友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夢を追う人

2008年05月31日 21時16分45秒 | Weblog
 孫娘は中学2年だが背丈も小さいから、祖父の私にすればまだまだ子どもに思えてしまう。ところが中学2年生になって、少し雰囲気が変わってきた。あんなに尊敬してやまない母親に対し、直接口には出さないけれど、不信の念をチラリと見せる時がある。それに入学当初は成績もよかったが、周りも勉強をするようになってきたから、今回の中間試験はこれまでの最低となったようだ。

 それでも彼女は根が明るいし、誠実だし、正義感の強いところは少しも変わらない。「あなたには嫌なことは何もないよね」と、少々からかいも込めて言うと、「嫌なことの方が多いかな」と真面目な答えが返ってくる。これはまずいとカミさんに「あなたは嫌なことは何もないよね」と振る。するとカミさんは「嫌なことを探すより、いいことが何かあるかと探す方が難しいわね」と答える。まったく、ギャフンである。

 今の私は嫌なことはないね。いいことばかりで、こんなに幸せでいいのかなと思うくらいだ。何をもって嫌なことだと思うのか、人それぞれだからどうこう言うことはできないが、不満を持てばきりがないのではないか。友だちが「夢をもてなくなった」と言っていたが、確かに年齢を重ねると夢を追うことが子ども染みているように思ってしまう。いつまでも夢を追っても良いはずなのに、夢はなかなか実現できないものだと、年の功でわかってきたからだろう。

 いつも一緒にお酒を飲む仲間に、68歳になる後家さんがいる。ご主人を亡くされて10年以上になるが、「そろそろ新しい恋をしてもいいじゃーないですか」と冗談半分にけしかけても、「今さら男の人の世話になるのも世話をするのも真っ平ね」と受け付けない。ラジオやテレビで韓国語を学び、今ではひとりで韓国へ旅行だってしている。イタリア語まで勉強していて、「イタリアへもう一度行きたいわね」と夢を抱いている。

 実現しそうにない夢は確かに「もてなくなった」のかもしれないが、少し努力すれば可能性があるならば、「夢を追う」ことも生きていく力になる。リタイアした男たちが酒の席で話していたことを、「酒の肴に終わらせないで、やってみようよ」とNPOの設立に向けて動き出した。恋することもそうだけれど、自分が何かの役に立っているのではないか、たとえそれが独りよがりであったとしても、少なくとも生き甲斐であるなら、それはそれで「夢を追う」意味になると思う。
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4 コメント

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ゴケさん (老いらくの恋したい)
2008-06-02 18:37:13
「68歳になる後家さんがいる・・・」
後家さんという表現はどのようなものでしょう。
68歳の人に面と向かって「後家さん」と言われるのでしょうか。少し気になりました。
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Unknown (鈴木至彦)
2008-06-03 11:29:44
読み返してみると、ご指摘のとおりです。私自身、後家さんなどと口に出したことは一度もないのに、文字のイメージで使ってしまいました。それで、後家という言葉がなぜ不適切なのかなと思ったのですが、NHKの番組で司会の落語家が「いかずごけ」と言ったところ、アナウンサーが「先ほどは不適切な発言がございまして、申し訳ありません」と謝罪していました。日本語には言葉が生まれた当時の意味合いでそのまま使っているものがあり、今となっては不適切になってしまったのでしょう。気を付けますが、また教えてください。
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言葉狩り (やまぐち)
2008-06-04 08:14:28
鈴木さんらしくありませんね。

「後家さん」という言葉のどこが悪いのでしょうか?
「 夫に死別し、再婚しないで暮らしている女性。寡婦。未亡人。やもめ。」
辞書はそう定義しています。
面と向かって言えるか言えないかは相手との親密度合いによるものです。
親しければそれは相手にとって失礼には当たりません。
「後家の踏ん張り」という言葉のニュアンスには、
夫と死別した女性が懸命に子育てをしてきたという、
むしろ対象に対する温かなまなざしさえ感じます。

気になったのは鈴木さんがNHKの判断基準に従ったことです。
公共の電波での発言はそうであるかもしれません。
言葉が時代とともに不適切になる場合もあるのでしょうが、
それは我々が決めていくことで、NHKのような権威といったものに、指図されたくはありません。

こどものころ、近所に住むそういった障害を持った人に対して
母親はおめくらさんなどと呼んでいたのですが、
そこには差別する意図もなく、優しく接しろという母親なりの教育だったのだと思っています。
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Unknown (老いらくの恋したい)
2008-06-05 13:04:23
後家さんという言葉の使い方をご指摘したことが言葉狩りと言われては身もふたもありません。却ってペンの怖さを感じます。
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