実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

改正債権法における取消後の第三者(1)

2018-09-26 10:09:11 | 民法総則
 詐欺取消後に利害関係に入った第三者はどのように保護されるのか、それとも保護されないのか。この論点は、私がこのブログを始めたとき最初に触れた論点だったと思う。
 詐欺取消は善意の第三者に対抗できないというのが現行96条3項であるが、この規定は取消前に利害関係に入った第三者のみを問題としているというのが、確定した議論のように言われていた。そして、取消後の第三者の保護は、取消権者と第三者とを対抗関係で捉え、不動産で言えば民法177条の対抗要件の登記を備えた方を勝たせるというのが判例であり、かつては学説でも通説と言われていた。いまは、虚偽表示の無効を第三者に対抗できないとする94条2項を類推する考え方が通説といえるほどに有力化しているといえる状況であろう。取消後の第三者も96条3項でよいという学説は、ほぼ聞いたことがない。
 これに対し、私は、取消の前後で区別せず、いずれも96条3項で保護すればよいはずだと、このブログで力説(?)をした。そこでは、脅迫取消であったり、制限行為社の取消権の場合も比較しながら検討を行った。

手形学説ー実務から見る創造説のおかしさ(5)

2018-09-19 12:58:53 | その他の法律
 さらに言えば、株券については、有因証券であるし、株券を発行する前には、株主を権利者とする株式という権利が既に発生している。そうだとすれば、株券作成により株式という権利が発生するという考えは採用し得ない。典型的な創造説は、無因証券である手形や小切手だからこそ採用しうる考えである。
 もっとも、創造説に近づけて、既に権利として発生している株式が、株券作成時に株券に結合されると考えることも不可能ではないかもしれない。しかし、そのように考えると、株券作成から株券の交付までの間、一時的に株券作成者であり作成時に現に株券を所持する会社が、株式に対する事実上の支配を得てしまうことになる。あまり好ましい状況とは思われない。
 なので、株券の場合は、株券が権利者である株主の手元に届いて、はじめて株式という権利が株券に結合すると考えるべきであるように思う。したがって、株券として作成した紙切れを株主に交付することによって、はじめて有価証券としての株券として成立すると考えるべきであるように思う。
 社債券についても、有因証券である以上、社債権者に交付されてはじめて有価証券としての社債券として成立すると考えるべきだろう。そのことは、記名社債であろうと無記名社債であろうと、変わらないだろう。

 株券や社債券については、学者によるもっと充実した研究があるとは思う。ここに書いたことは、あくまで私の思いつきである。

手形学説ー実務から見る創造説のおかしさ(4)

2018-09-12 11:20:14 | その他の法律
 もっとも、このような考えは、記名証券である手形だからこそ、伝統的な創造説の問題点が浮き彫りになり、創造説を少し考え直す必要がでてくることになる。

 これに対し、持参人払式小切手のように、無記名証券の場合には、伝統的な創造説がぴったり当てはまりそうである。なぜなら、持参人払式小切手には受取人の記載が登場しないから、小切手作成段階では権利者は小切手作成者自身だと考えても、小切手の記載との矛盾は生じないからである。そして実際、当座預金からお金を引き出すときは、口座名義人が自ら小切手を作成して銀行に呈示して引き出すこともあるようである。この実務は、まさに小切手の最終遡及義務者である振出人が小切手の権利者として小切手を成立させて、その権利を行使していといえそうである。

 以上のように考えると、結局、一口に有価証券といっても、その内容や性質によって権利の発生状況が少しずつ違っていても、おかしくないのではないかと思うのである。

手形学説ー実務から見る創造説のおかしさ(3)

2018-09-05 11:05:34 | その他の法律
 最近のNHKの番組で、「チコちゃんに叱られる」という番組がある。チコちゃんの質問に答えられなかったり間違えたりすると、チコちゃんから「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と言われて叱られる。
 しかし、面白い考え方が浮かぶときとは、実は、ボーッとしているときだったりする。最近、ボーッとテレビを見ているときに、なぜか、ふと次のような考えが浮かんできた。

 手形上の権利は、振出人が手形を作成した段階でやはり成立する。創造説である。ただし、その場合の手形権利者は、振出人ではなく受取人である。文言証券である手形の記載がそうなっているのだから、受取人が権利者としか理解し得ない。受取人を手形権利者とする手形を、手形の作成という振出人の単独行為で発生させることができると考えるのである。
 しかし、受取人が何ら関わっていない段階なので、手形権利は受取人には直ちに帰属しない。言ってみれば、効果不帰属状態であり、無権代理人の法律行為の効果と似ている。もっとも、振出人が手形を作成する状況をよく考えてみると、債権者である受取人のために債務者たるべき振出人が手形権利を作出するのであるから、振出人が受取人のために自己契約をしている状況とも言いうるのではないか。ただし、受取人からの授権がないから、手形上の権利は受取人に帰属しない。これを受取人に帰属させるのが手形の交付である。受取人が手形を受け取ることが、自己契約における相手方の追認のようなものである。
 以上のように考えることは出来ないのだろうか。

 技巧的な考えであることは承知の上である。しかし、所詮、創造説そのものが技巧的であるから、それをもう少し手形要件に即した形で考え直しただけのことである。