実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

会社の登記は商業登記?(3)

2011-04-28 11:51:03 | 会社法
 商業登記という言葉からのその必要性についての直感的イメージは、当該商人がどのような商売をしているのかが目に見える形にしておくことが、商業登記なのであろう。自然人たる商人の場合は、まさにこれが当てはまると思う。
 会社の登記の場合、この目的と、法人の中身を一定程度目に見える形にしておくという両方の登記の必要性がダブるのかもしれないが、実務をしている限りでどのような目的で会社の登記事項証明書を取り寄せるかというと、ほとんどの場合、目に見えない会社の中身を知るために登記事項証明書を取り寄せることしかない。特に多いのは、訴えを提起する場合の資格証明として取り寄せる場合である。この場合は、まさに法人の存在とその代表権限を証明するための資料として取り寄せ、裁判所に提出するのである。会社がどのような商売をしているのかを知る目的で登記事項証明書を取り寄せることは、ほとんどない。

 今日、営利法人については「会社法」という法律、非営利法人については「一般社団及び一般財団に関する法律」という、それぞれの基本法ができあがり、登記事項も非常によく似ている。そのうちの一方を「商業登記」と呼んで商法の言葉に合わせ、他方をただの「登記」としておくのは、以上のようなことからすると、もはや時代遅れのような気がしてならない。いっそのこと、「法人登記」とでもして、法律用語上も法人間である程度共通化した方がよいような気がするのだが……。

会社の登記は商業登記?(2)

2011-04-25 10:55:40 | 会社法
 もちろん、法人の中で会社の登記だけが「商業登記」と呼ばれるには理由も沿革もある。商法上商人には商号など登記することができることとなっているが、その登記が本来の商業登記である。そして、法人たる商人は基本的に会社であり、その商人たる会社の商号などの登記だから、やはり商業登記なのである。今でもそのことに変わりはないということなのであろう。登記事項である会社の名称を「商号」といい、あるいは「本店」、「支店」という言葉も、会社が商人たる法人であることの名残として残っている言葉ともいえる。

 しかし、会社法制定後は、登記事項や登記の効力はすべて会社法に直接規定されるようになっており、商法が適用される余地はおそらくない。そうすると、普通の商人の登記に関する商業登記と、言葉を合わせる必要性はなくなっていると思われる。その上、冒頭の方で述べたように、会社の登記事項と一般社団法人や一般財団法人の登記事項は非常によく似ている。
 そうだとすると、法人の登記のうち会社の登記だけ商業登記とされることが、何か不自然に感じられるようになってきたのである。
 まだ、一般社団法人や一般財団法人の登記事項証明書(法人の登記簿謄本)を取り寄せたことはないのだが、おそらく見た目は会社の商号登記簿謄本とほとんど同じだと思われる。

 法人の登記の必要性ということから考えると、直感的には、目に見えない存在である法人の中身を一定程度目に見える形にしておくことが、法人の登記であるような気がする。このことは、会社であろうと、一般社団法人や一般財団法人であろうと、さらには弁護士法人であろうと、同じことだと思うのである。

会社の登記は商業登記?(1)

2011-04-21 11:43:48 | 会社法
 会社法の規定により登記すべき事項は、商業登記法の定めるところに従い,商業登記簿に登記することになっている。したがって、会社の登記が商業登記であることは法律上明白である。

 それでは、ほかの法人、たとえば一般社団法人や一般財団法人はどうか。商業登記法を準用している部分はあるが、登記手続は「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」に直に規定されており、商業登記簿に登記するとは規定されていない。したがって、一般社団法人や一般財団法人の登記が商業登記でないことは明らかである。しかし、登記事項は会社の登記事項と非常によく似ており(というより、性質に反しない限りは会社の登記事項とほとんど同じである)、おそらく登記簿謄本(登記事項証明書)の見た目はほとんど同じ見た目だと思われる。
 実は、世の中には様々な法人が存在し、その法人に関する中、登記すべき事項が存在する法人が大多数である。民法には相続財産法人というかなり特殊な法人も存在し、この法人に登記事項は存在しないが、登記事項のない法人はどちらかというと珍しい法人といえる。
 法律実務家(弁護士)がその資格で設立しうる法人として、弁護士法人という法人がある。この法人にも登記すべき事項があり、登記手続は政令で定められることととなっている(弁護士法30条の7第1項)。この政令は探しにくいのだが、「組合等登記令」という政令がある。ここに登記手続が規定されているのである。この政令は、どちらかというと法人に関する登記の一般法規であり、様々な法人の登記手続が規定されており、弁護士法人もその一つとして規定されているのである。もちろん、これら法人の登記も商業登記ではない。

 何が言いたいかというと、法人に関する登記で、会社だけが「商業登記」と呼ばれ、それ以外の法人はただの「登記」なのである。

DNA鑑定(4)

2011-04-18 13:23:26 | 日記
 足利事件における鑑定方法は、私の認識が間違っていなければ、どうもこの多型部分1か所だけで鑑定したようである。しかも、その精度にも問題があった可能性がある。
 もっとも、ここからは私の想像であるが、当時のヒトゲノムの解析はまだ不十分だったと思われ、反復配列の多型部分がDNAのどこにあるのかが、はっきりしたことが分かっていなかった可能性もあり、唯一知られていた多型部分1か所だけで鑑定をしたとも考えられる。また鑑定技術も確立したものであったかどうか、今になって振り返ると疑わしいということもあり得よう。

 さらにもう一つ重要だと思うことは、全くの他人間の細胞検体から採取したDNAならば、多型部分を対で鑑定した場合に、ともに一致するという可能性はそれほど大きくないかもしれないが、親子や兄弟間の場合はそうはいかないはずだ、ということである。
 なぜなら、染色体(を構成するDNA)は、23対(合計46個の)染色体のうち半分が父親から、残りの半分が母親から子へ受け継がれるのである。だから、親子間では、対となるDNAの片方はほぼ必ず一致する。兄弟間では、対となっている染色体のうち兄弟で同じ染色体が両親から受け継がれている可能性もほぼ4分の1の確率で存在する。したがって、反復配列の多型部分1か所だけで鑑定した場合、2つの検体の鑑定結果が一致する可能性は、全くの他人間の検体よりも親子・兄弟間の検体の場合の方がきわめてはるかに高いはずである。このことも、決して忘れてはいけないと思う。

 本に書いてあったことでもう一つ印象に残っていることは、アメリカの犯罪捜査でDNA鑑定が利用される場面は、「鑑定結果が一致しなければ犯人ではない」という、消極目的で利用されているらしいことである。「鑑定結果が一致する」だけで犯人と決めつけることはしていないらしく、真犯人とするには必ず他の証拠も必要とする運用をしているらしいのである。そのようなことまで、生物学の本(大学教科書)に書いてあるのに驚く。
 この犯罪捜査方法は、科学的捜査を重視しつつ、その結果をうのみにしないという、極めて慎重な態度といえる。科学捜査の限界(技術的限界、人為的ミス等)もありうるであろうから、日本の犯罪捜査でも同様の慎重さを求めたいものである。そして、日本の犯罪捜査にDNA鑑定が利用され始めた当初の鑑定(特に、犯人性が争われた事件)は、その鑑定が真にに正しかったかどうか、やはり再検証が必要なはずである。足利事件の再審を担当した弁護人も、おそらくこの点を気にしているはずなのである。おそらく、だからこそ、ただ再審無罪になりさえすればよいというのではなく、なぜDNA鑑定によってえん罪が発生したかの検証をする必要性を再審の審理の過程で主張していたのである。DNA鑑定に関して、足利事件だけが特殊だったわけではないはずだからである。
 足利事件以外に、再検証をしようとしない検察は一体何を考えているのだろうか……。

DNA鑑定(3)

2011-04-15 11:10:43 | 日記
 さて、いよいよ本題であるが、人の遺伝子情報、すなわちDNAの塩基配列は人それぞれで違う。だから、DNA鑑定が可能なのである。しかし、では人によってどれほど違うのだろうか。本のどこに書いてあったかわからなくなってしまったが、確か、99パーセントは同じだと書いてあった。つまり、人によるDNAの塩基配列の違いは、わずか1パーセント程度しかないのだとのことである。そのわずか1パーセントの塩基配列の違いが、多彩な人物像を作り上げているのである。DNA鑑定も、このわずか1パーセントの部分(人によって多数の塩基配列の型が存在するという意味だと思うが、「多型」という言い方をする)を拾い出して鑑定をする。
 特徴的な多型部分は、塩基配列がたとえば「AGAGAG……」のように2塩基もしくは数塩基が反復となっている部分にあるという。この反復の回数、別の言い方をすれば反復部分のDNAの長さが、人によって違う部分があるのだそうである。その長さを測る。これが現在行われているDNA鑑定の方法らしい。
 ただ、長さをはかると言っても、非常に微細な話であり、顕微鏡で「AGAGAG……」の繰り返しの数を目で見ることができるわけではないし、物差しをあてがって測れるわけでもない。

 DNAは電気的にややマイナスに帯電しているらしい。そのため、反復配列の多型の長さを調べるのに電極を利用する。反復配列部分を切りだし、そのDNA断片を増幅して数を増やす。そして、寒天のような多孔性のゲルというものに電極を設置した装置の、負極付近のゲルに窪みを設け、その窪みに増幅したDNA断片を入れる。そして電気を通すのだそうである。そうすると、マイナスに電荷しているDNA断片はゲルの中を少しずつ時間をかけて通過して正極の方に移動するのだそうである。ただ、DNA断片が長ければ長いほどゲルの抵抗を受けやすく、同じ時間内での移動距離が短くなる。このようにして、移動距離によってDNAの長さの違いが測れるのだそうである。
 人の染色体は23対あり、必ず染色体は対で存在するので、おなじDNAの多型部分を2つの染色体で測定できる。そのため、1か所の多型部分から2つの測定が可能である。

 現在のDNA鑑定は、STR法という言い方をしているが、この測定をいくつかの染色体に存在するDNAの反復配列の多型部分で実施するようである。そのため、鑑定の対象となる2つの検体(細胞)の測定結果がすべて一致すれば、非常に高い確率で同一人物の検体(細胞)ということができるらしい。
 しかし、以上のようにDNA鑑定は塩基配列一つ一つがすべて一致するか否かという鑑定方法を採用するわけではないので(塩基配列の違いの有無そのものを直接調べようとすると、分子一つ一つを直接のぞき込むのと同じことになるので、おそらく膨大な労力・時間・費用がかかり、限りなく不可能というに近いのだと思う。)、鑑定結果はどれほど高い確率であっても、確率論以上のものにはならないし、鑑定技術がヘタだとその制度も狂うはずである。