ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

2022年に開館した宇治の「ウトロ平和祈念館」。戦時中にでき、戦後置き去りにされた朝鮮人の町の歴史を伝える

2024-05-23 | 博物館・美術館
さまざまな歴史を刻む京都…今年、ミモロは、お友達に誘われて宇治市にある「ウトロ平和祈念館」を訪れました。


近鉄京都線「伊勢田駅」から徒歩数分。陸上自衛隊の駐屯地に隣接する場所にあります。


ミモロ達を迎えてくださった事務局長の阿部さんに、この祈念館のことを教えて頂くことに…


「ウトロ」は、戦時中にこの地区にできた朝鮮人の飯場です。1940年に起工した「京都飛行場」のために、集められた朝鮮の労働者とその家族。水道も電気もない場所での暮らしは、戦後も続きます。

「え~京都に飛行場があったんだ~」と、知らなかったミモロ。飛行場には、飛行機を製造する工場もあったのです。
米軍は、その存在を知っており、工場などは、爆撃、破壊します。
1945年の日本の敗戦で、飛行場は、米軍に接収され、残った滑走路は整備され、飛行機運行ができる状態に…。
さて、敗戦した日本に残された朝鮮の人たちは、母国に戻ることもできず、また日本の国籍を取得することもしないまま、この地に留まることに…。この地域を接収した米軍も、そのまま労働力として朝鮮の人たちの暮らしを放置したのだそう。
つまり米軍に接収されても、その暮らしは厳しい状態のまま…。

1957年に、飛行場の部分は、陸上自衛隊の駐屯地になりますが、朝鮮の人たちが暮らす場所は、その外で、そこは、別の地権者の所有になり、立ち退きを求める訴訟が起こります。その訴訟は、なんと2000年まで続き、11月に最高裁により、そこに暮らす朝鮮の人たちの敗訴が確定します。

しかし、2001年、国連社会権規約委員会救済勧告を受け、2005年から韓国でウトロ支援募金運動がスタート。2007年に韓国国会でウトロ支援金決定し、戦後この地にとどまった朝鮮の人たちの住宅建設の方向へと動き出します。
2018年に宇治市により建設されたウトロ市営住宅へ、この地域の人たちの入居が始まりました。

そして、2022年3月のこの地域の人たちの暮らしを後世に伝える「ウトロ平和祈念館」が開館したのです。

歴史の中で、「置き去りにされた朝鮮の人たち」。現在、2世、3世の当たる人たちが暮らしています。
そこに暮らす人たちが互いに助け合いながら暮らすとともに、どんな厳しい状態でも、子供たちの教育に力を注ぎ、次世代の暮らしの礎を作ろうとした姿がそこに…。

多くの人たちの支援によって完成した祈念館。設計なども韓国の方々がなさったそう。


館内には、当時の暮らしを物語る資料などが展示されています。


戦時中の強制連行ではなく、ここでは、朝鮮で募集して集められたそう。
でも、戦後、母国に戻らず、この地で暮らすことを余儀なくされ、しかも、米国からも、日本政府からも、手を差し伸べられなかったことに、驚くほかありません。

「全然、そういうこと知らなかった~」というミモロ。

ミモロだけでなく、多くの人が知らないことかもしれません。

母国を離れても、その文化を残そうとした方々…。多くの差別に晒されながら、力を合わせ、懸命に生きた人たちの姿は、展示から、見る人に強く伝わってきます。

いろいろなお話や展示に触れた後、ミモロ達は屋上へ。
「すごい!太陽光発電システムになってる~」

環境を配慮した太陽光発電所ができていて、地域への貢献をも考慮した建物なのです。

屋上から、この場所の説明を…


眼下には、木々に覆われた自衛隊の駐屯地が見えます。


「では、下に降りて、この地域を歩いてみましょう…」と。


敷地内には、戦時中に使われた住まいが再現されています。

なんと、ここには、1988年まで、インフラが整備されず、電気も水道もなかったと。
「地権者がいる所有地になっていたので、地権者が求めない限り、宇治市は整備できなかったんです」と。

「え~そんなことがあったんだ~」と、何も知らないミモロは、驚くばかり…。

さて、ウトロ地区の人たちの入居が進む市営住宅。

快適な設備がある住まいです。

「あ、なんかトラックが止まってる…」

そのトラックは、移動販売車。そこには、キムチやチジミ、ゆで豚など、朝鮮の味がいろいろ。

「あ、これも美味しそう~」と夢中になるミモロ。しっかりお買い物を…

「もう行きますよ~」と促され、やっとその場を離れます。

「ここに建つ住宅は、この地区の人たちが働いて、自分の力で建てた家です。でも、地権者から立ち退きを迫らていますから、今は、ほどんど誰も住んでいません」と。


「え~一生懸命働いて自分の家を持ったのに…それを諦めなくちゃいけないの~」とミモロ。
すでに取り壊された家もあり、そこに住んでいた人は、市営住宅へ移動しているそう。


雅な平安時代や宇治茶の産地として知られる宇治…そこには、あまり知られていない歴史が刻まれていることを知ったミモロです。
「今日は、お世話になりました~」と祈念館のみなさんに手を振ってお別れ。


「ウトロ平和祈念館」では、さまざまなセミナーや文化講座なども行わています。

*「ウトロ平和祈念館」の詳しい情報はホームページで。より詳しいことがわかるので、ぜひ見てください

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