静寂が包む森…そこは「花園天皇御陵」です。
京都東山の三条通から神宮道を北に進むと、「青蓮院門跡」と「知恩院」の間に石段の上に門が見えます。
観光客が行き交う道ですが、ここに立ち寄る人は極まれ。
門のそばに掲げられた木製の表示に気づく人も少ないよう…
ここは、第95代花園天皇の「十楽院上陵」(じゅうらくいんのうえのみささぎ)です。
「ちょっと立ち寄っていこう~」とミモロは、久しぶりに参拝することに…
門を通ると、その先には、通りからは想像できないような長い道が続いています。
辺りは、通りの車の音もせず、静寂がそこに…時折、鳥の声が響きます。
さて、第95代花園天皇は、鎌倉時代末期に即位なさり、次の第96代天皇は、後醍醐天皇です。この時代は、天皇の即位に関して大変複雑な時代。在位する天皇が、頻繁に変わり、そして南北に分かれる南北朝時代を迎えます。
花園天皇のお父様は、第92代の伏見天皇。第89代の後嵯峨天皇が後継者を決めず崩御なさったために、次の天皇候補であった後深草天皇と亀山天皇の間で対立が起き、後深草天皇の「持明院統」と亀山天皇の「大覚寺統」に分かれ、激しい皇位争奪戦を繰り返すことになります。この争いが、南北朝時代まで続くことに…。
「う~本当に、この時代、複雑でよくわかんない~」と、いつも頭を抱えるミモロです。
12歳の花園天皇は、「持明院統」。先代の24歳で崩御なさった「大覚寺統」の後二条天皇に代り、即位しました。
しかし、この即位を不満とする「大覚寺統」は、年上の後醍醐天皇の即位を幕府に訴えます。
争いを好まない花園天皇は、22歳で退位します。
子供の頃から、学問が大好きだった花園天皇は、退位後、禅宗に帰依。
「もともと天皇の地位に興味なかったんじゃない?学問を静かにしていたかったんだろうなぁ~」と想像するミモロです。
出家なさった天皇は、花園にあった御所を寺院に改めます。それが「妙心寺」です。1335年のことでした。
森の中を続く道が至るのは、花園天皇陵です。
ミモロは、そこで頭を下げてお詣りしました。
「ねぇ~妙心寺の近くに御陵作ればいいのにね~その方が嬉しいんじゃない?」とミモロ。
ここに御陵がある理由はよくわかりませんが、京都の東側のエリアは、西側に比べ、御陵の数が多いのです。
「月輪陵」「桃山陵」と、歴代の天皇が眠る御陵を管轄する宮内庁の事務所があり、ここも「泉涌寺」にある「月輪陵墓監区事務所」が管理しています。都の東側に御陵が多いのは、地形のためかと。西側は、昔は、湿地が多く、水害もよくあったのです。
この日も事務所の方が、お掃除をなさっていました。
「どこの御陵も本当にキレイで、ゴミが落ちてないよね~」とミモロ。さすが宮内庁…。
しばらく森の中で過ごすミモロ。
訪れる人も少ない場所なのです。
「いい気持ちだね~」と木漏れ日を浴びる気持ちいい時間です。
たまたま入ってきてしまったと思われる外国人観光客。ここがどういう場所なのかわからないようです。
道の北側には、竹林が広がります。
これは、隣接する「青蓮院門跡」の竹林。
そして南側は、「知恩院」の石段が聳えます。
「やっぱり知恩院って、お城みたいだね~」と。徳川家の菩提寺で、三条通を挟み、北に位置する「金戒光明寺」と共に、幕府は、都に入る人の流れに気を配っていたのです。
トコトコトコ…ミモロは、再び、門のところに戻ってきました。
京都に点在する天皇陵…それを巡るたびに、その時代の天皇家の姿が歴史の中に浮かび上がります。
「ここって、日曜日は入れないんだ~」
そう、宮内庁のお役所ですから、日曜はお休みです。
「知恩院」へと向かうミモロを、爽やかな風が包みます。
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