実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

公務員の政治活動の自由(5)

2012-12-25 11:26:45 | 最新判例
 第三の問題点としては、今回の判例は2件あり、うち1件は有罪としている点に係る。

 有罪と無罪との分かれ目は、有罪となった当該公務員は管理職員であって、指揮命令や指導監督等を通じて他の多数の職員の職務の遂行に影響を及ぼすことのできる地位にあり、裁量権があったという点が大きい。そして、裁量性のある公務員の政治活動は、例え政党新聞の配布が勤務外で行われたとしても、裁量性のある職務検眼の行使の過程で政治的中立性が損なわれる恐れが実質的に生じるというのである。
 しかし、この判断は、裁量性を有する管理職員であれば、当然に政治的中立性が損なわれる恐れが実質的に生じるといっているのであり、政治的中立性が損なわれる恐れの実質性という合憲限定解釈をしながらも、その実質的判断について、単に当該公務員の管理職員という職務の地位や職務の裁量性という職務の性質だけで判断しているのである。これが本当に実質的判断といえるだろうか。結局のところ、管理職員であり裁量性のある公務員であれば、一律禁止したのと何ら変わらない。
 刑法理論的にいうと、公務の政治的中立性の確保がその保護法益ということになると思われるが、もし一律禁止と解すれば、その刑罰規定は抽象的危険犯として捉えているということになりそうであるが、今回の判例は、明らかに具体的危険犯と解釈しているはずである。
 他方で、勤務時間外に政治活動をしたところで、そのことがすなわち公務そのものに影響があるとは一律にはいえないはずで、政治的意見の表明は勤務時間外に行っても、公務そのものはそのこととは別に中立公正に行う公務員がいたところで全くおかしくない。それは管理職員であろうと裁量性があろうとあまり関係のないことのように思える。その意味において、合憲限定解釈をし、刑法理論的には具体的危険犯と解釈したはずの一般論が、あてはめの場面ではその理屈がやや損なわれてしまっている感が否めない。
 有罪を維持した方の最高裁判例には、反対意見があり、勤務時間外の行為であれば、政治的中立性を損ねる恐れが実質的あるとはいえないという、その反対意見の方に、私は説得力を感じる。

 結局のところ、今回の最高裁判例は、公務員の政治活動について、これを制限する刑罰法規を限定解釈して一定の自由を保障し、現に一方の判例では無罪としている点では、大変に意義深いものを感じるところではあるが、その限定解釈した刑罰法規の実際の適用状況を見ると、まだまだ公務員にとって厳しい判断が続いているともいえそうである。
 今後の判例の動向が注目される。

公務員の政治活動の自由(4)

2012-12-20 09:46:18 | 民法総則
 判例が、事案が異なると言っている点については、千葉補足意見が参考になる。千葉補足意見を私なりに要約すると、裁判所の法解釈はあくまでも現実の事案を踏まえての解釈であり、事案が異なれば、その事案に沿った法解釈をするのが当然であり、異なる事案における解釈は参考にならないということだろうか。
 現に判旨を見ると、猿払事件の事案は、今回の限定解釈に当てはめても、やはり有罪となるべき事案であったかのような判示ぶりとなっている。

 しかし、判例法主義の国に関して判例法理の解釈を行うのであればともかく、成文法主義の日本においては、成文法の条文解釈が問題となるのであり、このことは、萎縮効果を嫌う表現の自由の制限立法や、罪刑法定主義が支配する刑罰規定に関しては、事案に対する結論が妥当であればそれでよいというものではなく、成文法そのものの解釈が特に重要なはずである。さらに言えば、付随的違憲審査制の下では、憲法判断は終局的解決のための判断ではなく、判決理由中の判断でしか憲法判断がなされない場合が多い。
 今回の判例でも、単純に言えば、公務員による政党新聞の配布という行為が刑罰法規の構成要件に該当性するかどうかが問題となっているのであるが、これが構成要件に該当しないという結論のみを取り上げたのでは、刑罰法規についてどのような解釈をしたのかがさっぱり分からない。理由中で刑罰法規の解釈を示して初めてその結論の正当性が判断されるのであり、その刑罰法規の解釈が憲法を参照しなければならないのであれば、法解釈の前提としての憲法解釈を判決理由中で示す必要があるはずである。合憲限定解釈を行うのであれば、こうした思考の過程は特に重要である。
 このように、少なくとも合憲限定解釈を行う場合、憲法判断は法解釈を行う上での前提行為でしかなく、判決理由中の判断こそが、憲法判例そのもののはずなのである。

 千葉補足意見は、今回の最高裁判例を、そもそも合憲限定解釈とは考えていないようなので、事案が異なれば結論も異なりうるという、単純な考えをしているのかもしれないが、今回の最高裁判例が憲法判例の一つと考えれば、それ程単純な問題ではないはずであり、事案を異にするという一言で猿払事件判例との違いを片付けるのは、やや問題だったのではないかという気がする。

公務員の政治活動の自由(3)

2012-12-17 10:45:12 | 最新判例
 まず一つ目の視点としては、そもそもこのような合憲限定解釈が妥当かどうかということであるが、正直なところ、憲法があまり得意ではない私にはよく分からない。学者の議論を待つしかない。
 ただ、猿払事件判決のように、一律禁止の規定そのものがそのまま合憲であるかのような判断をしていたところに、あえて限定解釈をして公務員の政治活動の自由を一定程度尊重したことには、相当程度の意義が認められてしかるべきであろう。その意味においては、重要な憲法判例と位置づけることができるだろうと思われる。

 第二に、一律禁止とも読める判示をした猿払事件判決に対して、合憲限定解釈を行った今回の最高裁判例との関係である。一見すると、猿払事件の判例変更が行われたかの如くでもある。
 ところが、今回の最高裁判例は、判例変更ができない小法廷での判決であり、現に決して判例変更と言わず、猿払事件判例に反するという検察官の上告趣意に対しては、事案が異なるといっているに過ぎない。これはどういうことか。

公務員の政治活動の自由(2)

2012-12-14 09:46:43 | 最新判例
 政治活動の具体的中身としては、政治的意見を表明することが含まれ、政党新聞を配布することも、当然に表現の自由の保障が及ぶはずである。その保障の及ぶ政治活動としての表現の自由は、当然、公務員としての地位にある者にも保障されてしかるべきはずである。ところが、猿払事件判決は、公務員による選挙用ポスターの掲示行為や同ポスターの配布行為について、国家公務員法やこれの委任を受けた人事院規則による政治活動の一律禁止規定について、これを合憲とし、公務員の政治活動が著しく制限される結果となっていたといえる。
 これに対し、今回の最高裁判例は、禁止される政治活動について、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる場合に限って禁止されるとして、限定解釈を行った。
 千葉補足意見によれば、これは、国家公務員法自体の解釈であって、合憲限定解釈ではないというが、今回の判例は、検察官による憲法21条1項違反や憲法31条違反の上告趣意を受けて判示している形式となっているのであり、実質的な合憲限定解釈としか言いようがなさそうである。

 もっとも、この判断には、いくつかの視点から検討を加える必要がありそうである。

公務員の政治活動の自由(1)

2012-12-11 17:28:34 | 最新判例
 既にマスコミなどでも取り上げられているが、公務員の政治活動の自由について、非常に重要な判例が登場した。

 憲法判例として有名な猿払事件判決以降、判例の理解としては、国家公務員法やその委任を受けた人事院規則に規定する公務員の政治活動の禁止は、一律禁止であるかの如くの理解が普通であった。
 ところが、今般の判例は、禁止の対象とされるものは、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる政治的行為に限られるという限定解釈をした上で、特定の政治色を有する政党新聞の配布行為について、管理職的地位になく、その職務の内容や権限に裁量の余地のない公務員によって、職務と全く無関係に、公務員により組織される団体の活動としての性格もなく行われたものであり、公務員による行為と認識し得る態様で行われたものでもないから、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものとはいえないとして、非裁量的公務を行っているに過ぎない公務員の新聞配布行為について、無罪とした原審の判断を維持した。

 他方で、同時に言い渡された別の判決では、管理職的地位にある者がほぼ同一の行為を行った事案に関しては、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるとして、有罪とした原審の判断を維持した。
 有罪と無罪が別れた原因は、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるか否かの判断にあるといえるが、一方は裁量の余地のない公務員については無罪、裁量の余地のある管理職公務員については有罪としている点が、判断の実質的な分かれ目だったといえそうである。

 ただ、いずれにしても、公務員の政治活動が一律禁止されるかのような規定について、その政治活動の範囲を限定して理解し、無罪とした事案が登場したことは、憲法判例としての重要性が認められそうである。