実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

株主総会と敵対的企業買収(3)

2009-05-31 23:39:32 | 会社法
 さらにつづきです。

 以上のような動きの中,いま,会社法の解釈や実務運用でもっとも注目されるのは,敵対的企業買収の手法と,それにに対抗するために,どのような買収防衛策が適用,有効かということかもしれない。敵対的買収に対する買収防衛策に絡んだ事件では,ライブドアvsニッポン放送事件や,ブルドックソースvsスティールパートナーズ事件などが,社会的にも極めて注目された事件である。そして,ブルドックソースvsスティールパートナーズ事件は,最高裁まで争われた事件なので,そこで最高裁としての何らかの基準が示されることを,少なくとも私は期待していた。ところが最高裁決定は,言ってみれば,単にブルドックソースの買収防衛策を結論として是としただけであって(もっとも,最高裁が買収防衛策を是としたこと自体が,大変に大きな意味を持っていることは疑いがない。),その結論の当否はともかく,私にいわせれば,まさに当該事件限りの事例判例,極めて悪くいえば,場当たり的判例でしかないと思っている。要するに,買収防衛策に対する今後の指針に何ら役立っていない判例としか思えないのである。
 買収防衛策に関する法律的な一般基準としては,実務上は上記ライブドアvsニッポン放送事件の地裁・高裁決定で示されている。その基準の是否もあるが,仮にその基準を是として,この基準への当てはめがうまくできるかどうかもある。上記最高裁判例も,こうした一般的基準を何ら示すことなく,買収防衛策導入を是認したのである。私の想像では,一般的基準に対する当てはめが,うまく行かなかったがための事例判例となってしまった可能性を考えてしまうのである。

 それはともかく,今回の株主提案が可決された事例の議案提案株主は,皮肉なことに,まさに上記最高裁判例の事案で買収防衛策発動の対象となった買収者と,同じ買収者である。上記最高裁判例は,当該買収者に対する防衛策発動を是としていたのである。買収者の立場からすれば,まさに上記最高裁での汚名返上の格好の舞台ができたわけである。
 やや無責任な言い方になってしまうかも知れないが,敵対的買収が,当該企業(ひいては,当該企業の他の株主)にとってプラスに働かせることが出来るかどうか,これからまさに実験が行われようとしているということであろう。敵対的買収に関する法学的な検討材料としても,格好の材料といえるかもしれない。
 その意味において,表面的には敵対的買収の成功事例第1号ともいえる,今回の株主総会の出来事は,今後が注目されるし,真の意味において敵対的買収の成功事例,すなわち,買収者によって企業価値を高めたといえる状況をつくりだすことができるかどうか,これからが真価を問われることになろう。

 以上,感想文のようなものでした。

株主総会と敵対的企業買収(2)

2009-05-30 21:38:15 | 会社法
 昨日の続きです。

 まずは,十数年の間になぜこのような大きな様変わりが生じたのか,私なりに簡単に想像してみたい。
 「シャンシャン総会」全盛期は,大株主といえば,企業間による株式の持ち合いとなれ合いによる株主ばかりであり,大株主は経営に意見を述べることはなかった。いわば,紳士協定のようなものであり,自らが大株主となっている会社の株主総会で意見をすれば,逆にその会社から自らの株主総会で意見される。そこで,互いに株主総会で意見を述べないことで,自らの会社の経営を自由に行ってきた。このような株主構成では,零細な投資家でしかない個人株主の意見など,企業にとって聞く耳を持つ必要がなかったのである。
 ところが,バブル経済崩壊後,企業業績は急落し,株価は大きく下落した。企業は,保有していた株式の資産価値の目減り(これには,企業会計制度が,原価主義から時価主義に代わりつつあったことも影響していよう)を防ぎつつ,資金調達をする必要から,持ち合っていた保有株式を市場に売りに出した。このようにして,株式の持ち合いが自然と解消されていったのではないかと想像される。
 株式の持ち合いが解消されていく当初は,株式の買い手はほとんど存在せず,株式市場は供給過剰になって(もちろん,企業業績の悪化も手伝っている),売りが売りを呼ぶ展開となり,株価も大きく下落していた。そこに,外国籍の投資ファンドが,まさに黒船に乗ってやってきたといっても過言ではないのであろう。外資系ファンドが日本株式を買いあさっていった。その後,国内法が整備されてきたこととも相まって,国内でも投資ファンドが設立され,機関投資家として現れるようになった。こうした,国外,国内の投資ファンドによる買収を恐れる企業が,個人株主を大事にするようになり,個人株主を引き留めておくために,あの手,この手を尽くして個人投資家に対して企業業績をアピールするようになってきたのである。その最大のアピールの場が株主総会であるといっても過言ではあるまい。
 以上は,私がバブル経済崩壊後に見ていた世の中の動きをもとに想像してみた現象であるが,いかがであろうか。

株主総会と敵対的企業買収(1)

2009-05-29 19:52:22 | 会社法
 次は、最新判例についてと思っていたのですが,その前に時事に関連して……

 昨日は,衝撃的な株主総会が開催されたようである。会社提案による取締役選任議案の一部が否決され,株式大量買付者からの株主提案に係る取締役選任議案がすべて可決されたというのである。その結果,ある意味では予期せぬ経営交代が実現したといえ,表面的には,いわゆる敵対的企業買収の成功例第1号ということになろうか。
 この会社は,昨年の株主総会でも,取締役選任議案は否決されたということでマスコミでも報道されていた。今にして思えば,昨年の株主総会の段階で,すでに敵対的買収の成功が目前に迫っていたということだったのかもしれない。
 また,他の企業経営者たちには,一般株主の支持を得ておくことの重要性が改めて認識させられる出来事だったのではないだろうか。

 私が学生だったバブル経済の絶頂期は,株主総会といえば,いわゆる「シャンシャン総会」が当たり前だった。いかに短く株主総会を終わらせるかが,経営者の株主総会対策としての手腕であって,株式会社の株主軽視も甚だしいものだったようである。株主総会で積極的に発言をしようとする株主も,そのほとんどがいわゆる「総会屋」であって,株主総会を混乱させること,およびそれを脅しとして会社から金を引き出させることだけを目的としており,およそ株主権の行使としての正当性のない株主がほとんどだったようである。当時の会社法の教科書も,株主総会については,総会屋対策と,いかに株主総会を活性化させるかということが課題であるかのように書いてあった記憶がある。
 もっとも,これはあくまでも上場企業を念頭に置いた現象であり,かつ,上場企業を念頭に置いた教科書の記述であることに留意すべきであろう。上場していない会社の場合,おそらくそのほとんどの株式会社は大株主が存在し,その株主の意のままに会社が経営されてきたと思われる。中小企業に至っては,「大株主=代表者」の意思一つで会社が動き,零細の株式会社に至っては,適式に株主総会を開いたことすらないという会社も数多く存在するのではないか。
 中小企業の現状は,今でも変わりはないと思うが,上場会社の株主総会の現状は,当時とは隔世の感がある。上場会社の株主総会に対する対応は,株主に対してなるべく丁寧に説明するという意識に変わりつつあり,会社によっては,株主優待などを積極的に取り入れたり,株主総会において何らかの催しを開催するなど(自社商品をアピールする場となっていたり,一部音楽業界に属する会社などは,ミニコンサート同様の株主総会を開催している会社も存在するようである),一般株主の参加を積極的にアピールする会社すら存在する。おそらく,いま「シャンシャン総会」を行う上場企業は,市場から見放されてしまう存在となってしまうであろう。
 いわゆる「総会屋」も,消滅こそしてはいないものの,目立たない存在となってきたような気がする。今,株主総会で活躍する株主は,「総会屋」ではなく,広い意味での「機関投資家」といわれる存在になっている。いわゆる「M&A」に直結する話であり,会社経営者にとってやや耳障りな言葉で言えば,「敵対的買収」という言葉となる。
 昨年あたりはまでは,こうした市場の動きを受けて,上場会社の株主総会対策も,総会屋対策よりも,買収防衛をいかにするかが,もっとも注目される焦点となってたと思われ,昨年の株主総会で買収防衛策を導入した上場企業も少なからず存在していたと理解している。
 そして,今年はついに,株主総会において,買収者の意思による経営交代が起きたのである。

2009-05-25 22:20:11 | 日記
やっと一つの項目が終わりました。取消後の第三者の問題は,昔から変だと思っていた点です。

そこで,考えていたことをざっと投稿してみました。

次からは,とりあえず私にとって理解しがたい最新判例についてコメントします。

よろしく。

取消後の第三者(4)

2009-05-25 22:18:36 | 民法総則
つづきです。

 そもそも,ある法律行為を無効とするか取り消しうるにとどめるかは,論理性もないわけではないだろうが,基本的には立法政策の問題であろう。前回述べた錯誤制度の改正の趣旨のとおり,意思表示をした者の決定で有効としうる余地を残しておきたいのであれば取り消しうる法律行為とするし,有効とする余地を残す必要がなければ,無効な法律行為とするのである。つまり,無効とするか,取り消しうる法律行為とするかは,基本的には法律行為を有効としうる余地を残すか否かという立法政策の問題なのである。
 錯誤制度の法改正とは逆に,仮に,詐欺・強迫による意思表示においてこれを有効としておく必要がないという政策を採用すれば,無効な法律行為として立法することが(その立法政策の当否はともかく)出来ないことはないはずである。そして,詐欺や強迫による意思表示は無効という立法を採用したとして,詐欺無効だけに第三者保護規定があったとしたらどうなるか。この場合は,詐欺無効の権利行使をした後であっても,民法94条2項の類推ということにはならないのだろうと思う。
 要するに,詐欺や強迫による意思表示(もっと言えば,錯誤による意思表示)を,取り消しうる法律行為とするにしても,無効な法律行為とするにしても,その法意は表意者保護という意味では同一であり,詐欺の場合には第三者保護規定があるとすれば,騙される方も悪いという意味では,無効とするか取消とするかで,その法意が変わってくるわけではない。それなのに,無効や取消の権利行使後に利害関係に入った第三者との関係で,無効とするか取消とするかで適用条文が変わってしまうとすれば,それは無効とするか,取消とするか,という法形式以上の実質的理由があるとは思えないのである。
 私が司法試験受験時代に民法総則の教科書として使用していた,四宮和夫・民法総則第四版208頁12行目以下の言葉を借りれば,「取消も無効と同じように法律行為の効果を否定する手段にすぎ」ないはずである。さらに,96条3項の第三者につき,「詐欺による意思表示に基づき新たに利害関係に入った第三者」のように定義し,取消後の第三者はこの定義に入らないという議論,あるいは,我妻説や判例のように,取消の効果を「復帰的物権変動」と考えるような議論は,四宮前掲前頁13行目以下の言葉を借りて批判するとすれば,これらの議論は,「法律的概念を自然的存在と同視するもの」だとう批判ができそうである。私から見れば,取消後の第三者の議論は,無効行為は取り消すことができるか否かという,すでに解決済みのきわめて古い議論に通じるものがあるような気がしてならないのである。もっとも,四宮説は,取消後の第三者につき,94条2項類推適用説の急先鋒的存在であったと理解しているが,このことは,私には皮肉に思えてならない。

 かくして,詐欺取消後に新たに利害関係に入った第三者との間でも,その第三者の保護は民法96条3項を適用すべきというのが,私見であり,素直な実務感覚ではなかろうか。強迫のように第三者保護規定のない場合は,取消後に利害関係に入った第三者であっても,基本的には第三者は保護されないことになる。
 もっとも,私見としても,民法94条2項の類推適用の可能性を完全に否定するつもりはない。いつでも逸失した財産を取り戻せるにもかかわらず長期間放置していたような場合には,当然民法94条2項を類推適用されてしかるべきである。しかし,これはあくまでも94条2項の類推適用の場面一般を述べているに過ぎず,取消後の第三者特有の問題として処理することを意味しない。したがって,この民法94条2項類推の一般論に当てはまる限り,逆にたとえ取消前の第三者であっても,民法94条2項の類推により第三者が保護される可能性を排除すべきではないと思われるのである。ただ,取消権の消滅期間が5年と法定されている関係から,少なくとも取消前に民法94条2項を類推出来る場面は,かなり例外的な場面に限らざるをえないのは確かであろう。
 要するに,民法94条2項の類推適用を持ち出す場面は,あくまでもその一般論に当てはまる場合だけであり,その他は,第三者の登場が取消の前であろうと後であろうと,取消権に対して第三者保護規定があるか否かだけで処理すれば足りるというのが,結論である。
 一笑に付されてしまうだろうか。

  完