実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

今、解散総選挙をするの?

2011-05-30 10:47:30 | 時事
 自民党は、今週中にでも内閣不信任案を衆議院に提出するのだろうか。これが可決されたら、総理に解散を進言すると公言する政府関係者もいる。
 ところで、もしそうなると、現行の定数配分のまま選挙するのだろうか。

 前回の衆議院選挙については、一票の価値の平等について、つい最近、最高裁がいわゆる違憲状態判決を言い渡した。それにもかかわらず、このまま解散総選挙となると、違憲状態の定数配分に従って選挙を行うことになる。そのようなことが望ましいはずがない。

 もちろん、内閣と国会の連携と均衡を考えた場合、定数が是正されていないという理由で衆議院による内閣不信任や、対抗手段としての衆議院の解散権限を制限することが正しいとは思わない。しかし、だからこそ、早急な定数配分の見直しをすべきだと思うのだが、マスコミ報道を見てる限り、定数是正に向けた表だった動きはないようである。

 震災の被災地域においては、地方選挙も延期になっているという実情もあり、選挙どころではないという可能性も高い。

 震災に対する対応や、予算がらみでいえばいわゆる公債特例法案(この法案は何らかの形で成立させないと、歳入欠損になることは明らかであり、成立させないで構わないという選択肢はないはずである。)など、与野党ともに、もっと譲り合って政治的課題に対応することはできないのだろうか。

契約準備段階の過失は債務不履行にならない?(2)

2011-05-26 10:54:50 | 最新判例
 契約交渉の不当破棄に関する判例も、当該判例こそは債務不履行か不法行為かをはっきりとは述べていないが、教科書レベルでは付随義務違反の類型として債務不履行の場所で説明がされている。何らかの契約を締結するに際して、説明義務違反があった場合も、付随義務違反として債務不履行責任で理解できるというのが、近年の学説や(金融商品のようなリスク商品の契約に際しての説明義務違反が問題となるような)下級審判例の傾向だったのではないだろうか。

 それに対し、今回の判例は、契約準備段階の過失については、債務不履行責任を負うことがないという、かなり包括的な議論を展開するので、実務にもかなり大きな揺り戻しがあるのではないだろうか。

 ただし、債務不履行責任か不法行為責任かで効果に大きく違うのは、時効の問題である。現在行われている債権法改正の中で、時効期間を統一しようという動きがあるやに聞いている。もし、不法行為責任の時効も一般の債権の時効期間と区別がなくなるとすると、講学的な議論はともかく、実務上は債務不履行責任は不法行為責任かの違いは、あまり大きな問題ではなくなってしまうのかもしれない。まさか最高裁がこの改正法の動きを先取りしたわけではないだろうが……。

契約準備段階の過失は債務不履行にならない?(1)

2011-05-23 10:42:46 | 最新判例
 先日、とある研究会で、最近のとある最高裁判例について報告した。

 中小企業等協同組合法に基づいて設立された信用組合(いわゆる、「信組」と呼ばれる小規模の金融機関である。)に対する出資契約に際し、当該信用組合が経営破綻する現実的危険性が高いにもかかわらず(その後現に破綻)、そのことを信用組合が出資者に説明しないまま出資させたことについての説明義務違反が問題とされた事案で、信用組合が不法行為責任を負うことがあることは格別として、債務不履行責任は負うことはないという最高裁判例が、ごく最近登場した。
 説明義務違反により本来締結されなかったはずの契約が締結に至り損害を被った場合は、後に締結された契約は、その節名義務違反によって生じた結果なのであって、その説明義務を契約上の義務であるというのは、背理だというのである。そして判例はさらに一般論を述べる。「契約締結の準備段階においても、信義則が当事者間の法律関係を規律し、信義則上の義務が発生するからといって、その義務が当然にその後に締結された契約に基づくものであるということにならないことはいうまでもない。」と。

 債務不履行に基づく損害賠償責任は、伝統的には履行遅滞、履行不能、不完全履行という類型で説明され、これらは要するに本来の契約上の給付義務に違反した場合である。
 しかし、講学上、契約締結上の過失という概念が説明され、原始的無効の契約を締結した場合であっても、責任を負う場合があるとされ、これが不法行為ではなく債務不履行責任(ただし、信頼利益の賠償)として理解することができると説明されていたと記憶している。
 さらに、判例でも、付随義務としての安全配慮義務違反は、債務不履行責任として位置づけられており、給付義務違反だけが債務不履行責任ではなく、付随義務に違反するような場合も、債務不履行責任になり得ることは、いまや常識と考えられているはずである。

書面によらない死因贈与(3)

2011-05-16 15:10:14 | 債権各論
 もっといえば、死因贈与は遺贈の規定を準用するとなっているが、方式面では準用がないといわれ、その結果、遺言のような書面で行う必要はないといわれるが、本当にそれが正しいのかどうか。
 確かに、遺言は単独行為であり死因贈与は契約であるから、死因贈与を「遺言」という形式で行うことは,その性質に反すると言えそうである。
 しかし、仮に方式面の準用がないとすると、いったい遺贈の規定を準用する意味はどこにあるのだろうか。判例では、遺言の撤回に関する民法1022条が準用されるとされている。ほかに意味のある準用があり得るとすると、受遺者が先に死亡していた場合に遺贈が失効となる民法994条、それから、遺言執行者がいれば、死因贈与の実行も遺言執行者が行うということであろうか。教科書レベルではよくわからない。
 ところが、遺贈の撤回の準用を認める判例(この判例は、書面による死因贈与の場合に意味がある)は、死因贈与が契約であることと矛盾しないのだろうか。当たり前であるが、書面による生前贈与であれば、撤回はできない。たとえ死因贈与であっても、相手方のある契約として行っている以上、これを遺贈の撤回を準用することにより撤回できるとするのは、むしろ「その性質」に反しているような気がしてならない。受贈者が先に死亡していた場合も、失効させるよりもその相続人が受贈者たる地位を相続すると考える方がよいという考え方だってあり得ると思う。遺言執行者に執行させるかどうかも、手続面だけのことであり、効果的側面でいうと副次的な意味しかない。
 死因贈与は遺留分減殺の対象になるという言い方もあるかもしれない。しかし、贈与も一定の範囲で遺留分減殺の対象となるのであって、その範囲に当然死因贈与も含まれる。従って、遺留分が死因贈与に準用されるといっても意味がない。
 このように考えてみると、死因贈与は効力面だけ遺贈の規定を準用するといってみても、(全く意味がないとはいわないが)それ程大きな意味があるとは思えない。むしろ、死因贈与が遺贈の規定を準用することの直感的な意味をくみ取れば、「遺言」という形式とまではいわないにしても、書面で行わなければその効力を認めない点にそのもっとも大きな意味があるような気がしてならないのである。極端に言えば、死因贈与者の贈与の申込みや承諾は「遺言」で行わなければならないという解釈だってあり得るような気がするほどである。

 書面によらない死因贈与が贈与者死後も贈与の規定によって撤回できるとすると、その方式として「遺言」のように書面でしなければならないかどうかについては、それほど大きな意味はないかもしれないが、要は書面によらない死因贈与(たとえば、「俺が死んだらおまえに俺のこの財産をやるよ」という口約束)の成立を簡単に認め、その効力を安易に認めてしまうと、遺言という方式で行わなければならない遺贈に対する脱法的側面が非常に強くなってしまい、遺贈の意味がなくなってしまう点も危惧されるのである。

 実務家的発想とすれば、事実認定上も書面によらない死因贈与など、安易に認めるべきではないと思う。

書面によらない死因贈与(2)

2011-05-13 13:18:28 | 債権各論
 なぜ私が書面によらない死因贈与を、贈与者の死後でも撤回できると思い込んでいたかは、次のとおりである。

 民法の教科書レベルでは、贈与の項目はあまり詳しく書かれていない教科書が多く、よくわからない点もあるのだが、なぜ書面によらない贈与が履行が終わるまで撤回できるのかということを考えてみると、要するに言葉だけの無償行為など、当てにしてはいけないということが前提となっているように思われるのである。それを法的には撤回という効力面で規定しているだけだと思うのである。
 つまり、言葉だけの合意にほとんどその効力を認めていないに等しいのであって、それを、書面もなく、履行も終わっていない場合はいつでも撤回できるというように裏から規定したと理解できそうな気がするのである。そうだとすれば、これを要件面にフィードバックして考えると、贈与契約というのは準書面行為性、準要物契約性のある契約だと考えることができると思うのである。
 そうすると、たとえ死因贈与だとしても、要件面にフィードバックして考えるべきなのであって、書面によらない場合は書面行為性を満たしていない以上、撤回できなければおかしいのである(なお、死因贈与が生前に履行がなされることは論理的にあり得ない。もし履行がされているなら、それは生前贈与であって、死因贈与ではない。)。だからこそ、私は撤回できるに決まっていると思い込んでいた。

 さらにいえば、遺贈も遺言という形式の書面で行わなければならず、厳格な書面行為性が要求される。遺贈も無償行為の一種であり、かつ、その効力発生時には遺贈者は亡くなって,その意思を確認することができないことから、厳格な書面行為性をもって、遺贈者の遺贈意思を担保していると言える。
 この趣旨を踏まえるならば、無償行為である死因贈与もその効力発生時には贈与者は死亡しておりその意思を確認することができないのであるから、通常の贈与契約よりも、よりいっそう要式性をもって死因贈与の意思が担保されてしかるべきなのである。そのため、私には死因贈与が効力発生後は撤回できないなどという議論は、本末転倒としか思えないのである。