実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

更新料と消費者契約法

2009-08-28 15:35:15 | 時事
 給付利得の続きの前に,ちょっと気になったことを。

 今朝の新聞によると,昨日,大阪高裁で賃貸マンションについての契約更新時の更新料につき,消費者契約法違反で無効とする判断がされたようである。消費者契約法10条を適用したのであろうか。この条文や同法9条による解釈は,なかなか判断が難しい。
 消費者契約法が施行されて同法9条や10条が問題となった初期の事案は,入学金や授業料(いわゆる学納金)の不返還が問題となった事案だと記憶している。判例では,入学金は同条に抵触しないが,授業料の不返還は新年度が始まる3月31日までの入学辞退については抵触するというのが一応の結論といえるであろうか。ただし,私は,この学納金返還訴訟の最高裁判例をきちんと読み込んでいないので,正確にはよく分からない。

 話を契約更新時の更新料に戻すと,法律上の理屈の問題としては,仮に上記高裁判決が正しいとしても,その射程はあくまでも借地借家法が適用になる事案に限定して考えた方がよいだろうと思われる。なぜかというと,借地借家法が適用になる賃貸借は,契約終了時には法定更新するのが大原則だから,特段の特約がない場合は,更新料も何も必要なく当然に契約は更新するはずだからである。その契約更新に当たり,特約をもって更新料を求めるというのは,消費者契約法10条に抵触しやすい側面があるとはいえそうだからである。
 しかし,借地借家法が適用とならない賃貸借(例えば,駐車場の賃貸借の場合。ただし,駐車場の賃貸借の更新時に更新料を支払う慣行があるかどうかは,よく知らない。)については,賃貸期間が経過すれば一応賃貸借契約は終了するはずで,民法619条が適用される場合に限って,契約更新が「推定」されるにすぎない。このような契約における更新料は,特段の事情(駐車場の事例で言えば,例えば,賃貸人として土地の返還を受けて別の目的(建物を建築するなど)に利用する等)がない限り賃借人が更新料を支払うことによって,賃貸人として契約の更新をほぼ自動的に認めるという趣旨で解釈することも不可能ではなさそうだからである。この場合の更新料は,自動継続することに対する対価という側面が見て取れるので,この場合にまで消費者契約法10条違反というのは,やりすぎのように思われるのである。

 法律論的には,以上のとおりかもしれないが,仮に更新料の定めが消費者契約法に抵触するとなると,経済論からすると,いずれはその分賃料に跳ね返ってくることが予想される。そのため,まさに上記訴訟で勝訴する原告はよいのであろうが,一般的に見た場合に,消費者契約の場合に更新料を認めないという判断が,これから賃貸マンションを借りようとする賃借人(消費者)にとって,金銭的に有利となるかどうかは,必ずしもはっきりしないと思われる。
 要するに,一見すると安い賃料のように見える契約書である一方,更新料や無条件の敷引等の特約が付随することにより目に見えにくいところで賃貸人が儲けるということを拒否し,賃借人が負担すべき費用を「賃料」に一本化して見やすい契約書にするというのが,上記高裁判決の結果論から導かれる方向性ということになるような気がする。
 学納金返還の最高裁判例も,結果として,授業料は返還しなければならないとしても,入学金は返還しないことが認められるとすると,結局,授業料を引き下げて入学金を引き上げるという動きが起きてこないとも限らない。仮にこのような動きが起きてきた場合に,それが政策的に望ましい動きかどうかは,よくわからない。

 消費者契約法1条記載の目的には「消費者の利益の擁護」が掲げられているが,以上のように消費者契約を適用した結果論から予想される動きを考えると,「消費者の利益の擁護」といっても,なかなかに難しい問題である。
 私の理解する消費者契約法の真の目的は,消費者にとっての形式だけの契約自由ではなく,真の契約自由を取り戻すための法律だと思っている。それこそが,「消費者の利益の擁護」そのものだと思うのである。所詮,法による価格統制は無理だし,価格統制をしようとすれば,かえって弊害の方が大きくなる可能性は高いと思うのである。
 賃貸借契約に限っていえば,建物を借りることの費用(対価)を「家賃」に一本化して,賃借人が負担する費用が見やすい契約内容とした上で,他の賃貸物件との価格競争をさせるという趣旨で捉えることができれば,消費者にとって真の契約自由を取り戻すことができるかもしれない。その意味で,上記高裁判決は支持できるのかもしれない。

給付利得の返還請求権(1)

2009-08-27 13:17:50 | 債権各論
 我々実務家にとって,不当利得類型論というのは,あまり縁のない分野である。おそらく,最高裁の判例の中で類型論に言及した判例は存在しないと思われるし,実務的には給付利得の返還請求に分類される事案であっても,侵害利得の返還請求に分類される事案であっても,ともに基本的には民法703条以下の条文を形式的に適用することで解決してきていると思われ,場合によって個別事情を考慮して判断している判例もなくはない,というのが実務の実態ではないかと思われる。
 そのため,実務家の多くは,不当利得類型論はあまり知らないのではないかと思うし,かくいう私も,ほとんど分かっていない。実務家にとっては,不当利得の分野は判例をどれだけ知っているかが勝負かと思っている。
 ただし,最近の民法の教科書は,程度の差こそあれ,たいがい何らかの形で類型論に言及しているようである。そこで,最近の教科書の不当利得の部分を通読して感じた印象(私見といえるほどのものではない戯れ言である)を,何回かに分けて大胆な発想で展開してみたい。

一般社団,一般財団法人法(6)

2009-08-24 11:49:47 | 一般法人
 非営利法人性(2)

 一般社団法人・一般財団法人との対比でいうと、会社法には、株式会社に関し、剰余金の配当を受ける権利、残余財産の分配を受ける権利の全部を与えない旨の定款の定めは、その効力を有しないと規定する(会社法105条2項)。会社法のこの規定は、成案が出来上がるまで議論のされたことのないところだったようで、法制審議会でもほとんど議論の対象となったことはないようである(江頭憲治郎「新会社法制定の意義」・ジュリスト1295号6頁)。そのため、会社法制定時にはこの会社法105条2項の意味が問題となり、剰余金の配当と残余財産の分配の全部を与えないという定款の規定のみが無効なのであれば、一方のみを与えないという規定は有効なのかどうか、といったことが議論の対象となっているようである。が、「報告書」の上記イ)、ウ)の指摘、一般社団・財団法人法の規定を前提とすると、会社法案を閣議決定する段階では、すでに、非営利法人法には社員や設立者に剰余金、残余財産の分配をすることを認めない規定を設けることがあらかじめ前提となっており、非営利法人と会社との違いを際立たせるために株主に対する剰余金、残余財産の分配を全部認めない定款の効力を否定する条文(会社法105条2項)を設けた、とも理解できそうであるが、深読みのしすぎであろうか。もし、そうだとすれば、会社法105条2項は、単に株式会社は非営利法人ではなく営利法人であることを宣言した点に大きな意味があり、その趣旨に則って解釈すべき規定であるということになろうか(例えば,残余財産の分配のみ認め,配当は一切なしとする定款も,企業の永続性の観点からすると,実質的に同条違反となる可能性は高いというべきか)。また、この規定が株式会社にのみ規定され、持分会社に規定されていないのは、片手落ちだったということになりはしないだろうか。
 他方で、一般社団法人、一般財団法人の定款記載事項としての目的に、なんら制限がない。したがって、一般社団法人、一般財団法人の事業目的には法律上の制限はなく、社員や設立者に剰余金や残余財産の分配を行わない限り、法人として収益事業を行うこと自体は自由ということになりそうである。したがって、株式会社が行う事業と全く同じ事業を一般社団法人や一般財団法人が行うことも、可能というべきなのであろう。そうすると、今後の可能性としては、いわゆる民間企業といわれる企業の中に、一般社団法人や一般財団法人という形式の法人が出現する可能性もありうるだろう。場合によっては,証券取引所のような公共性の高い企業形態では,(現在は株式会社形態が可能となっているが)一般社団法人形態の法人を可能とする立法化もあり得てもよさそうである。
 ただし、公益認定を受けた公益法人においては、収益事業は一定程度に制限される(公益法人認定法2条7号、15条2号、18条4号等)。

一般社団,一般財団法人法(5)

2009-08-21 10:49:06 | 一般法人
 非営利法人性(1)

 一般社団・財団法人法は、非営利法人についての法律のはずであるが、一般社団・財団法人法のどこにも非営利を目的とする法人であるべきことについて規定がない。代わりに、一般社団法人に関しては、社員に剰余金又は残余財産の分配を受ける権利を与える旨の定款の定めは、その効力を有しないと規定し(11条2項)、かつ、社員総会は、社員に剰余金を分配する旨の決議をすることができないと規定する(35条3項)。一般財団法人に関しては、設立者に剰余金又は残余財産の分配を受ける権利を与える旨の定款の定めの効力を有しないと規定する(153条3項2号)。なお、中間法人法2条1号では、中間法人法の定義として、剰余金を社員に分配することを目的としない社団であることが一つの要件であった。
 この点、「報告書」には、営利法人と区別する方法として、社員の権利義務について、ア)出資義務を負わない、イ)利益(剰余金)分配請求権を有しない、ウ)残余財産分配請求権を有しない、エ)法人財産に対する持分を有しないこと、とする旨が明記され、このイ)、ウ)が明文化されたということになる。
 以上の意味するところは、営利法人性の理解にかかわる。すなわち、会社が営利法人とされる理由は、会社がその事業行為(会社法では、「営業」という言葉を使わず、「事業」という言葉に変わっている)により収益を上げる点ではなく、その収益を会社の構成員である社員に分配するところに、会社の営利性を見出すのが一般である。そのため、一般社団・財団法人法においては、社員や設立者に対して剰余金や残余財産の分配を認めないことにより、非営利法人性が観念できるという立法趣旨なのであろうと思われる。

弁護士法28条違反

2009-08-19 13:32:14 | 最新判例
 弁護士法28条違反

 つい先日の判例で,弁護士は係争権利を譲り受けることができないと定める弁護士法28条に違反するものであっても,直ちにその私法上の効力が否定されるものではないとする最高裁判例が出た(最高裁平成21年8月12日第一小法廷判決・出典は最高裁ホームページ)。

  http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090817153613.pdf

 そして,係争債権を譲り受けた弁護士による債権仮差押えの申立を認めなかった原決定を破棄し,事件を原審に差し戻した。

 この問題は,取締法規違反と私法上の効力の問題と共通する問題かもしれず,取締法規違反が,それのみをもって直ちに私法上の効力を否定することにはならないという一般論が妥当すれば,この判例のとおりなのかもしれない。
 また,弁護士法28条の趣旨が,弁護士が依頼者を食い物にするようなことを防ぐ点にあるとすれば,依頼者からではなく,その係争権利の相手方から,係争権利の譲り受けの無効を主張させる意味がないという理解もあり得るのかもしれない。

 しかし,弁護士法28条は,「弁護士は,係争権利を譲り受けることができない。」と規定して,係争権利の譲り受けそのものを明確に禁止した規定となっている。それにもかかわらず,当然には私法上の効力が否定されないというのは,いかにも分かりにくい。私法上の効力を否定することに格別の不都合があれば話は別であるが(不都合があるとすれば,例えば,訴訟提起前に譲り受けて時効期間経過直前に係争権利を譲り受けた弁護士が訴えを提起したような場合で,訴え直すと時効が完成してしまうような事例が考えられるか。),そのような特殊な事案はともかくとしても,一般的には私法上の効力そのものを否定しても,不都合は考えられないと思われる。
 むしろ,本判例のように,私法上の効力を否定せず,保全命令の申立を認め,あるいは訴え提起を認めてしまうと,弁護士による係争権利の譲り受けの歯止めとしての実効性に疑義が生じかねないような気もする。本判例も,「他人間の法的紛争に介入し,司法機関を利用して不当な利益を追求することを目的として行われたなど,公序良俗に反するような事情があれば格別」という留保つきにはなっているが,公序良俗に反するような譲り受けかどうかを,事件の相手方が立証するのは,かなり困難だと思われる。

 なによりも,法解釈のあり方として,わかりやすさというのも大切だと思っている。法律が「弁護士は,係争権利を譲り受けることができない。」と定めている以上,係争権利の譲り受けそのものが無効と解するのが文言上素直であり,わかりやすい。いわゆる,文言解釈である。そして,無効とすることに特殊な事案を除けば(特殊な事案は,個別に解決すればよいであろう)格別の不都合がないならば,私法上も無効とするのが,本来の法解釈のあり方だと思うのだが……。
 事件が起きて訴訟事件等において法律を運用するのは,我々法律家かもしれないが,事件になる前に,あるいは事件にならないように法律を運用するのは,一般国民である。一般国民は,法の詳しい解釈など分からない可能性が高く,法律の形式的文言に従って日常生活を送る可能性が高い。本判例の事案においても,債務者は債権を譲り受けた弁護士からの請求など「無視していても構わない」,あるいは「無視しなければならない」と思っていたかもしれないのである。それにもかかわらず,いきなり仮差押えされては,債務者とすれば,「法律と違う」と思うかもしれない。「仮差押えされる可能性があるのなら,初めから誠実に対応しておけばよかった。」ということにもなりかねない。
 私は,合目的的解釈の重要性を否定するつもりは全くない。むしろ,個別の事案を無視したような形式的な法の当てはめではなく,事案の特殊性に応じた法の柔軟な解釈,運用の重要性,必要性を大切にしたいと思っている。しかし,本判例は,弁護士法28条の一般的文理解釈の問題,原則論の問題である。原則論は,むしろ文言解釈に従って不都合がないならば(不都合が事例が生じた場合こそ,まさに柔軟な解釈・運用が必要となるのである),文言解釈に従うのが,一般国民に対する予測可能性という意味で優れていると思うのだが……。