実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

How mach is 立退料?(2)

2010-02-25 14:26:40 | 債権各論
 比較的最近,テナントビルの明け渡しに関する訴訟を,オーナー側の代理人として手がけた。老朽化した建物の再開発に絡んだ,建物再築目的でのテナントの立ち退き訴訟といえる事案である。ただし,この再開発は,行政の強い後押しがあるとしても,都市再開発法による,いわゆる法定再開発ではなく,地権者の任意の建て替えを行政がバックアップするという手法を採用していたので,行政も絡んだ再開発ではあるはずなのだが,テナントにはそれが見えにくい案件であった。そのためにビルのオーナーが主体となってテナントに立ち退きを求めざるを得なかった事案であり,行政側の再開発の一環であることがテナントに理解されにくい案件でもあった。
 結局,この事案では,立ち退きは民対民の問題として処理せざるを得なかったので,基本的には通常の借家の効力如何が争点とならざるを得なかったのであるが,借地借家法28条の更新拒絶の要件が必ずしも直接問題となったわけではない。現実の事件は,教科書や論点集よりも奇であって,この事案では,契約条項の中で,再開発が決定した場合はそれから数ヶ月後に無条件で明け渡す旨の特約が存在し(その場合は賃借人として賃貸人に財産的給付を求めない趣旨の文言まで明確に記載されていた),しかも,手法が上記のように法定再開発ではないことから,その特約がいろいろな意味で問題となった事案である。
 最終的には和解で解決したが,和解で解決するにしても,やはり立退料の額を巡って和解の話し合いがなされたことは当然である。
 その際,正当事由の補完としての立退料の額に関して,私も多少下級審判例なども調べないわけではなかったが,私はその立退料の算定方法に驚いてしまった。要するに,下級審判例では,借家権価格相当額をもって,立退料として算定している判例が多いのである。他の拒絶事由の強弱との相対考慮はあまりしていないように見受けられるのである。私が手がけた上記事案でも,裁判官が和解案として示してくる立退料の額は,やはり借家権価格相当額であった。
 借家権価格を少し具体的に説明すると,建物本体の価格の何割かを(場合によっては,敷地の価格も考慮される場合も存在するようであり,私が手がけた事件では,敷地の価格も多少考慮された借家権価格が示された)借家権価格と見なしてしまう。そのため,例えば2年契約の建物賃貸借契約であって,2年経過時の更新拒絶の際に提供すべき立退料の額が,2年間の家賃の合計額を超えてしまうような立退料であったりするのである。もちろん,実際には何回も更新した後の更新拒絶の際の更新料が問題となる事例が多いとは思うが,それでも,結局は借家権価格相当額として,事案によっては2年契約なら2年間の賃貸借契約期間中の家賃の合計額を超えるような立退料の支払いが求められたりするわけである。そうなると,家主にとっては,最後の1回分の更新はいったい何だったということになるのだろうか。経済的には最後の2年間は,無償で使わせていたのと全く同じである。

How mach is 立退料?

2010-02-22 13:21:00 | 債権各論
 建物の賃貸借契約終了時に,賃借人が任意明け渡さない場合,更新拒絶の正当事由の補完として立退料を支払うことが多い。更新拒絶の是非が訴訟で争われると,賃貸人が申し出た立退料の額を参酌して判断することになると思われるが,場合によっては,賃貸人が申し出た立退料の額を上回る金額の支払いと引き換えに明け渡しを認容する判決をすることも許されるようである(手元にある判例六法によれば,最判昭和46年11月25日民集45-3-293の判例だそうである)。そうだとすると,更新拒絶の正当事由の補完としての立退料の額がいくらが妥当かは,最終的には裁判所の判断事項ということになる。
 上記判例は,更新拒絶の判断事項として財産上の給付の申し出も考慮すべきことが明文で明らかにされた現行の借地借家法が制定される前の判例であるが,おそらく借地借家法の改正の趣旨は判例を追認した規定と思われるので,基本的には現行法上も上記判例が妥当するものだと思っている。

 ところで,妥当な立退料は一体いくらなのであろうか。一般論だけで言ってしまえば,他の更新拒絶の要件との相関関係で決まるのであって,一義的に「いくら」という金額など存在しないというのが答えだと思われる。要するに,更新拒絶の必要性が高ければ,立退料の額は少なくてよいはずであるし(場合によっては立退料の支払いは必要ないという事案も存在しておかしくない),逆に更新拒絶を認めるとしても,更新拒絶の必要性がそれほど高くないのであれば,それだけ立退料の額も増えるということになろうと思われる。
 おそらく一般論としてはこれ以上の答えはない。しかし,これでは実務的な基準にはならないという他はない。が,事柄の性質上一般論としては仕方がないのであろう。

損害額算定の基準時(4)

2010-02-18 09:56:28 | 債権総論
 前回ブログまで述べたことからして,債権者が任意の時点を捉えて損害額の基準時としてよく,裁判所はこれに拘束されるという多元説は,判例分析としも,現行法の損害賠償法の考え方としても,おそらく間違っていると思う。おそらく,損害額算定の基準時が争われた場合は,裁判所はどちらの主張がよりベターか(当事者の主張,立証内容によっては,ベストの判断が出来ない可能性がある)について判断するはずで,決して債権者側のいいなりになっているだけとは思えない。そして,値上がり益の賠償について,一応民法416条で処理するというのが現行法における判例の一般論だとすれば,予見可能性を求めるのは,具体的事案における妥当な解決として,一定程度機能しているように思うのである。
 多元説が単に任意の時点を捉えてよいというのであれば,予見可能性を求めずに任意の時点を選択できるという理解かと思うが,そのような理解をしてしまった原因は,おそらく判例分析が正確ではないからである。上記のように予見可能性があることに争いがなければ,予見可能性が必要か否かが判旨には現れてこない可能性があるのである。損害賠償の判例分析においては,そのことを忘れてはいけないと思う。

 つまりは,損害賠償の範囲や額に関する判例は,常に「当事者の主張,立証を前提とすれば」という枕詞をつけて分析せざるを得ないと思うのである。そのため,この分野の判例分析は,当事者の主張,立証内容を踏まえた上での分析でないと,おそらくそれほど意味がない判例分析となってしまうのである。
 学者から怒られることをいとわずにあえて言えば,損害賠償の範囲の問題は,最も机上の空論になりやすいところだということである。実務家から言わせれば,判例の存否及びその内容の紹介以上には,学者の判例分析やそれに基づく理論建てが実務的に最も役に立たない分野であろう。
 債権法改正の議論においても,損害賠償の範囲の問題については,学者は実務家の意見を十分に尊重した上で立法化すべき部分だと思う。
 言い過ぎだろうか。

損害額算定の基準時(3)

2010-02-15 13:48:37 | 債権総論
 前回ブログで,転売利益が損害算定の基準時の問題であるかのように書いたが,基準時の問題とはやや違う問題かもしれない。
 ただ,要するに私の言いたいことを抽象的に言えば,ある損害の発生について,予見可能性が当然に認められる(あるいは予見可能性のあることに争いのない)事案の場合に,法律的論点として予見可能性の必要な事案かどうか(予見可能性がなければ賠償すべき損害の範囲に入ってこない損害かどうか)というのが,実務上判旨で示されないことは多分にあり得るだろうということであり,その場合に,予見可能性の必要ない判例と理解するのは,間違いであろうということである。このことは,損害の算定の基準時でも同じようなことが言えると思われるのである。

 研究会で報告されていた学者の最高裁判例の基準時に関する分析についても,履行不能時を基準時とする判例として報告者は2つの判例を挙げておられたが,配布されたレジュメを見ている限りでは,少なくともそのうちの1つは,債権者(原告)は履行不能時を基準とした損害の算定を求めているのに対し,債務者(被告)はそれ以前の時期を基準時とした額の算定を求めている判例のように読めた。
 もしそうだとすれば,実務家の目からみると,解除時を基準時とする判例と矛盾するかというと,必ずしもそうとも言い切れない。なぜなら,そもそも履行不能時を基準時とした上記判例の事案において,契約解除をしている事案か否かが明らかではなく,また,解除していたとしても,その解除時における損害の算定に関しての主張,立証がなされていない事案だと考えざるを得ないからである。
 裁判所としては,もし解除をしている事案であったなら,解除時が最も望ましい基準時として考えているのかもしれないが,その時期における損害の主張,立証をしていない以上,原告が主張,立証している履行不能時を損害として認定せざるを得ない事案だったかもしれない。これを,「解除時の損害についての主張,立証がない以上請求棄却」と判断するのは,あまりにも具体的妥当性に欠けることは明らかであろう。そうであれば,ベストの判断ではないかもしれないが,ベストに準ずる基準時として,債権者(原告)が主張立証している履行不能時の損害を基準として判断するしかないのである。

 要するに,損害賠償の範囲の問題,その額の算定については,事柄の性質上,債権者側の主張,立証の有無,さらには債務者側が争っているか否かに左右されやすいのである。予見可能性や基準時については,債務者が争わなければ判旨には現れてこない場合があるし,民事訴訟における弁論主義,処分権主義の建前からすれば,債権者が主張立証しない損害について,裁判所が判断することは決してないのである。

損害額算定の基準時(2)

2010-02-12 10:21:10 | 債権総論
 実務家の目から見ると,損害賠償の範囲に関する判例分析は非常に難しい。表面的な判旨だけでは見えない部分が多いからである。
 どういうことかというと,先ず第1に,不法行為にしても債務不履行にしても,何を損害と考えるかは,一次的には債権者(原告)が損害と考える金額を請求してくるにすぎないということである。したがって,本来であれば当然損害として認定されてしかるべき損害項目についても,債権者(原告)がそれを請求していなければ,裁判所は当該損害について判断することはしない。これは民事訴訟法の処分権主義あるいは弁論主義の要請である。
 そして第2に,債権者が損害として主張している項目について,それが相当因果関係のある損害であることについて債務者(被告)が特に争わなければ,実務上,裁判所はその点についての法的判断をあまり示さない傾向がありそうだということである。
 例えば,転売予定の物に関する履行不能に基づく損害賠償請求であれば,転売利益を損害として請求してくるに違いなく,商取引における履行不能事案であれば,このような事例は枚挙にいとまがないのではないだろうか。この転売利益は,いわゆる「履行利益」の損害賠償の典型例のようにいわれていなかったであろうか。しかし,上記報告者による判例分析に従えば,履行不能を基準時とした損害ではない可能性がありそうで,そうだとすれば,転売利益が発生することについて予見可能性が必要ということになりそうである。
 私の直感的な感覚では,転売利益を損害として請求するには,予見可能性は必要な気がする。しかし,商取引などでは,遙か以前から同様の取引を継続的に行っているのであり,債務者が販売した商品がどこに転売されているか,債務者自身,全て承知していることが前提となっている場合が多いと思われる。例えば下請けが元請けに商品を納める場合を想定すれば,その納めた商品は元請けから発注者に納品すべきものであることは,下請けも当然の前提として知っているはずである。そうすると,下請けである債務者にとって元請けに転売利益が生じるであろうことは予見可能性があるのはあまりにも当然すぎる前提なのである。より広い事案で言えば,エンドユーザーからの注文でなければ,そのことを認識している限り,商品を納める債務者は常に債権者の転売利益の予見は可能なはずである。このような事例では,訴訟の中で予見可能が争点となることはないのである。そのため,表面的な判旨でも,転売利益の損害賠償請求の事案について,予見可能性の有無について全く何らの判断もしていない判例が登場するというのも,実務的には全く不思議ではない。が,だからといって,理論的に予見可能性が必要ないという判例として理解してよいかといえば,以上のような事案であればおそらくそれは間違いで,少なくとも予見可能性の必要性については何ら判断していない判例というほかないのである。