小説『J』を読んで、愛し合うとはどういうことなのだろうと思った。瀬戸内寂聴さんは多くの男性と交遊があり、肉体関係もあったようだ。けれど、井上光晴氏との恋愛のように、家族ぐるみの付き合いになっている。
『J』を読むと、彼女が愛したであろう男性が恨んで自殺した話は無い。余りにも淡々と経過していくことに、やはり若干の違和感が残るのは、私が古い人間だからだろう。昔の芸術家たちが「愛の完成」を目指して、情死したことを思い出す。
中・高校生の私はキリスト教に興味を抱いていた。それは仏教が葬式の時にしか役に立っていないことや、お経が何を言っているのか理解できなかった反動だった。ドストエフスキーやトルストイ、ジイドなどの西洋の小説に魅かれていた。
白樺派の作家、有島武郎はクリスチャンだったし、『惜しみなく愛は奪ふ』という題名に魅かれて読んだはずだが、今では何も覚えていない。それどころか、有島武郎が夫のある夫人と情死したことも、そうだったかという程度の記憶である。
有島武郎は裕福な家に生まれ、札幌農学校に進み洗礼を受けている。アメリカに留学し西欧にも足を伸ばし、明治40年に帰国、「白樺」に参加する。明治42年に結婚、子どもも生まれるが、大正5年妻に先立たれ、父も亡くす。
そこから本格的な作家活動に邁進、広く知られるようになる。『婦人公論』の記者、波多野秋子は実践女学校を卒業、卒論は「ルターの宗教改革」だったから、武郎とは話が合うはずだった。ふたりは知り合い、すぐ恋に落ちたようだ。
けれど、ふたりの密会は秋子の夫の知るところとなり、姦通罪があった時代だから、武郎は夫から脅迫される。「愛を金で買うことは出来ない」と、自分が支配層に生まれたことに負い目もあって、大正12年武郎は死を選ぶ。
「私たちは最も自由に歓喜して死を迎える」と、書き残すのも白樺派の小説家らしい。愛を成就させるとはそういうことと思っていたので、瀬戸内寂聴さんのように渡り歩く恋が受け入れられなかった。でも、それも恋、あれも恋、それでいいではないかと思えた。
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