ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

嵐山を借景に、広大な景色を望む「天龍寺」。枝垂れ桜や花々で春爛漫の美しさを湛えるお庭。

2012-04-19 | 自然
大覚寺では、舟に乗り、大沢池の桜を眺めたミモロは、次に、向かったのは、嵐山にある天龍寺です。

天龍寺は、臨済宗天龍寺派の大本山。正式名称は、「霊亀山天龍資聖禅寺」と言います。

玄関を入ると正面に、そして方丈にも、禅を象徴する達磨大師の絵が、訪れる人をジッと見つめます。
この絵は、天龍寺の前官長である平田精耕老師の筆によるもの。厳しい眼差しの中にも、温かさを感じさせるお顔です。
「この絵の前で、坐禅すると心が落ち着くかなぁ…」方丈のお座敷で、ミモロは、しばし座ってみることに。
でも、ミモロは、やはりじっとしていられません。だって、お庭には、今を盛りに桜の花が、それは艶やかに咲いているから…。「今日は、桜が気になるので、坐禅はまた今度…」そういうと、トコトコと奥へと進みます。

「ワースゴイ!大きな枝垂れ桜があるー」とミモロが身を乗り出して眺めるのは、多宝殿前の桜です。

約3万坪といわれる広大な敷地の中でも、特に桜が見事な場所。ミモロは、しばし座って桜を鑑賞。


そもそも「天龍寺」がある場所は、かつて後嵯峨上皇の仙洞御所である亀山殿があったところ。ここで幼少期を過ごしたのが、後に、天皇の政治的パワー復活を目指した後醍醐天皇です。

政権奪還をねらい鎌倉幕府倒幕を目論んだ「正中の変」(1324)と「元弘の変」(1331)。計画の露見で、ついに天皇は、隠岐へと流されます。後醍醐天皇が隠岐を脱出した1333年。鎌倉幕府は滅亡。京都に戻り、時の光厳天皇を廃位させ、院政もしかず、摂政・関白も置かない天皇中心の政治の実現を目指した「建武の新政(中興)」を行います。

その政治に、反発した足利尊氏は、1336年、京都で、別に光明天皇を擁立。後醍醐天皇は、吉野へと遷幸。
ここから約60年におよぶ不安定で複雑な南北朝時代が始まることに。

1339年、後醍醐天皇は、吉野でご逝去、享年52歳。
その年、その菩提を弔うために、足利尊氏が、夢窓国師を開山に創建したのが、この「天龍寺」です。


「ウー長い説明だし、ホント、南北朝時代って複雑すぎてよくわかんない…」とミモロ。

確かに、すごく複雑な時代ですね。勝者が敗者の御霊を弔うって、よく見られるもの。これってとても日本的かも…。

さて、話を桜へと戻しましょう。建物の拝観とは別に、お庭の参拝料を納めて、庭園へ。

庭は、夢窓国師が作庭したという、曹源池を中心にした回遊式庭園です。嵐山など周囲の山々を望む借景庭園でもあり、日本最初の史跡、特別名勝指定を受けた見事なお庭です。


山をめぐる散策路からの眺めは、桜を眼下に望む雄大な景色。
「わーすごくキレイ…」

散策路には、今、薄い紫色のツツジが、点在し、緑の苔のアクセントになっています。


「あ、この梅、不思議!」とミモロが足を止めたのは、紅梅と白梅が1本の梅から咲いている「源平咲き」の梅。ここでは、赤と白がはっきりと。なかなか見事な梅です。

春の陽射しを浴びながら、トコトコと歩くミモロ。
仄かな花の香りが、風に運ばれ、ミモロの鼻をくすぐります。
クシュン…「あれ?花粉症かなぁ?」。花の香りに刺激されたからじゃない?なんとも風情のないミモロです。

「また坐禅しに来ようね…」と、昨年夏の蓮の咲くころ、坐禅会に参加したことがありました。
「ここでの坐禅って、気持ちいいんだよねぇ」と。

毎月第2日曜日に、9:00から始まる無料の坐禅会。初心者でも参加可能。ぜひ京都五山の坐禅を体験してみてはいかがでしょう。

*「天龍寺」の詳しい情報は、ホームページから、どうぞ。



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コメント (2)
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