友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

クラス会は役に立つかも知れない

2023年01月24日 17時25分12秒 | Weblog

 小学校6年の時の同級生から、「相談したいことがある」とメールをもらったのに、グズグズしていて返事が出せなかった。私ひとりで会うよりも、誰かを誘ってと思っていたからだ。そこで思い切って今朝、誘うつもりの友に電話をしてみると咳き込んでいる。

 「どうしたの?」と聞くと、「コロナにかかっちゃって」と言う。「大事にしてね」としか言いようがない。友と一緒に行くのを諦めて、ひとりで行くぞと決意して、同級生に電話した。何のことはない、会って欲しいのではなく、電話して欲しいということだった。

 同級生は友だちの名をあげて、「年賀状を出したところ、奥さんからお礼のハガキが来て、昨年7月に亡くなったとある。君は知っていたか?」と訊く。私は故郷を離れてから、小学校の同級生とはほとんど交流が無い。同級生は「もっと、みんなに会えるようにして欲しい」と言う。

 小学校のクラス会が開かれてから、もう何年になるのだろう。幹事を引き受けてくれる、世話焼きは誰が残っているだろう。小学校よりも中学校のクラス会は、よく開かれたけれど、それもこのところのコロナ禍で途絶えている。

 お金にならないし、手間はかかるし、世話好きがいなければクラス会は出来ない。今年の4月がくれば、私は79歳になる。私は充分に生きてきたので、そろそろお迎えが欲しいと思っているが、「クラス会をやれよ」と言う同級生は生きることに執着している。何とか応えたいと思いつつ、誰に頼むかと考える。

 岸田総理は「異次元の子育て支援」と言うけれど、何をどうするのか全く見えてこない。防衛費の増額だけは、自民党は一丸となって取り組む決意だ。何と愚かなことか、老人は増えるが若者は少なく、しかも生産は落ち込む一方である。

 「世界は終末に向かっている」と唱える人もいるが、孫や曾孫の時代が平和で穏やかに暮らせるようにするのは老いたる者の責務である。そんな話し合いをするために、老人たちのクラス会は役に立つかも知れない。

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