実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

手形学説ー実務から見る創造説のおかしさ(2)

2018-08-29 09:42:57 | その他の法律
 しかし、実務に就き、現実に手形を見ると、創造説が実体に合わないことはすぐに分かる。というか、創造説のおかしさにすぐ気づくことになった。

 どこがおかしいかというと、約束手形を前提にすると、手形の記載事項として、受取人や支払い文句(「あなた又はあなたの指図人に支払います。」)が記載されている点にある。法律上の手形要件でいうと、「支払ヲ受ケ又ハ之ヲ受クル者ヲ指図スル者ノ名称」と「一定ノ金額ヲ支払フベキ旨ノ単純ナル約束」に当たる。つまり、受取人や支払い文句の記載がなければ、手形として成立しない。そうだとすると、手形の記載事項は、とりあえずは受取人に手形金額を支払う約束をしたものとして成立するはずであり、文言証券である手形においては、このような理解しか出来ないのではないか。
 つまり、創造説を採用し、手形作成段階の手形権利者は作成者である振出人本人だと考えたくても、現に手形に記載すべき文言から理解される手形権利者は、受取人だとしか理解しようがないのである。

 結局、創造説は空中の理論としては実に巧みな考え方ではあるが、現実の手形法の規律に合致していないような気がするのである。そのことに、実務に就いて現実に手形を取り扱うと、すぐに気づかされたのである。この点は、創造説を唱える学者は、どのように考えているのだろうか。

 なので、実務に就いてしばらくは、やはり契約説が正しいのではないだろうかとも思ったりした。

手形学説ー実務から見る創造説のおかしさ(1)

2018-08-22 11:50:57 | その他の法律
 学生時代から司法試験受験時代にかけて手形法を勉強し、創造説あるいは二段階行為説と呼ばれる考え方に触れたとき、すごい考え方があるものだと関心したものである。

 債権債務の発生原因は、民法上の普通の考えで言えば、事務管理、不当利得、不法行為に該当しない限り、契約によるしかない。それが債権各論の基本的考え方である。あとは、個別の条文において法定責任的な債権債務発生規定があったりするだけだである。なので、手形債権の発生原因も受取人という相手方がいる限り、振出人と受取人間の契約と考えるのが自然である。手形を交付する契約で発生すると考えれば、交付契約説となる。
 これに対し、創造説は、振出人が手形を作成するだけで手形上の債権債務が発生するというのである。そして、振出人が手形を作成しただけの段階での手形権利者が誰かというと、振出人本人だというのである。あとは、振出人に帰属している手形権利を受取人に交付譲渡することによって移転させるだけであり、この手形権利移転行為は契約だという。
 手形が有価証券であり、有価証券は、いわば権利が証券に結合した状態であるというように考えると、手形を作成すれば、そこに手形上の権利は表章されるわけであり、手形を作成するだけでその手形という紙切れに結合されるべき権利が発生すると考えても良さそうな気がするのは確かである。

 学生時代から司法試験受験時代にかけて創造説の本で勉強したこともあり、そのころは創造説が正しいに決まっていると思っていた。

理解不能な欠損填補責任(5)

2018-08-08 10:17:05 | 会社法
 しかし、もっとよく考えてみると、この括弧書きの考えは、理論的におかしいのではないかという気がしてならない。
 なぜなら、たとえ4月1日から6月末日頃までの前期の計算書類が確定するまでの間に、前々期の確定した計算書類を根拠に分配可能額を計算して配当等としたとしても、既に前期は終了し当期に突入した時期に配当をしている以上、その配当が計算書類に反映されるのは、当期末の計算書類においてであって、前期の計算書類にこの配当等が反映されることはないからである。
 そのため、仮に前期の計算書類上、欠損が生じたとしても、当期の4月1日以降前期の計算書類を確定させるまでに配当等をしようがしまいが、前期の欠損の額に変化を生じさせず、配当が原因で欠損を生じさせたとはいえないのである。
 したがって、たとえ前期の計算書類が事後に確定されるとしても、前期の欠損により当期の配当等による欠損填補責任を負わせるのは、論理的におかしいとしか思えないのである。

 最近、分厚い会社法の教科書を読んで、ようやく第一括弧書きの意味が分かったのだが、一方で、以上のような疑問が生じたのである。その教科書には、私の疑問に対する答えは何も書いてない。いったい、どういうことなのだろう。何かを知っている人がいれば、是非教えてほしい。

理解不能な欠損填補責任(4)

2018-08-01 13:30:07 | 会社法
 以上を前提に465条1項の第一括弧書きと照らし合わせれば、その括弧書きは、当期が4月1日から6月末日頃の計算書類を確定させるまでの時期のことを言っていることが分かる。つまり、この時期は、直前の事業年度(前期)は、計算書類が確定していない以上、いまだ最終事業年度ではないのである。なので、この時期に配当等をした場合は、当期の計算書類で欠損が生じたかどうかではなく、前期の計算書類で欠損が生じたか否かで考えよと言っているのである。前期の計算書類は、配当等をした後に確定されることが理由なのかもしれない。
 そして、このことは、分配可能額を最終事業年度末日の計算書類から計算していくこととも、一見整合性がありそうにも感じる。
 4月1日から前期の計算書類を確定させるまでの期間に配当等をしようとする場合、分配可能額の計算の出発点である最終事業年度は、前期ではなく前々期になるので、前々期の計算書類で分配可能額を計算することになるからであり、そうだとすれば、その後欠損が生じたかどうかを判断するのは、前々期の次の期であり、未だ確定していない前期の計算書類で考えよというのである。

 結果的に、欠損填補責任の発生期間は、計算書類確定時から次の確定時までの期間で考えようということになるのである。
 いかにも理屈っぽいといえそうである。