実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

改正相続法-遺留分侵害額請求の法的性質(3)

2018-12-26 10:20:47 | 家族法
 では、改正相続法ではどうなるか。

 改正法では、相続分の指定や遺贈において、遺留分に関する規定に違反することができないという文言は削除される。遺留分『侵害額』請求権という金銭債権化された改正法では、その権利行使があっても、遺留分を侵害する相続分の指定や遺贈の効果そのものが『減殺』されるわけではないからである。
 ところが、法制審議会の議論では、遺留分『侵害額』請求権も、形成権であることを前提としているようで、遺留分『侵害額』請求権を行使することによって、はじめて遺留分侵害額請求権という金銭請求権が発生すると考えているようである。

 しかしである。改正法のもとでは、遺留分『侵害額』請求権は単純な金銭債権だというのであるから、相続分の指定や遺贈そのものは、たとえ遺留分を侵害しようと完全に効力を生じるとしつつも、遺留分『侵害額』請求権は、遺留分を侵害するような相続分の指定や遺贈の効力が生じた場合に当然に発生する、いわば法定の金銭債権と理解する方が論理的のような気がするのである。
 つまり、遺留分『侵害額』請求権は、遺留分を侵害する相続分の指定や遺贈の効力が生じれば、遺留分権利者の権利行使の有無に関わらず当然に発生する権利と理解した方が自然のような気がしてならない。
 あとは、遺留分『侵害額』請求権の期間制限の問題である。遺留分を侵害する遺贈等があったことを知ってから1年という期間制限は、私のように考えると、現行法の遺留分『減殺』請求権という形成権の行使期限という理解はできないのであって、改正前債権法(すなわち現行法)の売主の担保責任(改正債権法で言えば、契約不適合責任)の1年の期間制限と同質的な期間制限に感じる。つまり、裁判外でも権利行使をすれば遺留分『侵害額』請求権は保存されるのであって、後は通常の時効期間の問題となる。相続開始から10年という期間制限は、その期間の長さからしても、純粋な除斥期間と考えるのが普通のような気がする。

 以上のように、改正法の下では、遺留分『侵害額』請求権は純然たる金銭債権でしかないのであるし、物権的効果を前提としていた形成権説は放棄されてしかるべきであるように思うのである。

改正相続法-遺留分侵害額請求の法的性質(2)

2018-12-19 13:29:25 | 家族法
 さて、この遺留分に関する改正相続法における一つの問題(と私が思っていること)は、遺留分『侵害額』請求権の法的性質である。
 もともと、相続分の指定や遺贈は、遺留分に関する規定に違反することができないとされており、本来、遺留分を侵害する遺言は、遺留分を侵害する範囲において、その効力そのものに問題があるのである。ただし、遺留分を侵害されても構わないと思う相続人もいるはずなので、遺留分の権利主張をするか否かを、遺留分を侵害された相続人の意思に任せる趣旨で、遺留分減殺請求権という制度が設けられたといえるのである。
 つまりは、現行法では、本来、遺留分を侵害する遺贈は、遺留分を侵害する範囲でその効力は生じないはずなのであるが、当然に無効とはせずに、遺留分減殺請求権という形成権を行使することを停止条件として失効するという構造を採用しているといえるのである。

改正相続法-遺留分侵害額請求の法的性質(1)

2018-12-12 13:23:36 | 家族法
 これまで、遺留分『減殺』請求と呼んでいた権利が、遺留分『侵害額』請求という言い方をするようになるようである。
 改正前の遺留分『減殺』請求は、権利行使をすると、遺留分を侵害した限度で遺贈等の効力を否定し、遺贈の対象となった目的物に対して、遺留分に相当する共有持分が発生すると解釈されており、その法的性質は形成権であり、遺留分減殺請求権を行使すると直ちに遺留分に相当する共有持分が発生するから、物権的効力であると説明されていた。そして、遺留分権者の共有持分が発生した後の法的処理は、共有物分割訴訟によるものとされ、特定の財産を特定の相続人に「相続させる」旨の遺言であっても(この場合は、相続人間の争いとなるが、それでも)、実務では共有物分割訴訟であって遺産分割協議ではないとされていた。
 ところが、改正相続法では、遺留分『侵害額』請求権と呼ばれ、その権利の内容は、遺留分に相当する割合の価格に相当する額の金銭を請求する権利となり、純粋な金銭債権とされることとなった。

再逮捕

2018-12-05 10:02:15 | 時事
 金融商品取引法違反の容疑で大手自動車会社の(当時)会長が逮捕された。国際的に活躍する外国人なだけに、世界を驚かせた逮捕劇である。
 欧米諸国では、逮捕後の勾留の長さ、取り調べにおいて弁護士が立ち会う権利がないことなどが、批判の対象となっているようである。
 実は、起訴前勾留がないことや、取り調べに弁護士が立ち会えないというのは、民主主義国家であり人権を重んじる欧米諸国においては、決して普通ではないようである。この点は、日本の刑事司法の闇の部分であって、自白強要の温床になっており、えん罪の温床になっていると思う。

 ところが、予想はできたことではあるが、さらに再逮捕する方針という報道を目にした。身柄を釈放することなく、さらに別の容疑で逮捕・勾留するということである。
 諸外国はこうした日本の刑事司法をどのようにみるであろうか。再逮捕によって、日本の刑事司法に対して諸外国から厳しい批判が浴びせられそうな気がしてならない。弁護士の立場で言えば、もし諸外国からの外圧によって、日本の刑事司法の闇の部分の改善が図られることになっていくなら、怪我の功名ともいえるかもしれないが、極端に言うと、その前に、国際問題・外交問題に発展する危険はないのだろうか。刑事司法における被疑者の人権が軽んじられる日本に対し、諸外国が安んじて有能な人材を日本に送り込めるはずがないのである。

 私の感覚では、刑事司法の問題だけではなく、不法入国者・不法在留者に対する扱いなどを含め、人権感覚に最も鈍感なのが、最も人権感覚に敏感であるべき法務省であり、裁判所なのではないかという、実に皮肉な印象を持っている。それを、司法という三権分立にかかわる問題として、意識してかどうかはともかく、聖域化させてしまっているのである。

 大手自動車会社の元会長の再逮捕で、この日本の刑事司法の闇が、国際的にさらにクローズアップされるとすれば、国際問題・外交問題にまで発展するかどうかはともかく、私は、法治国家・民主主義国家である日本の刑事司法の闇が国際的にクローズアップされることが実に恥ずかしい気持ちになるのだが、検察はそのようなことは全く考えないのだろうか。