友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

非のある凡人でよいのかも

2018年08月07日 18時10分58秒 | Weblog

  朝からズーと薄曇りで、風があったからエアコンは使わなかった。夕方になっても薄曇りなのに、陽が差してきた。台風が関東に近づいているらしい。甲子園は青空で猛暑が続いている。テレビで観戦していたら、熱中症なのか足がつる選手が何人かいた。水分補給の時間をもうけているようだが、炎天下で身体を動かしているから追い付かないみたいだ。

 このところ、スポーツ界は問題続きだ。日大のアメフト、レスリングの監督、ボクシング連盟、結局は古い体制から変わる時期に来ている証だろう。スポーツの指導者には、「オレが、オレが」というタイプが多い。グランドで行われている少年野球や少年サッカーの練習を見ていても、コーチから凄まじい檄が飛ぶ。

 「バカか、そんなこともできないのか」。相手は子どもだから素直に聞いているが、なぜ、どうしたらうまくできるようになるかを教えてくれないのかと思う。怒鳴られ、繰り返して何度も行うことでコツをつかんでいくのだろうが、私は怒鳴られることがイヤでスポーツが好きになれなかった。ボクシング連盟の山根会長は、「私はボクシングに命をかけている。選手を育てることに情熱を捧げている」と言う。熱血漢がいつのまにか「独裁者」になっていることに気が付かない。

 自分に非はないか、自分に落ち度はないか、そう思える人は「独裁者」にはなれない。いつも自分がやっていることは完璧で、しかも他人のためになっている、そう思うタイプの人でなければ「独裁者」にはなれない。先輩が言っていた。「どうも年を取ると、他人の欠点ばかりに目がいって、自分は正しい気になってしまう。カミさんの物忘れに腹を立てるのに、自分が忘れ物をしていることには気が付かない」と。

 自分を素直に振り返ることができるようなら、天才ではなくて偉人になっていただろう。天才でも偉人でもない、非のある凡人でよいのかも知れない。


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