実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

債権法改正-時効中断の概念整理(4)

2014-11-28 10:59:31 | 民法総則
 ただ、仮案の規定ぶりとの関係もあるのだが、分かりにくい部分もある。

 裁判上の請求、強制執行及び承認は、時効の「更新」に絡んだ仕組みなのだが、それ以外の仕組みは時効完成猶予事由でしかない。現行法を前提とすれば、催告のような時効中断事由は中断中に裁判上の請求をすればさらに時効中断が継続することが明文の反対解釈から明らかなのだが、仮案の規定ぶりだけではその趣旨が読み取りにくく、読みようによっては、時効完成猶予期間が終了すれば確定的に時効が完成するようにも読めてしまう。このことは、時効が更新しないどの時効完成猶予事由でも同じであり、協議の合意による完成猶予もそうである。
 しかし、例えば、催告も協議の合意による完成猶予も、猶予期間中に裁判上の請求等の他の時効完成猶予事項を行うべきことは、当然の前提でなければおかしい。

 要するに、裁判上の請求にしても、訴えが却下された場合はそれから6か月で時効の完成猶予期間は終了する。しかし、これは訴え却下から6か月で確定的に時効が完成することを意味するのではなく、訴え却下から6か月のうちに再度時効の完成猶予事由となる手続を取れば、時効の完成猶予が継続することを当然の前提としているはずである。催告や協議の合意による完成猶予その他の時効完成猶予事由も全て同じはずである。そのために、わざわざ6か月という尻尾を付けているはずなのである。
 改正仮案には、このことが記載されていないから分かりにくいのである。

債権法改正-時効中断の概念整理(3)

2014-11-25 10:10:38 | 民法総則
 承認は、それ自体が更新事由のようである。実質は、現行法と変わらない。

 催告は、6ヶ月間の完成猶予事由である。これも、実質は現行法と変わらないと思う。

 現行法の時効の停止の制度も、現行法と変更はないようである。ただ、現行法は時効中断事由と時効停止事由とに分けて規定しているが、改正仮案では、どうも共通の時効完成猶予事由の一つとするようである。

 ユニークなのは、協議による時効完成猶予の制度を設けることである。
 当事者間で権利に関する協議が行う旨の書面による合意をしたときは、その合意から1年間(1年より短い期間を定めたときはその期間)は時効完成が猶予される。ただし、協議の続行を拒絶する旨を書面で通知したときは、そのときから6か月で時効は完成する。
 時効完成猶予中に新たな合意をすれば、最大で5年間猶予できる。
 損害賠償請求のようにその発生及び損害額が一律に決まっていないような場合に、当事者間で協議をしているうちに時効期間が迫ってくることがよくある。その場合に直ちに裁判上の請求をせずに協議続行の合意書面があれば時効完成を猶予しようというのが、この協議による時効完成猶予の制度趣旨だろうと思う。

 以上、時効の完成猶予と更新という新しい概念には面食らう部分もあるが、従来の時効中断を整理し直して、むしろ一時に時効の進行を止める「完成猶予」と新たな時効期間の進行が開始する「更新」に整理した改正仮案は、それなりに論理的理由がありそうである。

債権法改正-時効中断の概念整理(2)

2014-11-21 15:20:42 | 民法総則
 現行法で中断事由とされている差押え(差押えとは、要は強制執行のことである。)についても基本的には趣旨は裁判上の請求と同様であり、改正仮案では、強制執行の申立そのものは時効の完成猶予事由であり、強制執行が完了したことが時効の更新となる。強制執行が取り下げられたり、法律の規定に従わないことにより取り消された場合は、そのときから6か月で時効が完成する。
 強制執行と同様のものとして、担保権の実行、形式競売が定められ、もう一つ財産開示手続がこれに含まれる。ちなみに、財産開示手続そのものは、強制執行の前段階の手続であり、その財産開示手続自体が時効完成猶予事由であり、その手続きの完了が時効更新事由とするのは、かなり大胆な改正案だと思うのだが、どうなのだろう。

 仮差押え・仮処分は、当該事由が終了してから6か月は時効完成が猶予される。仮差押え・仮処分においては、時効の更新という概念が生じないようである。そのため、仮差押え・仮処分を行った場合に時効を更新させるには、当該事由が終了してから6か月の間には裁判上の請求をせざるを得ないのであろう(後で述べるように、この点はやや疑問もあるのだが、そのように解さざるを得ないはずである)。
 ただ、現行法でも仮差押え・仮処分は権利者の請求または法律の規定に従わないことにより取り消されたときは時効中断としての効力はなくなるので、微妙ではあるが(というのは、仮差押え・仮処分という民事保全が取り消されるのは、事情変更による場合や特別事情による場合もあり得るからで、これらの事由による取消が法律の規定に従わないことによる取消といえるかどうかはわからないからである。これに対し、改正仮案では仮差押え・仮処分という当該事由が終了すれば理由の如何を問わずにそれから6か月で猶予期間が終わる。この点に違いがあるといえるかどうか、が微妙なのである。)、仮差押え・仮処分の時効完成猶予の全体的な実質的趣旨は、おそらく現行法と変わらないつもりだろう。

債権法改正-時効中断の概念整理(1)

2014-11-18 16:04:33 | 民法総則
 債権法改正仮案では、消滅時効については、時効期間の変更(一般的な消滅時効期間は、権利行使しうることを知ったときから5年、または権利行使できるときから10年という規律になる。要は、これまでの規律からすると、権利行使しうることを知ったときから5年という時効期間が加わったことにより、その分だけこれまでの規律よりも時効期間が短くなる。)、短期消滅時効の廃止など、時効期間に関する改正があるほか、時効の完成猶予と時効の更新という概念が導入される。
 時効の完成猶予と時効の更新という概念は、これまでにない概念なので、一体何のことかと思われるかもしれないが、要は時効の中断を整理し直した概念となっている。

 例えば、現行法で典型的な時効中断事由としての裁判上の請求がある。
 典型的な時効中断事由のはずではあるが、しかし、訴えの却下または訴えの取り下げがなされると、時効中断の効力は生じない。そうすると、結局のところ、現行法においても、裁判上の請求について、本案についての判決の確定または和解などの判決と同一の効力を有するものによって確定しないと、確定的な時効中断とはならないのである。そして、本案判決または判決と同一の効力を有するものによって確定すると、そのときから新たに10年の消滅時効期間の始期となる。
 以上のような状況を、これまでは一口に時効の中断と称していたが、裁判上の請求をした(訴え提起の)段階と判決確定の段階とで概念分けをし、裁判上の請求をした段階を時効の「完成猶予」とし、判決の確定の段階を時効の「更新」と称するのである。そして、時効の完成猶予中(裁判上の請求中)は当然時効は成立しないのだが、判決等で確定せずに訴訟が終了した場合は、その終了の時から6か月経過をもって時効が完成することになる。6か月という尻尾の存在は、現行法でも解釈上認められていた、裁判上の催告の概念を立法で採用したものと言えるが、規定ぶりからして、催告の効力ではなく当該完成猶予事由自体の効力といえる。

 この裁判上の請求と同様のものとして、ほかに支払督促、調停(起訴前の和解を含む)、破産手続参加(再生手続参加、更生手続参加を含む)が定められている。この点は現行法とほぼ同じである。

債権法改正-代理権の濫用(2)

2014-11-13 10:22:24 | 民法総則
 まず、効果面において、無権代理とするということは、一応本人による追認の可能性を認めやすくするという意味があるのだろうか。93条但書きという意思の欠缺の規定を類推するということになると、論理的に追認を認めにくい。この点を変更するという意味であろうか。その程度のことであれば、効果面についての変更点について、善し悪しはよく分からない。

 要件面が問題である。やはり相手方の軽過失の場合でも無権代理とされてしまう従来の判例と同様の要件のままであり、相手方の取引の安全との関係で問題はなかったのかどうか。審議会ではこの点の議論はなかったのだろうか。
 とくに、一切の裁判上・裁判外の行為をなし得る立場にある、会社の代表取締役など、法人の代表者のことを考えると、どうだったのだろう。これまでの判例法理に対しては、特に商法学者からの批判が強かったと思うが、どうであろう。

 これまでは、代理権の濫用行為に関して明文の規定がなかったため、判例法理に対しては民法学説上も批判があったが、それ以上に商法学者からの批判が強かったような気がしており、こうしたことを踏まえると、考え方次第では、民法解釈と商法解釈とを分けて考える(つまり、民法上は軽過失でも相手方はアウトだが、会社法上は軽過失はセーフとする)ことも不可能ではなかったのかもしれない。
 それを、一般法理として明文の規定を置くとなると、当然に法人の代表者にも適用されてしまう規定となるので、会社法の分野だけ軽過失は有効とするような解釈をとるということは、明文の規定に反する結果となり、不可能になってしまうと思われるのである。

 もちろん、既に判例のある分野であり、要件面ではこれまでの判例と変わらないことになるので、実務上は大きな影響はない部分ではあるが、明文の規定を置くとなると、本当にそれで良かったのかというのが、何となく気になってしまう。
 いろいろなところに問題が波及していくのは、一般法を改正することの難しさなのかもしれない。