今日は夏至。昼間が最も長く、したがって夜間は最も短い。私の部屋の西側はルーフバルコニーになっていて、夏は西日が差し込むので午後はとても暑い。しかし、午前中は逆に建物の陰なので涼しく快適な時間である。日の出は見えないが、日の入りは年中見られる。冬至の頃には養老山脈の南に沈んでいた太陽が、今日当たりは伊吹山の北側に沈んでいくはずだが、雨が降っていて山の稜線も見えない。
冬至はカボチャを食べるとか、柚子風呂に入るとか、そんな風習があるけれど、夏至の習わしは何なのだろう。北欧では夏至を祝う祭りがあったように思う。北国ではこれから始まる本格的な夏は、命を育む喜びに満ちているから祭りになるのだろう。ヨーロッパの人々が夏の海岸でヌードになるのも、太陽をいっぱい浴びたい気持ちの表れなのだろう。確かに冬よりも夏は、人々を開放的な気分にさせてくれる。
だったら、人類は全て、暖かな所に住めばいいのにと思うけれど、アフリカで生まれながらどんどん北へと移動したようだ。ヨーロッパの人々が力を持ち始めた時も、十字軍やその後の大航海時代も、住んでいたヨーロッパを捨てて移住した訳ではない。香辛料や絹や金銀を求めたけれど、冬は厳しい地に留まった。人間は不思議だなあーと思う。温暖な地が必ずしも生活の地とは思わないのはどういう遺伝子なのだろう。
スペイン・ポルトガルがアメリカ大陸へ侵略した時、スペイン王室はコンキスタドール(征服者)に次のような「催告」をするように命じた。「あなた方がこれを行なわないなら、神の加護のもと、わたしはあなた方に権力を振るい、四方八方からあらゆる手段をもって攻撃し、教会と国王に服従させる。また、あなた方の妻子を連れ去って奴隷にし、あなた方の所有物を奪い、なし得る限りの危害を加える。結果としてもたらされる死や損害はすべてあなた方のせいであり、国王およびわたしたちの責任ではない」。
この宣告を上陸する船の上で、あるいは上陸した地で行なった。しかもスペイン語あるいはラテン語で行なわれたというから、たとえ先住民が聞いたとしても何も分からなかった筈だ。アメリカ軍がアフガンやイラクで行なっていることと、少しも変わらないと思うのは私だけだろうか。妻子を奪い奴隷にすることはなくても、自分たちの勝手な価値観で、「神からの使命」のように振舞うのは全く同じだ。