友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

尋ねてみたいが、聞いても仕方ないか

2024年05月15日 19時18分41秒 | Weblog

 常時、左目に涙が溢れている。花粉アレルギーだから仕方ないと思っていたが、花粉の季節でもない時も涙が流れて来る。だからと言って、特に困ることは無いので、ハンカチかティッシュペーパーを持ちカバーしてきた。

 18日に「同年者の集い」を開くから、涙を流していても格好悪いと思い、眼科へ行って来た。点眼液を2本頂いた。袋に1日4回とあるので、看護師さんに「どちらからですか?」と尋ねると、「どちらからでも構いません」と言われる。

 1日4回というと、何時と何時なのかと気になってしまう。朝8時の次は正午、そして午後4時、最後は寝る前の午後8時、と袋に明記する。私は医師の指示をキチンと守る。守らないと気が済まない。

 医師に「延命治療はどうしましょう」と問われれば、「受けません」ときっぱり断る。「それは、あなたの生き方ですから」と、今は受け入れられるようになった。少し前までは、医師の言うことが絶対的だった。逆らう気持ちは今も無いが、自分の気持ちを伝えられるようになった。

 よく、事件が起きると容疑者について、幼い時は人見知りだったとか、社交的で人当たりが良かったとか、陰気だったとか、周りの人に聞いたことをテレビが報道している。そんな時、私はどんな子どもだったのだろうかと思う。

 中学からの友だちはブログに、「子どもの頃はやんちゃで、女の子を泣かしていた」と書いていたが、私は女の子を泣かしたことは無い。小学校の低学年の時は、同級生だった医者の娘ふたりとその友だちにからかわれた。

 私はひとりでいることが好きな、どちらか言えば根暗だった。スポーツに夢中になることは無かったし、子ども会でソフトボールクラブに入れられても練習が嫌いだった。練習の最後に、監督がアイスキャンディーを奢ってくれたので出ていただけだった。

 几帳面な性格なのに、中3の夏休みの宿題は提出しなかった。私は子どもの頃、明るい子だったのか、暗い子だったのか、周りの友だちはどう感じていたのだろう。尋ねてみたいと思うし、今更聞いても仕方ないから止めて置けとも思う。


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