新しいカレンダーをもらった。それを見ていると、来年はどこの何があるかとワクワクしたのに、この頃はそうした気持ちが湧いてこない。何をしようという気持ちが薄らいできたせいだろう。私はメモ魔で、予定はもとより何があったかも手帳に書いていた。それが最近では空きの方が多い。日記も、途中で中断していたこともあったが、中学から続いていた。昔は中断することが嫌で、いったん何かで出来なくなるとそれで止めてしまった。しかし、別に毎日書く必要はないと思えた途端、気が楽になって続けられるようになった。
今はブログを続けているけれど、書けない日があるからといって、1日に幾つも書き溜めておいてそれを載せるようなことはしたくない。ブログも日記もその日に思ったことを綴るから意味がある。毎日、掲載出来なければそれは仕方がないことだと思う。中学からの友だちと、「毎日続けよう」と約束したけれど、続けることが義務ではなく、お互いに生きている証であり思っていることのささやかな自己主張だと思っている。よいデキの時もあればやっつけ仕事の時もあってもいいと思う。
我が家にも幾つかのカレンダーがかかっているが、一番のメインは台所の横のというか、食卓の横にかかっているものだろう。書き込みが出来るカレンダーだが、それほど事務的ではなくて、見た目にも楽しいあるいは美しいというものを選んでいる。そのカレンダーを見れば、何時に何があるか分かる。だから書き忘れたら、「そんな予定は知らない」と言われてしまうので、手帳と共にカレンダーにも記入しておかなくてはいけない。
私のパソコンの横にも大き目のカレンダーがある。このカレンダーはいつも3ヶ月先までが見られるようになっている。私はまず自分の手帳に予定を書き込み、続いてパソコンの横と食卓の横のカレンダーに書き込む。手帳には、誰と会ったとか、誰が来たとか、これはメモしておいた方がいいと思われる出来事を書いておく。私の友だちは、テレビや新聞で見たことで、これはと思ったことは何でも手帳に記入している。彼に尋ねれば、分からないことはないくらいによくメモしている。
カミさんの母親は家計簿を日記代わりに使っていた。昨年の何時に何があったとか、お祝いにいくら渡したとか貰ったとか、忘れないように記入していた。あの時、ああ思ったとか何を考えたとか、日々の喜怒哀楽を綴るのではなく、お付き合いで粗相があってはならないという知恵だった。カミさんの母親が使っていたカレンダーは、大安とか友引とかが書き込まれていたが、最近のカレンダーにはそれがないものもある。そればかりか、年中行事が書き込まれていないものが多い。カレンダーの役割が変わってきたのだろう。
さて、明日は誕生日会の友だち家族と1泊旅行に出かけるので、明日と明後日はブログを休みます。
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