息子の野球チームが9月から中学生たちの仲間入りし、合同練習が始まった。幼年チーム、少年チーム、を経てついに最後の段階になった訳だ。小学1年の終わりから始めたのだが、ずーっとキャッチャーがやりたいよ~、と言っても監督やコーチたちの相手にしてもらえず、あとから入ってくる友達たちにどんどんといいポジションはとられ、プライドが人一倍高い遼介にとっては屈辱の連続だったと思う。
何度も「もう辞めたい!」と言い、その度になだめすかしてやらせてきた。ポジションも幼年ではライトで8番、少年ではファーストで6番。動きも緩慢で足も私に似て遅いから仕方ないよ、と思っていたら中学チームに入ったら「やりたいポジションは?」と聞かれオーデションテストがあって、念願のキャッチャーをやらせてもらえる事になったのだ。
長い練習時間にも耐え、生き生きとキャッチャーマスクをかぶる息子の姿を見た私は、ちょっと感無量・・・親ばかだけど。よかったね、好きなポジションができて。利樹も少年野球の頃、キャッチャーだったそうだ。昨日初めて知ったのだが、利樹の父(遼介が1歳のときに他界)も実はキャッチャーをやっていたそうだ。血は争えない。
何度も「もう辞めたい!」と言い、その度になだめすかしてやらせてきた。ポジションも幼年ではライトで8番、少年ではファーストで6番。動きも緩慢で足も私に似て遅いから仕方ないよ、と思っていたら中学チームに入ったら「やりたいポジションは?」と聞かれオーデションテストがあって、念願のキャッチャーをやらせてもらえる事になったのだ。
長い練習時間にも耐え、生き生きとキャッチャーマスクをかぶる息子の姿を見た私は、ちょっと感無量・・・親ばかだけど。よかったね、好きなポジションができて。利樹も少年野球の頃、キャッチャーだったそうだ。昨日初めて知ったのだが、利樹の父(遼介が1歳のときに他界)も実はキャッチャーをやっていたそうだ。血は争えない。