と思えるような場合はいくらでもある。仕事に全力で取り組んだのか、などというものも、人生の終わりにならなければ分からない。そうたやすく物事はわからないように出来ている。やり続けることから何かが見えてくるなら、それは幸せなことなのだと思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どの歌も年寄りくさい | トップ | 長生きの秘訣 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事