実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

労働者の解雇制限(7)

2009-12-25 12:33:21 | その他の法律
 労働者の解雇制限の問題は,自分でもブログに書いていてだんだんごちゃごちゃとしてしまったが,一応もう少し……。

 前回の私のような考え方は,結果として,企業の側に低生産性労働者の雇用負担を強制することになり,企業に余計なコスト(ここでいうコストとは,低生産性労働者の変わりに同じ給与で高生産性労働者を雇用することとの差額と考えていい。)をかけさせることになる。これを正当化できるかどうかである,
 しかし,たとえ低生産性労働者といえども,生産性がゼロではあるまい。そうだとすれば,たとえば利益を生み出すほどの生産性を発揮しなくとも,支払う「給与の額」と労働者の「生産する額」が釣り合っている限り,企業にとって,負の雇用契約にはならない。もっと極端に言えば,企業に雇用されることによって,たとえわずかでも生産(国内の経済の規模を示す国内総生産と言い換えてもいい)に関与させることができる。これが,完全に雇用から排除されてしまえば,生産からも完全に排除される結果となってしまい,社会的な無駄が生じる上,税金をもってその者の生活を保障しなければならなくなるのである。そうであれば,多少企業に余計なコストをかけさせたとしても,そのコストが負を生み出すコストとは限らないこともあり,社会的には正当化できるであろう。

 解雇権濫用法理は,法律学的な立場からすると,社会的弱者を保護するものとして「当然に」正当化する傾向があり,逆に経済学的な立場からすると経済原理に合わないとして「当然に」批判する傾向がある。私も,法律家の一人として,正当化する立場の一人ではある。そして,私なりのごちゃごちゃした論証をしてみたが,決して「当然」ではない。あくまでも,今の日本の労働市場の現状を前提に正当化できるに過ぎない。これに変化が生じれば,また違った見方が可能なのである。社会的弱者の保護とか,経済原理とか,机上の空論だけでは,決して法律学と経済学を結びつけることはできない。が,現状分析をすれば接点が見いだせるのではないだろうか。
 ただし,私の以上のような分析は,あくまでも私の独断であり,これが正しいかどうかは全く保証の限りではない。

労働者の解雇制限(6)

2009-12-22 17:34:06 | その他の法律
 前回のブログで,「不完全情報の理論+解雇権濫用法理」を説明した。

 しかし,労働市場における不完全情報の理論が妥当するとすれば,低生産労働者であるという理由で解雇された労働者であっても,他の企業は,当該労働者を低生産性労働者であることが分からずに,うっかりそのような労働者を雇用してしまうであろうから,解雇権濫用法理は必要ないという理屈もあり得そうである。
 労働市場が新卒も転職も含めて完全に競争的(つまり,新卒組も転職組も全く同一の土俵で就職活動が出来る状況)であれば,そのとおりかもしれない。しかし,少なくとも日本の現状では,新卒市場と転職市場とは市場が分離されており,企業は新卒採用を重視し,転職市場はそれほど重視されていない(結果として転職市場は供給過剰になっている。)ような気がしている。しかも,高生産労働者の転職市場と低生産性労働者の転職市場もかなり区別されているような気がする(低生産性労働者はハローワークなどを通じての転職活動になるが,高生産性労働者はそもそもヘッドハンティングなど企業側の需要に基づく場合が多いであろう)。そうすると,転職であること(履歴書の転職歴の記載そのもの)が低生産性労働者であることを推測させる一つの情報になってしまう。この日本の新卒市場と転職市場の分離が,少なくとも日本の現状では不完全情報の理論が妥当しない一場面があると思っている。したがって,転職市場にあまり労働供給が増えないようにする必要性があると思うのである。
 つまりは,「不完全情報の理論+解雇権濫用法理」は,新卒採用においてもっとも効果を発揮する。そして,この新卒採用場面における「不完全情報の理論+解雇権濫用法理」が,日本の終身雇用制度(バブル経済崩壊後,終身雇用もだいぶ揺らいでいるように言われることもあるが,少なくとも大企業においては,まだまだ終身雇用制度は維持されているのではないかと思っている。)ともマッチしたために,中途解雇があまり発生せずに今日まできたのではないかと思うのである。
 解雇権濫用法理が比較的うまく機能してきているように感じている,私なりの理屈である。

労働者の解雇制限(5)

2009-12-17 10:18:47 | その他の法律
 解雇権濫用法理がどのように機能しているかを,日本の労働市場のおおよその現状を私なりに踏まえた上で,さらには私なりに理解した経済学の成果を踏まえて,もう少し突っ込んで考えてみたい。

 経済学的な発想では,解雇権濫用法理その他労働基準法等の法制度を持ち出すまでもなく,労働力に対する対価について,下方硬直性ということが言われることがある。どういうことかというと,本来自由経済であれば,労働力の対価についても,需要と供給のバランスで決定されるはずであるから,労働需要が減少すれば,その対価である給与も減少するはず(その結果,需要と供給のバランスがとれて完全雇用が満たされるはず。)だが,実際には不況になって労働需要が減少しても,給与は減少しないという現象を,労働対価の下方硬直性(要するに労働対価が下落する方向に対して硬直的(なかなか給与が減少しない)であること)という。このことが,不況時の失業率の上昇を招く。もし,不況時に労働対価が柔軟に下落する経済状態であれば,失業者が増える理由はないはずなのである。経済学的には,この現象は,どうやら解雇制限を導入しているか,あるいはその他の法制度の存否に,あまり関わりはないらしいのである。
 そうだとすると,不況時の一定程度の失業率は,自由経済の元ではやむを得ない現象ということがいえそうである。不況期にも完全雇用を達成させたいのであれば,むしろ政府介入により労働対価を強制的に下落させることの方が重要ということになるりかねないのである。ただし,それが政策的に妥当かどうかは当然別の話である。
 以上は,経済学的に説明される,不況時に失業率が上昇する一般的な理由である。

 それでは,新規に雇い入れたいと考えている企業の側は,生産性の高い労働者と生産性の低い労働者を,見分けることができるかどうかという問題もある。これを,経済学的には,不完全情報の理論,あるいは非対称情報の理論とか言ったりする。要するに,労働者自身は自らが生産性の高い労働力を有しているかどうかは分かっているが,雇い入れようとする企業の側は,労働者の生産性の高さについての情報を十分に持ち合わすことができないのである。極端には,労働者が履歴書に嘘を書いているかもしれないが,それを企業の側は嘘かどうかを見分けることができないということである(ただし,履歴書の虚偽記載は懲戒解雇事由になりうる可能性がある程極端な事例ではあるが,虚偽記載でないとしても,履歴書の記載(例えば同じ大学の同じ学部卒業という記載)だけでその(同じ内容が記載された履歴書についての)労働者の労働力を見分けることはおそらく困難である)。
 その結果,企業の側は,生産性の高い労働者も低い労働者も,同じ給与で雇い入れることになってしまうのである。これが,不完全情報とか,非対称情報の理論である。この現象が,労働対価の下方硬直性の一つの原因ともいわれているようである。

 そして,企業の側からすれば,うっかり雇用してしまった生産性の低い労働者を,できれば解雇し,もっと生産性の高い労働者を雇い入れたいであろう。しかし,解雇権濫用法理があるとすれば,自由には解雇できない。私は,ここに解雇権濫用法理の真の機能があるような気がしてならない。つまり,解雇権濫用法理の真の機能は,いったん雇ってしまった以上,たとえ生産性の低い労働力であったとしても,そのまま雇用し続ける義務を,企業の側に課した点に存在するのである。他方で,企業の方で予め労働生産性の低い労働者の雇用を防止できるかというと,上記のとおり不完全情報の理論により実効的に予防することは困難である。この,「不完全情報の理論+解雇権濫用法理」こそが,生産性の低い労働者であっても職にありついていられる具体的な根拠になっているのではなかろうか。経済学と法律学の合体の理論である。
 その結果,誤解されることを恐れずに有り体に言えば,生産性の低い労働者を,政府介入(司法介入)によって企業に雇用し続けさせることによって,生産性の低い労働者があらゆる雇用機会から排除されることを防止し,もって,生産性の低い労働者の最低限度の生活を保障しているのである。

労働者の解雇制限(4)

2009-12-15 13:04:42 | その他の法律
 解雇制限に関する判例・立法に対しては,経済学的な考慮を無視すべきではないことは,前回までに述べたとおりである。

 それでは,経済学の立場が言うように,解雇制限による弊害がある以上,解雇制限立法あるいは判例の解雇権濫用法理は問題なのであろうか。
 私の結論からすると,仮に経済学的な考慮に基づく弊害があったとしても,それよりもうまく機能している側面の方が強いような気がしている。そのため,今の解雇制限の法制度,あるいは判例を直ちに改める必要はないように思っている。
 その理由は,諸外国に比べ,完全失業率が低いことが端的な理由である。つまり,解雇制限による労働需要の萎縮効果は,日本においてはそれほど大きくなさそうだということなのである。
 完全失業率の統計の取り方については,様々に問題点が指摘されているようであるが,そのことは,程度の差こそあれ,諸外国でも同様のようであり,とりあえず統計の数字を前提とする限り,日本の解雇権濫用法理は比較的よい方向に機能している方だと思うのである。
 もしそうだとすれば,解雇権濫用法理を,今すぐ見直す必要性はないものと思われるのである。

 次回からは,日本の労働市場のおおよその現状を私なりに踏まえた上で,もう少し突っ込んだ議論をしてみたい。

労働者の解雇制限(3)

2009-12-10 15:44:20 | その他の法律
 話は脱線するが,自由経済のもとでは,価格の決定は,売主と買主の合意,あるいは需要と供給のバランスによって決定され,政府がこれに介入することはない。そして,これがもっとも合理的な価格決定方法だというのが,自由経済の大原則になっている。それはなぜか。
 たとえば,ある商品につき,価格統制令のようなものが発令されて,政府の関与で本来の市場価格より低額に抑えられたらどうなるか。その商品の生産者は,生産意欲がわくであろうか。価格が統制されていない他の商品を生産した方が利益になるとして,価格統制された商品の生産を控えてしまわないだろうか。その結果,価格統制された商品については,市場に商品が出回らないという結果につながりかねないのである。そして,どうしても当該商品が必要な人にとっては,異常に値段の高い闇市場が,当該商品を調達するための重要な市場になってしまいかねないのである。

 話を労働契約に戻して,労働者を解雇するということは,経済学的に言葉を換えていうと,企業の側が,解雇したい労働に対する報酬(給与)をゼロ円と値段付けをしているのと同義なのである。それを,法律をもって解雇制限をするというのは,政府(あるいは司法)が(少なくとも)最低賃金以上(あるいは,給与の減額も必ずしも自由ではないとすれば,従前の給与のまま)の値段を付けるように強制しているということなのである。

 上記の価格統制の話は,値段を政府の介入により強制的に値下げさせられている場合の話であり,解雇制限の場合は労働対価を強制的に値上げ(ゼロ円から少なくとも最低賃金)させられている場合の話なので,立場は逆になるが,値下げ強制の価格統制と似たような結果になりかねないのである。
 つまり労働に対する対価を強制的に値段付けさせられるとすると,これによる萎縮効果により労働に対する企業側の需要が減少する。どうしても労働力が必要な場合,闇の労働市場が発達する。ここでいう闇市場は,たとえば,本来であれば企業側が労働者として雇用してもよいところを,専属の請負人として請負契約で処理してしまうことなどが考えられる。いわゆる偽装請負である。当然,脱法行為である場合もあり得るであろう。マスコミの報道に接する限りでも,このような現象は,現に起きているのではないだろうか。
 あるいは,派遣労働がうまく機能しているかどうかにもかかわっている。これは私の想像であるが,現在の派遣労働は,派遣労働を利用する企業側からすると,体のいいレイオフ可能な労働力と同様に利用されているような気がしてならず(近時,「派遣切り」という言葉も使われていたようである。),うまく機能しているようには思えないのである。
 要するに,国家による価格統制は,値下げ強制であっても,値上げ強制であっても,必ずそれに対する弊害(少なくとも歪み)が生じるのである。こうした現象を検討することなく,単に労働者保護という名目だけで解雇制限を正当化する法律学,法律実務があったとすれば,それは片手落ちの法律学,法律実務だと思っている。法律の制定,解釈及び運用については,その目的だけではなく,効果も検討しなければならないのである。それには,経済学的な発想は非常に重要だと思っている。