実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

婚約って契約(2)?

2011-08-26 09:55:23 | 家族法
 思うに、損害賠償を発生させる根拠としては、何も債務不履行の規定を持ち出すまでもなく、不法行為の規定で十分に対処できるのではないか。
 ちゃんと調べているわけではないが、教科書レベルで紹介されている、先例的な判例も、慰謝料が問題となっていただけのようである。慰謝料ということであれば、不法行為ととらえた方がわかりやすい気がする。

 それでは、「婚約」を破棄した場合、どのような場合に損害賠償請求が認められるか。
 これも感覚的には離婚の場合との比較で考えると理解しやすいような気がする。婚姻関係を不当に破棄しようとする有責配偶者に対する離婚請求とともに慰謝料を請求するという場合との比較である。
 法律婚が成立している場合に、それを破棄するのと、まだ「婚約」の段階でしかない場合とで、前者の場合の方が遙かにその責任が重いことは、いうまでもないことと思われる。損害賠償義務との関係でいえば、その額の多寡みならず、その発生原因そのものも、「婚約」の不当破棄の場合の方がより不当性が大きくなければ発生しないと考えてよいのではないだろうか。
 それともう一つ、婚姻関係を不当に破棄した場合の損害賠償責任の根拠は不法行為責任である。これを債務不履行責任で基礎づける考えは聞いたことがない。それなのに、婚姻関係の一歩手前の「婚約」の不当破棄が債務不履行とはどういうことだろう。「婚約」という契約上の債務は、あくまでも法律婚を成立させることでその債務の履行が完了するということなのであろうか。しかし、仮にそうだとしても、婚姻後も夫婦同居義務、貞操義務など様々な義務を負っているはずであるが、これらは「債務」という表現はしない。同じように、仮に「婚約」に伴う義務が法律婚を成立させることだとしても、これを「債務」と捉える必要はないのではないか。
 婚約を契約と捉えることは、婚姻関係との法理論的な比較としても、なにやら齟齬がありそうな気がするのだが。

 そもそも、夫婦・親子のような家族関係そのものを直接の目的とする合意について、「契約」法理を持ち出すことに違和感を覚えるのは私だけであろうか。
 類例を考えるとすれば、養親子関係に関連して、「婚約」と同じような「養親子約束」というものが認められるのだろうか。もしこれが認められるとして、これを「契約」だといってしまった場合、私は子供の人身売買的な悪いイメージを抱いてしまうのだが、それは私だけであろうか。
 婚約の不当破棄に基づく損害賠償について、不法行為で説明でき、それで不都合がないのであれば、わざわざ「契約」法理を持ち出す必要がどこにあるのだろうか。
 私にはよく分からない。

婚約って契約(1)?

2011-08-23 13:24:09 | 家族法
 婚姻が成立する前に、通常「婚約」という約束がなされることが一般であろう。要するに、婚約とは将来婚姻するという男女当事者間の約束である。
 一般に、「婚約」は契約の一種だという。したがって、婚約の不当破棄は損害賠償義務を発生させるという。債務不履行に基づく損害賠償義務ということなのであろう。
 「婚約」も確かに約束事なので、その不当破棄に対して損害賠償義務を負わせようという発想自体、意味は分かる。しかし、それを「契約」というとらえ方をすることに、どうも違和感を感じる。

 「契約」の民法上の位置づけは、いわゆる財産法の一部であり、財産的処分に関する人と人との約束事に関する規律であろう。「婚約」も約束事だからといって、これを、典型的には財産的処分行為たる「契約」に当てはめて議論するというのであが、「婚約」は決して財産行為ではない。

 もし「契約」として考えるとして、それでは「婚約」を守らない相手方当事者に対し、履行の強制は可能であろうか。あるいは婚約を「解除」することはできるのだろうか。
 どんなに「契約」であることを強調する説があったとしても、履行の強制を認める人はおそらくいないであろう。強制履行を認めるということは、判決に基づいて婚姻を成立させてしまうことにつながるが、「婚約」にこのような強い効力を認めるとは到底思えない。
 では「解除」はどうか。考えようによっては、相手方が約束どおりに婚姻手続きをとらない、あるいは他人と婚姻してしまったといった場合に、履行遅滞や履行不能に基づく契約解除ができるという理解もありうるのかもしれない。しかし、感覚的にあまりにも形式張った婚約解消方法である。

 要は、「婚約」という約束事をしても、結局は当人同士の愛情によるつながりなのであるから、その一方の愛情が途切れて約束どおりに婚姻に至らなかったとして、その後の処理も基本的にはその愛情の確かめ合いをするしかないのであって、一方的な破棄が不当だとなれば、損害賠償を認めればよいのであって、これを履行の強制だとか、解除だとか、法的な処理方法を持ち出すこと自体に強いナンセンスを感じる。
 そうだとすると、結局、「婚約」を契約だといってみても、その不当破棄に対して債務不履行に基づく損害賠償義務を負わせることを目的に「契約」だといっているに過ぎないのだろうと思われる。

更新料の有効性

2011-08-19 10:39:18 | 最新判例
 既に最高裁判決が出てから1か月以上経過してはいるが、更新料に関する最高裁判決について一言。

 更新料の定めが消費者契約法10条に違反するか否かにつき、最高裁は、

 「更新料の額が賃料の額,賃貸借契約が更新される期間等に照らし高額に過ぎるなどの特段の事情がない限り,消費者契約法10条にいう「民法第1条第2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するもの」には当たらないと解するのが相当」

として、具体的事案においてこれを有効と判断した。
 敷引特約の有効性についての最高裁については、このブログでも紹介したが、そのときの判断基準からして予想できた判例といえそうである。

 これら一連の判例から考えられそうなことは、消費者契約法10条の解釈として最高裁はかなり厳格に解釈しており、同条違反として無効となる余地はそれ程多くなさそうだ、ということである。

 ただ、注意すべきは、これらはあくまでも建物の賃貸借に関する判例だということである。土地の賃貸借(すなわち借地権)における更新料はどうなのであろう。一般的には土地の賃貸借の場合の更新料は賃料の額に比してかなり高額である。他方で、更新される期間は建物の賃貸借と比べると遙かに長い。そのため、建物の更新料の有効性について判断した本件判例の基準に、当てはめにくい。
 個人的な意見とすると、一般的に地代の額そのものが大変に低く抑えられている上、実務感覚からすると更新拒絶もおそらく借家に比べて困難である。そのため、更新料が無効とされては、地主にとって踏んだり蹴ったりになってしまう気はするのだが。

逮捕と勾留(2)

2011-08-16 14:52:01 | 日記
 俗に「人質司法」といわれることがあり、法制度上は被疑者段階での勾留に保釈の制度がない我が国の法制度の問題もあるが、運用上の「人質司法」は、ほとんどの場合に被疑者勾留を簡単に認めてしまうという、この被疑者勾留の段階から始まっていると思える。
 法律に詳しくない一般人からすると、「悪いことをした以上身柄拘束されるのは当たり前」という感覚があるかもしれないが、本当に犯罪を犯したのかどうかは、その後の裁判において決せられるのであって、捜査段階はあくまでも罪を犯した「疑い」があるだけなのである。逮捕された人は、ひょっとしたら無罪になるかもしれない人たちなのであり、もしかすると本当は罪を犯していない人たちを長い間身柄拘束しているのかもしれないのである。それでもいいのだろうか。

 近年社会的にも話題になった無罪事件としては、大阪地検特捜部が捜査した郵便不正事件が記憶に新しい。えん罪であったにもかかわらず、長い間(保釈まで5か月程度のようである)身柄拘束をされていたことになるのである。そして、この事件の(元)被告人は国家公務員であり、日常の仕事を抱えており、家族もいるはずである。そういう人たちが簡単に逃亡するであろうか。また、勾留請求時には証拠物件の大半は既に押収済みだったはずである。それでも証拠隠滅の恐れがあるのだろうか。
 皮肉なことに、この事件で証拠改ざんをしたのは被告人ではなくむしろ検察の方である。

 私が言いたいことは、捜査段階での令状主義および保釈の運用(保釈もなかなか認めないし、保釈保証金も高額になっていると思える。)も含めて、未決の被疑者・被告人の権利がないがしろになりすぎているような気がするし、このこと(特に被疑者段階での身柄拘束)が却って虚偽の自白を誘導する結果になってはしないだろうか。そのスタートが簡単に勾留を認めることから始まっているとしか思えないのである。

 弁護士の立場から刑事訴訟の運用を眺めると、どうしても愚痴になる。

逮捕と勾留(1)

2011-08-11 09:44:54 | 日記
 刑事法については、あまり得意ではないと言うことと弁護士の立場からの刑事法を眺めると、どうしても愚痴っぽくなってしまうことがあるので、このブログではあまり取り上げてこなかった。
 しかし、手続法の部分で一点だけ愚痴を述べたい気分になったので、ちょっとだけ述べてみる。

 被疑者が逮捕された場合、ほとんどといってもいいくらい、引き続き勾留される。私の実務経験では、それ程多く刑事事件を取り扱っていない中で、過去三回ほど逮捕された被疑者が勾留されずに釈放された例がある。自慢ではないが、取り扱った刑事事件の数に比較すると勾留されなかった事例は比較的多い方かもしれない。しかし、その他はすべて逮捕後当然のように勾留される案件ばかりである。

 ところが、刑事訴訟法を見れば、被疑者を逮捕できる要件と、引き続き勾留できる要件は明らかに違う。
 逮捕できる要件は、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があれば逮捕状により逮捕できる。現行犯人を逮捕する場合は、条文形式上は無条件に逮捕できる。このように、逮捕の要件はわりと緩やかである。
 これに対し、勾留できる場合は、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があるほか、住所不定、証拠隠滅の恐れ、逃亡の恐れのいずれかがなければならない。つまり、逮捕できる要件にさらにプラスアルファの要件が加わっている。それにもかかわらず、裁判官は簡単に証拠隠滅の恐れや逃亡の恐れを認め、簡単に勾留状を発してしまう。

 逮捕後必ずといってもいいくらいに勾留される理由として、そもそも被疑者の逮捕段階で、法律が要求する要件よりも厳格に運用し、証拠隠滅の恐れや逃亡の恐れがある場合に限って逮捕するような運用をしているのであれば、理解できなくはないが、決してそのような運用をしているとは思えない。
 結局、証拠隠滅の恐れや、逃亡の恐れという要件を、極めて(というより、際限なく)緩やかに解釈して骨抜き運用しているとしか言いようがないのである。
 しかも、勾留の違法を争おうとしても、法制度上は準抗告という手続しか用意されておらず、さらに上級審で勾留の違法を争う方法が手続法上用意されていない。身柄の拘束という、行動の自由が剥奪されている状況にもかかわらず、その違法を上級審で直接争う方法がないというのは、どうしてなのだろう。