以上の考え方に対しては、おそらく二つの方向からの批判が考えられそうである。
一つは、錯誤無効を和解成立要件といってしまうと、確定判決であっても、例えば錯誤によって事実関係を自白をしてしまった結果敗訴したような場合に、錯誤無効を判決成立要件として捉えることに繋がり、結果、確定判決の錯誤無効の主張を許すことに繋がってしまうのではないか、という点であろう。
しかし、私が言いたいのは、あくまでも訴訟物に関する処分意思の場面(つまり処分権主義が問題となる場面)を問題にしているのであり、個々の争点についての自白の場面(つまり弁論主義が問題となる場面)は関係がない。あくまでも訴訟物たる権利関係そのものの処分意思が問題なのであり、判決に至った場合は、たとえ部分的な争点について自白をしている場面があったとしても、訴訟当事者は訴訟物についての処分をしてはいない。
したがって、確定判決の場合に処分意思の瑕疵の問題が入り込む余地はないと考えていいのではないかと思うのである。
一つは、錯誤無効を和解成立要件といってしまうと、確定判決であっても、例えば錯誤によって事実関係を自白をしてしまった結果敗訴したような場合に、錯誤無効を判決成立要件として捉えることに繋がり、結果、確定判決の錯誤無効の主張を許すことに繋がってしまうのではないか、という点であろう。
しかし、私が言いたいのは、あくまでも訴訟物に関する処分意思の場面(つまり処分権主義が問題となる場面)を問題にしているのであり、個々の争点についての自白の場面(つまり弁論主義が問題となる場面)は関係がない。あくまでも訴訟物たる権利関係そのものの処分意思が問題なのであり、判決に至った場合は、たとえ部分的な争点について自白をしている場面があったとしても、訴訟当事者は訴訟物についての処分をしてはいない。
したがって、確定判決の場合に処分意思の瑕疵の問題が入り込む余地はないと考えていいのではないかと思うのである。