(中国の人が描いた絵)
今日は七夕、1年に1回でも出逢えるならいい。もう何年も会えずにいると、不思議なことだが忘れるよりも愛おしさが増していく。歳を取ったせいかも知れないが、諦めるよりも執着が強くなるような気がする。若い時ならいつでも会える、けれど年老いてくるともう会えないのではないかという寂しさからか、無性に人恋しくなる。
政府は、病院ではなく自宅で最期を迎える「在宅みとり」を推進している。在宅で亡くなる人は1950年頃80%を超えていたが、1970年代後半では病院・診療所での死亡割合が在宅死を上回った。1990年代からは、在宅死は10%で推移している。「在宅みとり」の割合が多い自治体は比較的「都会」と言われる地域である。
政府が「在宅みとり」を推進しても、たとえば訪問診療のような、それを支える体制がなければ難しい。また逆に、病院数が多くあり受け入れてくれる地域では「在宅みとり」が少なくなる。どこで最期を迎えるか、本人や家族が決められる社会が一番良いだろう。医療費負担が高くなるからと、「在宅みとり」を推奨するのはいかがなものか。
政治は人々が選択できる範囲を広くすることであって、行政が自分の都合で決めることではない。「住民の多様な要求に応えていては、行政はパンクしてしまう」と行政マンは言うけれど、住民の要求に応えられないのであれば辞めてもらうしかない。行政マンが知恵を出せば解決できる事業はたくさんある。それをしないのは安住に胡坐をかいているからだ。
七夕は悲しい恋の物語だが、1年にたった1回の逢瀬で何を語り尽すのだろう。話などしなくてもただ身体を寄せ合っていればそれで幸せなのかも知れない。人の幸せは人それぞれ、それが許される社会であって欲しいと七夕の夜に願う。