友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

あまりにも早い旅立ち

2018年02月26日 20時49分37秒 | Weblog

  「先生、月曜日にお邪魔してもいいですか?」と、卒業生の女の子から電話があった。何十年も前になるが、仲人を頼まれた。会場に行くと、同級生たちが集まっていて、二人を中心にして記念写真を撮った。それで終わりの写真だけの結婚式だった。毎年、賀状は送ってくれたので結婚生活は続いていた。それがわざわざ埼玉から「話に来る」のだから、離婚の相談かと思ってしまった。

 二人は高校の同級で、男の子は背が高く、あまりしゃべらないがみんなの信頼は篤かった。自分を主張する方ではなかったから、可愛い彼女を射止めたことは意外だった。デパートの飾り付けや店舗の設計などの仕事をしていたので、「帰宅は夜遅いことが多く、ほとんど家に居ない人だった」と彼女は話す。「何を聞いてもアアとかウンとか、まともに会話しないから、何考え、何してるのか分からなかった」と言う。

 やっぱり離婚の話だと思い、「結婚生活も長く続くと、そんなに話さなくなるよ。どこも一緒、今更、離婚することはないよ。あまり干渉せずに、仲良く暮らすことだね」と話すと、「もう話すこと出来ないんです」と彼の写真の入った額を取り出す。「平成30年1月13日永眠」とある。離婚とばかり思い込んでいたが、全くのお門違いだった。「いったい、どうしたの?」と聞くと、「今もどこかで飲んでいて、ひょっこり帰ってくる気がしてしまう」と言いながら、経過を話してくれた。

 水戸のデパートの仕事で出かけていて、夜中になっても帰って来なかった。どうせまた、どこかで飲んでいるのだろうと思っていると、午前3時に警察から電話が入り、「署まで来て欲しい」と言う。「街の飲み屋で倒れ、病院に運ばれたけど、帰らぬ人となってしまった」と。葬儀は埼玉で行い、高齢の親戚のために昨日、「こちらで四十九日の法要を行いました。先生にはお知らせしなくては思ったので」と言う。まだ62歳、あまりにも早い旅立ちである。

 今晩も同じマンションで、私の選挙の時にウグイスを務めてくれた女性のダンナの通夜に参列したが、71歳だった。私よりも若い人の逝去に胸が詰まる。「こんな時にしか会えないねえ」と同じマンションの人から声をかけられた。そういう歳になった。年齢順ではないと言うが、それにしても教え子の旅立ちは早すぎる。

 

コメント
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