波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

息子の発熱、母のこと

2011-03-30 17:14:15 | 日記
学校も春休み、子供ととどう過ごそうと考え、
とりあえず安易に短期スイミングに入れたり、いつもの体操教室に行かせたりしている。

一昨日の月曜日も、早朝スイミング教室 → 女の子の友達と遊ぶ → 体操教室 
とちょっと慌ただしいスケジュールで、私もバタバタしてました。
夕方、体操教室から帰る頃、息子が「頭がふらふらする。」と
まるで抗がん剤の副作用みたいなこと言うから、どうしたんだろう、
と思いつつ、まあ疲れが出たか、例の地震酔いかな、と思っていました。

ところが、家に帰るとぐったりして、寒いと言いだすので、
熱は計ったら37.6度あるではないか
お風呂は諦め、急いで夕飯の支度をしていると、さらに熱は上がり、
38.7度になりさすがに苦しそう。とても食べられそうもないので、
大好きな牛肉たっぷり入りのハヤシライスは諦めて、
口の中をゆすいで、着替えさせ、部屋を暖めてからベッドに連れていく。

息子の具合が悪くなると、全面的に甘えてくるし、
こちらもここぞとばかりにやさしくなってしまう。
まあそれはよしとして、何とか寝ついてくれた。
高熱だから、今更のインフルということもあるのか?

夜中の3時ごろ、自分のベッドから、親の部屋のベッドに入ってきて、とてもつらそうだ
一人では寝られないらしい。吐き気とかはないようだが、触るとやはり熱い。
計ると38.4度。ふーふー言っている。もしかしたら・・・。薬の在庫を調べると、「あった!」
解熱剤カロナール、よかった!すぐに水に溶いて飲ませた。飲むのも苦しそうだった。
バタバタしているのに、ダンナは背を向けたまま寝ている(ふり?)。
いつもそうだからもう慣れてるけど。さすがにうるさいのか、息子の方のベッドに移って行った。
明日も仕事だしそうしてくれ。

「クスリ飲んだからしばらくするとラクになるよ、あと少しがまんして。」
となだめながら、背中をさする。私も変な姿勢でさすっていたから、頭や首が少し痛い。
さすりながら私もウトウト。そばから寝息も。どうやら息子も眠ったようだ。ホッ。
私もそのまま寝る。

朝、ダンナに起こされた。私はすぐ息子のおでこを触る。良かった、熱下がってる!ふー
あれ、私の方は、頭が痛い。でも朝食の支度があるから仕方なく起きる。あー結構ツライ。
息子も起きて、「あー、治ったー」と少しうれしそう。そんな様子見てこちらもうれしくなる
あーでも頭マジ痛い。がまんしてキッチンに立つが、痛すぎて気持ち悪い。
しかめつらしながら何とかダンナの朝食だけ用意して、
私は頼みのロキソニンを飲んでベッドに倒れ込む

さすがにダンナも気にして
「午前中だけでも休んで、カ○(息子の呼び名)を病院に連れて行こうか。」
「いいから、会社行って。後は何とかする。」と言ったものの、起き上がれない。
息子はお腹空いた、と言うので、ダンナがパンと牛乳を用意してくれたようだ。

ダンナが出た後も、しばらくベッドでじっと耐えていると、少しずつ頭痛が治まってきた。
ロキソ効いてきたか。今日はキレが良いぞ。起きられそうか。
リビングに戻ってみると、息子がパン食べながらテレビ見ながらソファに寝ころんでいた。
大丈夫そう。私も気を取り直してトーストと紅茶を用意して食べてみようとしたが、
やはりまだダメだ。テーブルにつっぷして大きなタメ息

家事も息子を病院に連れていくこともできん。仕方ないSOSだ。と、実家の実母に電話する。
状況話して、結局来てもらうことにする。バスと電車乗り継いで40~50分かかる。
御年80の老母をこうして頼るのは、発病して(いや、出産して以来か)7年半ずっとだ。
幸い私より元気なぐらい健康なので、つい頼ってしまう。
(病気らしい病気したことない母だが、なんでこういう体質遺伝しなかったのかな?)
しばらくして、母が来て、息子もうれしそう。早速洗濯物を干してもらったり雑用を。

私も少し休んで落ち着いたので、息子を病院に連れていく。
検査の結果、インフルでもなくただの風邪。安心して帰ってきて、
お昼には消化の良いうどんを作ってもらった。
いろいろ助かった。息子はその後順調に回復。
そういえば、1年皆勤賞の息子は、今までも熱を出すのは週末が多かった。
気が緩むのか、平日そんなに学校が楽しいのか。

自分の体調は、自分で向き合って何とかするしかないが、
子供が体調崩して苦しそうにしているのは、本当につらい。
看病などで多少無理をしてしまうが、とにかく早く笑顔に戻って欲しい。
すべてはそこから。子供が元気でないと生きている甲斐もない。
でも自分の体調のこともあるし、母の助けを借りるわけである。

月3回ほどの通院日にも母を頼る。
帰ったら夕食を準備してくれ、3人で夕食を囲み、8時前後に帰っていく。
時には息子の漢字の書き取りも付き合ってくれている。
帰り際「いつもありがとうね。」と軽くお礼言うが、感謝しきりである

そんな母、父にも、病気のことはすべて話している。良いことも悪いことも経過も随時。
検査結果はこうだ、今こんな治療をいている、先生はこんなこと言ってた、
自分はこう考えているなどなど。
確かにその都度心配はかけているが、逆に、「娘はこういうふうに病気に向き合っている」
とわかってもらえるのではないか、と自分では思っている。
迷惑・世話のかけっ放しだが、自分が元気でいることを見てもらうことが、
今は一番の親孝行(いや、他の孝行もしてますよ、たまには)と考えています。

なんか、息子の事。母の事、とりとめなく長くなってしまいました
息子と自分の病気の事はまた別の機会に。




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コメント (2)
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