実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

憲法判例の先例拘束性(2)

2013-09-24 14:33:17 | 時事
 通常、ある法律が憲法に違反して無効だとすれば、それは昔から違憲無効なのであって、その法律を適用した処理は違法ということになる。
 ところが、今回の違憲判決は、過去(平成7年)に合憲判決をしている最高裁判例と異なる結論を述べているのにもかかわらず、当該判例を変更するとは言わない。どうも当時の判例は正しいのだということらしい。同じ法律であるにもかかわらず、昔は合憲で今は違憲だという判断なのである。まず、この点で非常にめずらしい。
 結局、これは、時代の変化による憲法解釈の変遷がありうること、そして違憲審査の場面でそれが現実化した場面というべきなのであろう。
 ただ、こうなると、それではいつまで合憲でいつから違憲なのかをはっきりさせる必要が出てくるかもしれないのだが、そのようなことを気にする必要がない判断もしている。この点が非常に特異なのである。

憲法判例の先例拘束性(1)

2013-09-19 11:55:16 | 時事
 つい先般、婚外子(法律用語でいえば非嫡出子)の相続分を、嫡出子の相続分の2分の1としている民法の規定を違憲とする最高裁判例が出たことは、テレビや新聞などでも大きく取り上げられた。
 この判例に対しての社会一般の反応として、法律婚制度を重視する立場からの批判もないわけではないようである。が、もし法律婚制度を重視するとして、それを無視したのは生まれてきた子供ではなくその親である。そのため、法律婚を無視した親に何らかの不利益を課すのであればともかく、何の罪もなく生まれてきた子供に不利益を課す理由にはならないであろう。
 以上のことからして、今回の違憲判決は当然の判断だと思うし、むしろ最高裁は過去には合憲の判断をしており、ここに来てようやく判断を見直して違憲判断をしたのは、遅きに失しているというのが私の意見である。

 この判例で私が興味あるのは、実は以上の点ではなく、憲法判例の拘束性について独特の判断をしている点である。

設立中の会社の法理(4)

2013-09-13 09:47:51 | 会社法
 それならば、どのように考えればよいか。もっと根本に遡って考えて見る。
 本来権利能力を有するのは生身の人間、すなわち自然人である。では自然人はいつから権利能力を取得するかというと、出生のときである。出生する前は胎児であり、胎児に権利能力はない。しかし、相続の場面など、ごく限られた場面では例外的に権利能力が認められる場合がある。
 私は、法人でもこれと同じことなのではないかと思っている。つまり自然人の出生に該当するものが、会社の場合は設立登記に対応するだろうと思う。そうすると、設立登記前の設立中の会社は、いわば胎児なのである。胎児である設立中の会社には権利能力はない。しかし、例外的に財産引受のような行為は、胎児としての設立中の会社にも一定の厳格な手続を経ることを前提に権利能力を認めたのであり、その法定代理人的存在が発起人なのである。

 株式会社設立の場面でイメージすると、発起人間の話し合いで会社を設立する合意が成立した状態が、いわば受精卵の状態で、そこから定款の作成に始まり、株主の確定、必要な出資金の払い込み、役員の確定などを経て、徐々に受精卵から胎児へと形作られ、さらにこれが徐々に育っていく。そして最後に設立登記がされることによって会社として出生するのである。
 このような設立過程は、胎児とそっくりそのままではないかと思う。

 設立中の会社=胎児説である。いかがだろうか。

設立中の会社の法理(3)

2013-09-09 10:14:02 | 会社法
 以上のように考えれば、設立中の会社の法理は、ほかの法人にも応用が利くことが明らかになると思う。そこで、以後は一般化した言葉として、設立中の法人の法理ともいうことにしよう。

 さて、ではこの設立中の法人の法理であるが、その中身は権利能力のない社団や財団だといわれることは、既に述べたとおりであるが、本当にそれが正しいのだろうか。これが私の疑問である。

 そもそも、一般に権利能力なき社団というのは、団体であれば何でもよいわけではない。一定の要件が必要で、定款に準ずるような独自の規則の存在、代表者の存在、構成員に変更があっても団体としての同一性に変化がないこと、一定の活動財産を持ちうること、などが要件として言われ、要は法人と同じような実体は備えているものの、完全には法人設立の手続に準拠していないために設立登記をしていない、あるいは設立の準拠法がないために登記できないといったような団体を考えているはずである。だから、権利能力なき社団もそれ自体をきちんと設立しようと思えば、規則の作成から始まって構成員の確定をするなど、一定の手続を踏む必要がある。

 もしそうだとすると、それでは、権利能力なき社団の設立手続時の法律関係についてはどうなのか。今までの設立中の法人の理論を応用すれば、設立中の権利能力なき社団という法律関係が考えられ、その中身は、やはり権利能力なき社団だということになってしまう。実にトートロジーな話である。
 裏から言えば、権利能力なき社団を設立するにも一定の手続が必要なはずなのだから、その手続が踏まれない以上は、権利能力なき社団として認められるはずがないということなのである。そして、それは通常の設立中の法人の議論であっても全く同じだと思われ、設立手続がある程度進行し、一定程度の組織として実体が備わってくれば、そのときから設立登記までの間は権利能力なき社団と言ってもいいのかもしれないが、そこまで行かない、未だ定款作成段階といった場面で、普通に言われる権利能力なき社団の実体があるとは到底思えないのである。

 私が設立中の法人の法理で疑問に思うのは、以上の点なのである。

設立中の会社の法理(2)

2013-09-05 10:36:55 | 会社法
 この、設立中の会社の法理は、私に言わせれば、何も会社という法人に限った話ではなく、他の法人一般に応用が利く話ではないかと思っている。

 たとえば、一般財団法人を設立するには、遺言で設立することも認められている(一般社団法人及び一般財団法人に関する法律152条2項)が、遺言の効力が生じれば(すなわち遺言者が死亡すれば)、即一般財団法人が設立されたものとされるわけではなく、やはりその後一定の手続を踏む必要がある。そのために、遺言の効力発生時と一般財団法人設立時には時間的なズレが生じる。しかし、それでも遺言で財産を拠出して財団法人を設立した場合は、遺言の効力が生じたときに、その財産は一般財団法人に帰属するものと見なされるのである(同法164条2項)。
 一般財団法人であっても、法人格を取得するのは一般財団法人成立時(現在の法律では、設立登記時)であるならば、設立時に一般財団法人に拠出する財産が一般財団法人に帰属するのは、一般財団法人成立時であり、遺言による設立ではない通常の場合は、条文上もそのことが明らかにされている(同条1項)。これに対して、遺言で設立する場合は、未だ法人格のない設立中の財団法人である遺言の効力発生時から一般財団法人に拠出する財産が帰属するというのであるから、論理矛盾的な側面がある。

 この、遺言により設立する場合の見なし規定のねらいは、拠出されるべき財産が、例え一時期でも被相続人から相続人に財産が帰属してしまうことを避けるねらいがある。つまり、遺言者の死亡時と一般財団法人設立時にズレがある以上、この見なし規定がないとした場合、このズレの期間中の拠出財産の帰属に困ってしまうのである。普通に考えれば、遺言者の死亡により相続の効力が生じるからいったんは相続人が相続し、その後一般財団法人が成立したら自動的に相続人から一般財団法人に財産が移転すると考えざるを得なくなるが、このようにいったん相続人が権利を取得するという構造そのものを法律が嫌ったということなのである。
 この見なし規定については、あまり議論されることはないようで、せいぜい一般財団法人成立によって、遡って拠出財産が一般財団法人に帰属するものと見なされるようになると考えられているようである。だが、ここで設立中の会社の理論が応用できると思っている。つまり、遺言の効力発生時に設立中の財団が認められ、この設立中の財団に、拠出されるべき財産が帰属すると考えればいいのである。