友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

恋に純粋な人、何をしても才能のある人

2023年09月10日 17時30分58秒 | Weblog

 NHKテレビが関東大震災の特集を放映した中に、画家の竹久夢二が焼け野原となった東京を描いたスケッチがあった。竹久夢二のイメージからは程遠い、殺伐とした光景が描かれていた。当時はまだ、カメラが一般化していなかったためか、新聞社に寄稿したものだという。

 竹久夢二は画家を志して上京した訳では無いが、18歳で早稲田実業学校へ入学した学生時代から、スケッチを新聞に投書している。友人で社会主義者の荒畑寒村の紹介で、諷刺画などの挿絵を描くようになり、童話雑誌の挿絵も描くようになり、23歳の時には読売新聞社に入社し、時事スケッチを担当している。

 私が知っている竹久夢二は、大正ロマンを代表する画家で、細面のなよなよとした女性を得意とする人である。夢二を人気作家にしたのは、最初の著書『夢二画集 春の巻』がベストセラーになったからだ。雑誌『少女』に発表した「宵待草」は、私たちの世代もよく歌った。切ない思いを詩にする才能もある。大震災の後、発刊された雑誌『婦人グラフ』に掲載するための表紙絵、口絵用に浮世絵の技法による木版画「秋のしらべ」で、夢二の世界は不動のものとなったようだ。

 私が知っている竹久夢二は、恋多き人でもある。23歳で結婚した「たまき」とは離婚と同棲を繰り返したし、紙問屋の娘で女子美術学校の学生だった「彦乃」とも同棲し、「彦乃」の面影を持つ帝劇女優の桜井八重子には恋文を出し続けている。3人とも夢二が描く女性によく似ている。

 この他にも、東京美術学校のモデルとして人気があった「お葉」とも同棲し所帯を持つが、半年後には別離、作家の山田順子と恋愛し、千葉県銚子に転居した時は、隣家の娘「カタ」を見初め口づけをするが、心配した娘の父親によって引き離されてしまう。「カタ」と見た砂浜のオオマツヨイグサが「宵待草」となったいう。

 恋に純粋なのか、才能がある人は何をしても、アートにしてしまう。

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