michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

その時、その人だからこそ生まれる俳句

2012-11-14 16:56:36 | TV

日曜の朝は、NHKの『短歌』『俳句』を観ている。

ところが今週は寝坊、さっき再放送の『俳句』を観ました。

 

特選に選ばれたのは、この作品。

 

   看病の少し寝ておく小春かな

                    松山蕗州

 

ああ――。

365日の看病、そして24時間、毎日毎日…。

あ、チョット時間が。いま寝ておこう、小春日和だし。

そんな情景が目に浮かびます。

本当に大変でしょうが、

この作品は、そういう状況だからこそ生まれた。

その時の、その人にしか詠めない句ですよね。

 

どんな時も、今この時だからこその味わい。

それなりに味わっていけたらなぁ、と

これは俳句など生み出す才の無い私の

 願望です。

 

 

 

 

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雑巾の絞り方、そして手の洗い方

2012-11-12 18:33:17 | エコライフ

イチョウ、色づいたかな…?

あれ?3本あるその木によって、ずいぶん色づきが違うね。

手前(下の写真の右)のはまだ青々としてるよ。

まん中のは黄緑がかってるけど ほとんど黄色、って感じ。

↓(この写真の右側)

そういえば、例年そうだった。

なにか訳があるんでしょうねぇ。

その木によって、それぞれ事情が。

 

それにしても、素晴らしいね。

こうして木が その季節ごとに 全身で営んで――。

 

             

 

職場の、お湯の蛇口がだんだん緩くなって、

絞めてもポタポタ漏れるようになって来た。

修理提案してるけど、忙しいのか中々来てくれない。

人によって無造作に絞めてくと、スーッと出続けている。

   なんてもったいない

   なんにも使わないで ただ捨てられていくなんて

   しかも、石油か灯油か、エネルギーを使ってお湯にしたものですよ

たまらなくてボールを下に置いて受けておいた。

下洗いとかに使いましょう~。

 

流しに行くと、たいていそのボールは一杯になっている。

手を洗おうとした時、ふと幼い頃に見た、祖母の洗い方を想い出した。

1、洗い桶の溜め水に片手を差し入れて水を掬い、

そのすぐ外で両手を洗う。――溜め水はほとんど汚れない。

2、2度ほどそんな風に洗ったあと、溜め水の中で手を洗う。

そうしてから

3、水道の流水で洗う。

貴重な水です。決して無駄にしない生活の智恵。

 

 

  (これはわが家のすぐそば。日、一日と移り変わってゆくのが毎日の楽しみ。

   きのうの嵐で散り始めました。)

 

           

 

以前、雑巾のすすぎ方を聞いたことがあるんです。

(生活研究家、と云ったかな。)

『バケツの水で雑巾をすすいでギューッと絞る、その絞り水は、

最後の一絞りが一番汚れている。

なので、その最後の一絞りだけでもバケツの外で、

つまり流しに捨ててしまえば、

バケツの水はあまり汚れず、何度も使えますよ』と。

 

  これ聞いてから いつもそうしていて、

  バケツの水が汚れにくいの、実感しますよ。

 

 

「そんなことチマチマやってたって、大したことないんだよ、

『地球にやさしい暮らし』なんて、気休め気休め

――なぁんて声が聞こえてきそうですが、

自己満足でもなんでも良いんです。

私としちゃ、

『滔滔と流れゆく大河も、一滴の水の集まりだよね』なんてつぶやきつつ、

楽しみながらやってるんですよ。

 

 

 

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認めて ほめると、伸びるんですよね

2012-11-10 17:30:21 | お仕事

なんの番組だったか、「ほめていくと、能力が向上する」という

実験結果を紹介してました。

同感です。実感します。

 

その実験というのは、

パソコン画面に現われた4桁の数字を、パッと入力する。

それが一定時間にいくつ出来たか。

一つのグループの人たちには、頑張ったことを認めて褒める。

もう一方のグループは、なにも褒めたりしない。

すると、次の回からは、褒められたグループの方が格段に成績が上っていったとか。

そういったような、

「こういう入力やって、何のイミがあるの?」と思ってしまいそうなことも、そうなんですねぇ。

 

           

 

私は、パソコンの前、ワープロの時代から始めたんです。

仕事に使うワープロに、ゲームが付いてました。

ブラインドタッチの練習のゲーム。

 

キーボードを見ないで打てたら、速いしラクだろうなァと、

時間があれば、それで練習してました。

 

そのゲームは、競馬のような形式で、

アニメのように走る馬 として競争するんですよ。

5~6つのランクがあって、「今回は、どのランクで挑戦しようかな」と自分で決め、

パソコン画面に単語が出てくるので、それを打ち込む。

正しければ、次の瞬間に、別の単語が出てくる。それを打ち込む…。

数分で1ゲーム終了。

グッと集中します。

 

好成績だと「優勝ファンファーレ」が華々しく鳴って

応援団みたいな人が現われ(アニメ)、

 「とても素晴らしい~

 「他の追従を許さぬ強さ

などと褒め称えてくれる。

それで、気を良くしちゃって、

「じゃあ次は、も一つ上のランクで挑戦してみようかな」

なんて やる気になっちゃうんです。

 

  仮に成績が悪くても、

  「もう一度頑張りましょう」などと励ましてくれる。

  決して「全然ダメじゃん」みたいなことは言われないんですよ。

 

 

私は、これでタイピングを覚えたんです。

 

ポイントは、

 自分で、「今回はこれに挑戦しよう」とその気になれること。

 取り組んだことを そのままシッカリと認めてもらえること。

これ、いろんなことについても、云えるんじゃないでしょうかね。

 

 

ひとが何かやってくれたことについても、

「この、これって良いよね 助かるわ」とか、

「こういうの、私は嬉しかったなぁ~」とか、

その良かった点を認めて伝えていったら良いんでしょうね。

 

 

 

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神様のイタズラ?

2012-11-09 16:11:54 | 農の暮らし

職場(農業関係です)の、ロビーの隣りのコーナーに、

こんなのが。 ↓

小さなミニトマト。

「らくがきも なにもしていません」ですって。

  なんとまぁ

神様って、茶目っ気も もっておられるんですねぇ。

 

 

 

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もやしの髭根と、毛玉、そしてモーツアルト

2012-11-07 10:08:34 | 暮らし

最近「もやし」にハマってしまいそうです。

だって、1P¥38也で、

シャキシャキ美味しくって、栄養タップリ。

秋の夜長を、髭根を取って、長いのはプチプチ半分に折りながら、

「今回のこれは、どうやって食べよかな~」なんてやってます。

 

たとえば、竹輪の薄切りと一緒に電子レンジで加熱して、ポン酢醤油をチョッピリ。

これだけでも とっても美味しい一品に。

またラーメンや お味噌汁に どっさり入れたり。

 

  前にTVで、ある美しい女優さん、

  ストレス解消法は?と問われて

  「あ、それはね、『もやし』なんです」って即答しておられましたよ。

  「ムシャクシャすることなんかあっても、黙々と もやしの髭根を取ってると、

  なんとなく落ち着いてくるの。

  だからその為に、いつも冷蔵庫に1Pはあるように買っておくの。

  ――あぁ、そういうのもなんか分かる気が~。

 

さらに私は、『毛玉取り』とかも好きですねぇ、ソックスとか。

ハサミでも良いし、毛玉取り器でも、どちらでも。

やればやっただけのことはある、すごくスッキリしますよね。

 

           

秋の夜長、こんなことを モーツアルトとか聴きながら――、

  なかなかオツなもんです。

 

 

 

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スパゲティは、短めの方が♪

2012-11-07 09:12:14 | 暮らし

ふと思ったんです、

スパゲティって、あの長さが良いの?

 

食べるとき、

フォークを回して、スプーンを添えて絡めて食べるにしても、

お箸で食べるにしても

私は「ちょっと長すぎるわね」って思っちゃう。

もうちょっと短めの方が食べやすい。

  (私は猫舌で、「アチチッ」ってなったとき、お箸の方が

   口に入れる量を調節しやすいんですよね。 )

 

ラーメンとか、おうどんとかも、

「長いんだよね…」ってよく思う。

 

  ほかのものでも、

  『美味しさ』の要素として、

  『食べやすいこと』『安心して落ち着いて食べられる』

  ってことも大きなポイントだと思うんです。

 

 

 

食べるときだけじゃなくって、茹でるときも、

買ったときのままでは、大きなお鍋を出さなくちゃいけなくなってくる。

私は、スパゲティを半分に折って(何本かずつ)、

小さめの片手鍋で茹でてますよ。

その方が洗ったり片付けも簡単。

食べるにも、(お箸で)美味しく戴けます。

 

   お鍋の大きさに合わせて、

   入らない分だけチョット折る、って感じでも大丈夫。

   食べるとき、なんの支障も無いですよ。

 

 

市販のスパゲティ、短めのも作ってみたらどうかなぁ、

なんて思ったりもしたけれど、

  自分で、ふと気づいて、思いついたことをやってみる、

こんな味わいも、私は好き。

  暮らしの中のささやかな楽しみではあるわねぇ。

 

          

ちなみに、、

大きなお鍋で大量のお湯を使うと、水も加熱エネルギーも、もったいない気がする。

食べたあとのこと考えてもね、茹で汁は薄くならない方が良いんですよ。

私の場合は、100gを茹でるのに、700~800ccくらいのお湯。

茹でたその茹で汁はチャンととっておいて、

スパゲティを食べて残ったソースが辛かったら、その茹で汁を少ぅし足して全部戴く。

さらに残った茹で汁は、洗い物に使う。

多少油っこい食器も、きれいにピッカピカに。

 

             

 

  (※これらのことは前にもおしゃべりしたように思うんですけどね、

 

    なんか、最近いろんな眉をひそめてしまうニュースとか見聞きすると、

    「被害者の方は、本当にお気の毒。犯人をいくら恨んでも治まらないかもね。。」

    という気持ちと同時に、

    「この人(犯人)は、いったいどうして 人間として こんなにまで落ちてしまったのかしら…」

    とか思って哀れになってきたり、、

    「そんな巧妙なやりくちを考えたりするアタマも技量もあるのなら、

    もっと別の方向に向けたら、自分も周りも幸せになれた筈なのに。。」

    なんて思ってしまう。

 

    一方、自分は まったくオツムも弱いし、生き方 まったく不器用なヤツだけど、

    それなりの、ほんのささやかな喜びなんか見つけると、思わずにんまり。

    ――私は、財産や地位も 技量も なんにも無くっても、やっぱこっちの方が良いナ、

    なんて思って、おしゃべりしたくなっちゃったんです。 )

 

 

 

 

 

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お花と おしゃべり♪

2012-11-06 07:54:46 | 自然

 

同僚にもらっちゃった。

これ、小さなデミタスカップで、小さなお花。

野の花のようだけど、存分に思っきり咲いてるよ。

私の心は なんだかとっても喜んでる。

 

この花って、花びらの一本一本が筒状になってる。

  どうしてなの…?

きっとなにか意味があってこうなってるんでしょうねぇ。

 

  こんな、花とたあいのないおしゃべり、会話してるひと時が、

  好きなんです。

 

 

 

 

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地雷除去に,マウスが活躍ですって !!

2012-11-05 10:08:32 | 社会・共生

きのうTVを付けたら、なにやら『超える…』という番組で、

学生さんたちの目が輝いている。

地球アゴラ with You「“超える”が社会を変える@大阪大学」

途中からで残念でした。

そして字幕も付いてない・・・。

HPにも内容まではアップされてない。。

 

でも、「地雷除去」の話はビックリするような発想のものなので、

調べてみたら、同じ内容の記事がありました。 ↓

http://courrier.jp/blog/?p=12767

ネズミ(といっても割りと大きい)を訓練して、

地雷を発見してもらう。

で、大きなネズミ、といってもその体重では地雷は爆発しないとか。

彼らに働いてもらえば、これまで1日がかりでやっていた面積が

1時間で出来てしまうそう。

 

  これは、「遺伝子組み換えマウス」とか。

  「遺伝子組み換え」というものについて、これまで私は

  なんとなく抵抗があったんですが、イメージ変わりそうです。

 

     

それにしても、

ニンゲンが作ってしまった、トンデモナイ 負の遺産を、

こんな小さな動物さんに 健気に頑張って働いてもらって

後始末しなければならないなんて・・・。

 

以前、あるイベントで、地雷の本物を見たことがあるんです。

もちろん中身は抜いてあって、いくつか展示。

様々な形、きれいな色。

幼い子どもはもちろん、大人でも、

見つけたら、「あら、これなぁ~に?」と

近寄ってみたくなるようなものでした。

  嗚呼――

 

 

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友だちの影響って それぞれに

2012-11-03 08:29:56 | 聴こえ

さっきmixiの ある方(やっぱり難聴さん)との会話で思ったんですが――。

友だちの影響って、大きいですよね。

「あんな風に出来たら良いんだけどねぇ…」って思ってて、同じように出来なかったとしても、

そんな想いがあれば、多少の影響は受けているかも。

 

よく心に浮かぶのはHさん。

私より もう少し聴こえない。

でも、よく数人で楽しげにおしゃべりなどしていて、

時々聴き違ってトンチンカンになり、

「あら、あたしは また、◎×△ かと思うたわぁ~、アッハッハ 」

なんてやってる。

その場を笑いの渦にして 皆んなを巻き込んでしまうんですよ。

もう理想。目指す人です。

 

もう一人、Fさんの場合は、、、

かなり聴こえない。

で、書いたり何らかの形で会話していく――。

私は話のキャッチボールをしたいと思っているんだけど、

Fさんは、もうパッパッと、大体の辺りで話を展開させていく。

こちらは「あれ?今のは伝わったのかな?」って思いながら

そのFさんペースの展開に ついていく状態。

 

最初は戸惑ったりしたんだけど、ちょっと考えてみました。

ホントに聴こえなくなったら、

一つ一つ押さえてキチンとキャッチボールして、なんてやってたら

まどろっこしかったりすることも あるんじゃないかな、って思えてきたんです。

あの形は、Fさんが社会の一員としてそれなりに生きてゆく、その

処世術として身についたものかも。

 とにかく快活な感じで、良い雰囲気でやっていきたい、

そんな想いも 心のどこかに あるのかな、って。

そうして、すごく積極的で何でもやっちゃう。

 聴こえないことなんて、何のその☆ 関係ないネ 

って感じみたい。

 

  なにが良いとか、良くないとか、ひと言では云えない。

  こうすべきとか、フツウとか、

   そんなの無いのかもね。

 

 いろんな人が周りにいてくれるお陰で、

 たくさんのことを学ばせてもらったり 吸収させてもらったり、

   そんな感じで 今こうしていられる私です。

 

 

 

 

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『実用視力』,そして『実用聴力』

2012-11-02 16:26:42 | 健康・身体

こないだの『ためして合点』で、興味深いことが。

「実用視力」。

そ、こういうの、こういうの。

 

私の場合、今回の番組の内容のものとは違うんですが――。

 

このごろ仕事しているときなど、目の焦点が合いにくくてちょっとタイヘンなんです。

それで9月末、眼科に行って、

「パソコン画面と、手元の書類、そしてほんのチョット離れた資料(同じ机の上)などパパッと見ていくのに焦点が合わないんです」

「片目ずつなら見えても、両目だと ぼやけることがよくあるんです」

この2つを訴えた。

 

色々検査してもらった結果、「視力も問題ないし、病気とか何も無いようです。」と、

(先生は、全部筆記してくださった。 )

とにかく疲れ目の目薬を出してくれた。

一応、ってことでしょうか、「目薬が無くなったらもう一度診せてください」と。

 

で、一日4回 目薬をさしてきたけど、見え具合は良くならないし、

こないだ また行って、老眼の検査もしてもらった。

看護師さんは親切な感じで、素朴な疑問にも一つ一つ、

「老眼が入ってくると、焦点が合うのに時間がかかるようになるんですよ」とか

説明してくれました。

 (ゆっくり ハッキリ 話していただけた。

 それをグッと集中して聴き取ったり、時々聞き返す形だったけれど。)

 

とにかく、いわゆる視力検査というのは、じっと一ヶ所を見つめるわけで、

実際の見え具合とは別、ということが多いというのが

自分の中ではハッキリしてきたんです。

 

そして、具体的には何も解決してないけれど、

特に病気は無いと言ってもらって安心したし、

先生や看護師さんたちが、キチンと受けとめて下さったことで

気持ちが落ち着いて、

「今の この目で やっていく。 もっと工夫したり、打つ手はないか」と考えたり

自分なりに前向きにやっていこう となってきました。

 

            

 

『実用視力』と同様に、『実用聴力』というのがあると思うんですね。

病院での「聴力検査」は、

「ポッポッ」「ピー」などの音が聴き取れるかどうか、という

「純音検査」が主。

他にもありますが、

実際の生活では、言葉(話)が聴き取れるかどうかが一番問題なんですよ。

 

単音が聴きとれるかどうかの検査もあって、補聴器屋さんでは やってくれますが、

正確(正式)なものは、この辺りでは耳鼻科のある総合病院でも、やってないんですよ、

 5ヶ所くらい問い合わせましたが。

 

さらに、

実際には、仕事に集中しているその後ろから突然ペラペラと声かけられたり、

早口だったり、方言でなまっていたり、幼い子どもは舌足らずだったり、

また、一本調子で抑揚がなかったり。

そういうのは、かなり聴き取りが困難に。

環境としては、チョット人がいてザワついたり、

車が走ってきたりすると、その雑音で、もう聴き取れない

  などナド。

――こういう話題になると、愚痴っぽくいつまでも続いていきそうで、

この辺にしておきますが。

 

            

 

 とにかく「実用視力」、「実用聴力」、

 実際の暮らしの中で、どうなのか。

 こういったあたりに

 もっとスポットを当てていきたい。

   特に関係者の方々には、どうかどうか、よろしくお願いしたいです。

 

 

  

 

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