波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

実家に帰ります 

2011-12-30 13:59:55 | 日記
明日で2011年も終わり、ブロガー1年生としてはこの一年を振り返り、
あれもこれも書きたいのですが、これから私の実家(電車で20分)に息子と2人で帰ります。
ダンナは受験生(資格試験勉強中)のため、家で一人お勉強、元旦にお祝いのために合流という予定。
毎年お正月は、ダンナの実家の大阪に帰省するのですが、今年はそういうわけで我が実家で
お正月を迎えます。

せいぜい親孝行してきたいと思います。
母も、おせちの準備など一緒にできることを楽しみに(?)しているようなので。

年明けまでブログもお休みします。

たくさんの皆様に記事を読んでいただき、励ましや共感などもいただき、本当にたくさんの仲間と
支えあっていくことができて、ブログを始められて良かったと思います。
私の今年最大最良のの出来事でしょう。
お読みくださっている皆様、どうもありがとうございます。

私は、体調も良好で元気にしております。
爪や指の不具合はありますが、工夫で乗り切っています。

今年は、私的にもいろいろ辛い状況もあり、闘病の転換点ともなりましたが、
終わりよければすべてよし、ということにしたいと思います。

来年の抱負はまた考えておきますね。みなさんは、目標など立てますか?

それでは日の高いうちに移動したいので、ここで失礼します。

皆様、良いお年をお迎えください。
2012年が、皆様にとって、穏やかで幸せな年になりますように。




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ザ・京都 紅葉2011(3日目 南禅寺他)

2011-12-29 16:47:43 | 2011秋 京都旅行
今年もいよいよ押し迫ってきました。ここまで来ると最初からやる気のなかった大掃除は諦めの
境地で、一年を振り返ったりする。そうしたら、やり残したことが・・・。
京都の3日目の写真をUPします。クリスマスも終わり、そういう気分じゃないよ、とお思いでしょうが、
アッピアの自己満にお付き合いいただけたら嬉しいです。

京都3日目 2011年11月30日(最終日)  

光悦寺
 

源光庵

   
丸窓は「悟りの窓」、角窓は「迷いの窓」

常照寺
     

南禅寺
 
    

お昼は、歩いて歩いてお目当てのお店にたどり着いた。
豆富料理 蓮月茶や


   
こんなお部屋でいただきました。湯どうふコース料理
   

青蓮院
   

自分のおみやげ
 
なぜか全部桜柄、帰ってきて気付いた。やはり次は桜の季節に行け、ってことかな。

清水焼。悩んだ末に購入。只今愛用中!

これにて京都シリーズ終了です。
最後までご覧いただきありがとうございました。




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8年前乳がん発覚時のこと【3】・・・大学病院受診と検査

2011-12-28 15:20:19 | 8年前乳がん発覚時のこと
8年前シリーズ3回目。衝撃のがん告知の翌日、大学病院へ初通院の日。
2003年12月19日金曜日、近所のママ友さんとミニコンサートに行く予定をドタキャン。
朝から緊張モードで、弟と叔母に抱えられるように電車で移動。通勤タイムなので混んでいる。
病院の外来センターに着く。昨年建てられ替えられただけあって、やたらと広くて明るくて開放感一杯。
こんな理由の来院でなければワクワクしそう。

受付で紹介状を渡し初診手続きを行う。1階の外科のブロック受付を済ませ、待合いスペースの椅子で待つ。
今日はどういうスケジュールになるか全く読めない。1日がかりを覚悟。
しばらくして予診に呼ばれ、若い医師にいろいろ聞かれ答える。医師は勢いよくPCに内容を打ち込む。
採血とマンモとエコーを受けるように言われ、再度検査を受ける。結果クロを確認するようなものだが、
進行具合がどれほどかが気になるし恐怖。エコーの技師の顔を横眼で擬視するも、顔色からは何もわからない。
結果がわかり、診察に呼ばれるまで昼食をとることにする。
(昼食の事は覚えていません。どこかで3人でとったのでしょう。)

ベテラン女医先生の診察に呼ばれるのをひたすら待つ。ここまで来るともう、まな板の鯉状態なので、
弟や叔母と雑談をして気を紛らわせる。
授乳中なので、数時間おきにトイレで搾乳もする。パンパンに張ったおっぱいを必死に絞り出しながら、
なんか最悪な気分。こんなところでなんで搾乳なんだ、しかも死刑判決待ちかもしれないなんて、
最悪、最悪、最悪。

何時間待っただろうか、掲示板に私の番号が表示され、一瞬ドキっとして中待合室に移動する。
いよいよだ、急にドキドキしてきた。もう結果が出ているのだ。
私の前の人が診察室から出てきた。心の準備・・・できん。
なかなか呼ばれない。やっぱりややこしい結果がでたからだろうか。いちいち不安になる。

私の番号が光る。ドキン、緊張しながら診察室へ。ベテラン女医と初対面。
(このベテラン女医先生は私の執刀医、今は昇進して教授です。私の今の主治医ではありません。)

ベテラン女医「・・・・・検査お疲れさまでした。しこりが悪い物であるかどうかは、最終的には
       組織検査をしないと確定できません。細胞診はクラス4でまだ確定していないので、入院して
       検査結果がでた上で、必要なら手術ということになります。
       紹介状には、炎症性乳がんの疑い、とも書いてありますが、そうでもなさそうだし。
       ともかく組織検査の結果で決めて行きましょう。・・・・・脇のしこりも、お乳のしこりが
       悪い物でなければ心配ないものです。・・・・・」

え・・・、そうなんだ。死刑宣告じゃなかなかった。もしかして、がんじゃないかもしれない?
まだがんて決まったわけじゃなかったんだ。なんか首の皮一枚でつながっている感はあるけど、
とにかく人心地ついた。それに、この女医さん、説明も丁寧で信頼できそう。
弟も「先生の話聞いて、少し安心したよ。」との感想。

(2003年当時は、術前化学療法は行っている病院もあったが、まだ一般的ではなかったし、
 私も術前療法の選択支は示されなかった。)

診察室を出てからもまだ帰れない。入院の手続きやら、産科で断乳の説明など聞く。
そうです、入院の前に断乳しなければいけない。これはつらい。まだまだ出る気満々の
おっぱいを強制終了するのだ。おっぱい張りまくって痛いだろうなあ。

すでに夕方で外は真っ暗。3人でタクシーで帰ることに。安堵感一杯の私は、急に甘い物が欲しくなり、
売店でお菓子を買ってタクシーの中で食べた。街はクリスマスのイルミネーションで華やか。
きれいだなあ、と感じる余裕も出てきた。「せっかくだから入院前にクリスマス外出しちゃおうかな。」
あ、いけないいけない、断乳という大仕事があるし、入院前に風邪など引いたらたいへん。

そんなことを思いながら家路に着いた。とにかく昨日の奈落の底気分よりははるかにましな心地。
家に帰り、すぐに子供に授乳。あと何回授乳できるのだろうか。
乳腺炎であんなに辛かった授乳。何度ミルクの人をうらやましいと思ったか。
でも、突然終了しなければいけないと思うと、とても寂しいし、心の整理もつかない・・・。

ともかく長い一日は終わった。

つづく・・・。

    


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西洋館巡り続き・・・素敵なサンタのクロススッテチ

2011-12-26 23:15:32 | 日記
クリスマスも終わって、子供は冬休み真っ最中。
今日は、お約束の映画「イナズマイレブンGO」を観にラゾーナに連れて行った。
劇場までは連れて行くけど、映画は一人で観て欲しい、その間に私はラゾーナでお買いもの・・・へへ、
という思惑はハズれ、一緒に観るハメに。しかも3Dだからお値段も高い。高い料金払って、観たくもない映画
観るの苦痛だな。どうせうるさくてつまらないだろうし・・・。
コーヒーでも飲みながら考え事するか、寝てしまおう、と思った。
で、結局・・・・身を乗り出して観通してしまった。いやあ、今どきのアニメは良くできているワ。
息子も、「おかあさんもやっと”化身”を覚えてくれた!」と満足そう。
まあ、”化身”の説明は省きます。どうでもいいことなので。

では、昨日の続きです。ある西洋館で、クロスステッチ刺繍の展示をしてまして、とても素敵だったので
ご紹介します。水鳥照子(みずとりてるこ)先生の作品です。初めて拝見し、ご本人とも少し会話できました。
刺繍歴40年だそうです。私は刺繍はやりませんが、中学生の時手芸が好きで、一時期クロスステッチをやって
いたことがあり、その時のことを思い出して見入ってしまいました。

             
        




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クリスマス横浜山手西洋館巡り

2011-12-25 23:40:39 | 日記
今朝サンタさんが、息子にプレゼントを持ってきました。
息子は昨晩、部屋のドアに「サンタクロースさんへ。ここです。」と貼り、
枕元にプレゼントのリクエストとクッキーを入れた缶を置いて、嬉しそうな顔をしてベッドに潜り込み
ました。かわいい、かわいい、100%信じているし。いつまでサンタさん来るかな。

今日25日は、毎年恒例の横浜山手西洋館巡りに行きました。ダンナが一番楽しみにしている。
元町・中華街駅から歩いて6館見て回った。ほぼ毎年行っているが、クリスマスの飾り付けが毎年違い、
とてもきれいで楽しい。ヨーロッパに来た気分で、クラシカルなクリスマスの雰囲気を味わえるので、
私も楽しみにしている。

ではでは写真満載です!

山手111番館と横浜市イギリス館
     

山手234番館
     
これはベネチアングラスです。
 
本物のイチゴを使っているそうです。 
   

エリスマン邸
      

ベーリックホール
      

外交官の家
      

ブラフ18番館
             

最後までご覧いただきありがとうございました。
 

 
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8年前乳がん発覚時のこと【2】・・・告知の日

2011-12-23 21:47:49 | 8年前乳がん発覚時のこと
クリスマス3連休にバッドタイミングな暗い記事で申し訳ないです。
アッピア自身は元気に過ごしていますので、皆様も楽しいクリスマスをお過ごしくださいね。
さて、つづきです。


あれから1週間、いよいよ検査結果がわかる日、2003年12月18日は、冷たい雨の降る日でした。
ダンナと二人電車に乗って健診センターのある駅で降り、十数分の道のりを無言で傘をさして
下を向いてとぼとぼ歩く。
受付を済ませ、廊下で待つ。途中看護師さんが廊下の私たち二人を覗き込み、診察室に入る。
「アッピアさんご主人といらしています。」とでも話しているのだろうか。
間もなく呼ばれて診察室に入る。いよいよだ。

医師「検査の結果ですが。細胞診の結果は、クラス1から5まで分けられます。1は・・・
(ひとつひとつ説明)。アッピアさんの場合は、クラス4が出ました。(ほぼがんということ。)
・・・・・アッピアさん、大丈夫ですか。」

私とダンナはどういう顔をしていいかわからない、「やっぱりダメだったか。」という思い。
深呼吸しても息が吸えない感じ。私の人生の幕がストーンと降りた感じ。先が真っ暗。
だんだん恐怖に震えてくる。この先どうなるのか。医師が言葉を続ける。

医師「手術になると思いますが・・・希望の病院はありますか?なければこちらで紹介します。
   ボクのよく知っている女医の先生で・・・○○医大病院の・・・。」

その病院は、親戚のツテのある病院で、もしもの場合紹介をお願いしようといていた病院。
偶然だが、縁があるということだろう。何となく安心したが・・・。医師はさらに続けて、

医師「・・・アッピアさんの場合は、授乳中ということで、身体の環境が通常とは違い、
   とにかく進行が速いようです。もう年末に近いですが、年を跨がずにできるだけ
   早く○○医大病院の診察を受けてください。今から紹介状書きます。細胞診のプレパラート
   は○○先生に送っておきます・・・・。」

つ、通常とは違うって・・・。進行が速いって・・・・・。何それ。前回の検査から1年経ってないよ。

私(振り絞るように)「今年2月の妊娠中に検査した時はどうだったんでしょう?」

医師「その時は問題なかったですね。今回は明らかに違います。」(だから進行が速いということか。)

進行が異常に速いことは、自分が一番わかっている。授乳中に、以前の良性腫瘍切除跡の部分が硬く
なり出して、他の乳腺炎のしこりはなくなっても、このしこりだけはしつこく残り、
しかもどんどん大きくなっている。気が付いたら脇の下にも大きなぐりぐりがある。
でもまさか乳がんてことはないよね、こんなスピードで大きくなるわけないよね、乳腺炎のなごりだよね、
万一これががんだったら、もう絶対助からないだろうしね・・・・と思っていた。

でも、これが「がん」だったのか・・・。

私、出産前に検査も行ったし、○ケタニの助産師も、保健所の助産師も、脇のグリグリを触りもせずに
「副乳」と言っていたじゃない!私に落ち度ないじゃん!それでも見逃されたということ?
もう手遅れなの?いつ気がつけばよかったの?どのタイミングで病院に行けば助かったの?

診察室を出て、紹介状をもらうために待つ。看護師さんが心配して「大丈夫ですからね。」
一瞬ほっとした。根拠のない「大丈夫」でも声を掛けられただけで少し救われた気持ちがした。

紹介状を受け取り、冷たい雨が降りしきる中、ダンナと二人で来た道をとぼとぼと無言で歩く。
私は我慢できずにダンナに「何か喋ってよ。」「オレだってショックだし何言っていいかわからないよ。」
何だよ、肝心な時に助けてよ!

家に着くと、母が子供の面倒を見ながら待っていた。既に電話で伝えてあったので、結果は知っている。
今日告知される可能性があることも事前に言っていたので、やっぱりダメだったのね、という感じで
衝撃的なショックはなかったと思う。

改めて生後7ヶ月の息子を見た。お座りをして機嫌よく遊んでいた。
蓋をしていた気持ちが一気に湧き出てきた。

この子が歩く姿を見ることはできるのだろうか。
この子が自分をママと呼んでくれる声を聞くことはできるのだろうか。
この子とおしゃべりすることはできるのだろうか。
この子が私を母親だと記憶してくれる歳まで、自分は生きることができるのだろうか。
幼稚園や小学生になる姿を見ることはできるのだろうか。いや、それは多分無理だろう。

もう涙が止まらない。なんで、なんで?この子とはすべてがこれからだというのに。
私はどうなるの?もう全身に転移してすぐに死ぬの?痛くなったり苦しくなったりするの?
嫌だ、嫌だ、嫌だ。

(いやあ、書いていて辛くなってきた、泣きそうになるわ。)

でも泣いてばかりはいられない。まずは○○医大病院に電話。紹介状がありすぐに診察を受けたい
を旨を話し、紹介先のベテラン女医先生の予約を明日入れてもらう。
まずは良かった。明日病院に行ける。あれこれ考えるヒマはなく明日診察を受け、これからの
ことがわかるはず。

次は人のアサイン。赤ちゃんの息子を見てくれるのは母しかいない。問題はダンナが明日休めないこと。
一大事なのだが、今日休んだので明日はスケジュール上どうしても無理。なので、
急遽、実弟と叔母に明日同行してもらうことにする。もう親戚巻き込んでのてんやわんや状態。

とにかく明日、すべては明日。それまでは何も考えるまい。
今日は家族に甘えて、子供の顔を見ながら早めに寝てしまおう。
不安と恐怖と動揺と、そして明日への戦闘モードと、もう頭も心もぐちゃぐちゃ。
でも頑張って授乳しながら寝た。

つづく・・・。





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8年前乳がん発覚時のこと【1】・・・しこりの自覚と細胞診

2011-12-22 11:11:27 | 8年前乳がん発覚時のこと
私がブログを始めた今年2月は、すでに乳がん歴7年が経過していました。
しかも現在進行形で病状も治療も変化していたので、そのことを記事にするのが精一杯で、
初発時の事は病歴のところに簡単に書いただけなんです。

8年前(2003年)    12月11日、いつもの乳腺定期健診でがんの疑い、細胞診実施。
              12月18日、細胞診結果、事実上のがん告知。
             12月19日、紹介先の大学病院(現在通院中の病院)受診。
         翌年   1月 7日、左乳房全摘手術。

こんな流れで進んで行きました。
私はほとんど手遅れ状態の進行癌で見つかり、初発の告知 = 死刑宣告
な感じだったので、正直振り返ることが辛いです。でも一度きちんと記録しておきたかったので、
8年後の今日、再発しながらもこうして元気でいられることに感謝しつつ、この時のことを振りかえって
書くことにします。

8年前と言いつつ、私の乳がんの成り立ちを考えると、27年前の20歳の時に遡ることになります。

大学3年の夏、何気なく左乳房の下の方にしこりを見つけてしまった私。
もちろん当時すでに、しこり = 乳がんかも、という知識はありました。
なので、びっくりして怖くなって、母親と一緒に近所の大学病院に駆け込みました。
丁度ゼミの夏合宿の初日で、結果が出てから遅刻参加しました。
その時、おそらく生まれて初めて「死」の恐怖を感じたと思います。
20歳でがんだなんてあり得ない、もう生きた心地のしない数日でした。
マンモとエコーの検査の結果、3ヶ月の経過観察になり、確か半年後ぐらいに日帰り手術で
腫瘍のみを摘出して、良性という結果でした。

しかし、乳腺症になっているので毎年検査は受けるように、とのことでした。
それからほぼ毎年、マンモかエコーは受けていました。乳がんが発覚する39歳まで欠かさずです。
だから本来なら、手遅れの乳がんが見つかる、なんて事態はあり得なかったのです。

結論から言うと、がん見逃しがあっかどうかは今でもわかりません。当時の先生にもはや恨みも
ありません。ただただ、残念なだけです。

少し話を戻して、38歳で妊娠した私は、出産の3ヶ月前に大きなお腹を抱えて、一応毎年の乳房検診に行きました。
乳腺が張っているのでマンモはせずエコーのみ。結果は特に問題なし。これで安心して出産に臨める、と
思いました。そして予定日の2003年5月初旬に無事出産、授乳開始。
それはもう、すべてが初体験で想像すらできないことだらけで、大変でした。
まあその辺りのことを書きだすと違うブログになってしまうので。
一番大変だったのは、授乳開始から1ヶ月ほどで酷い乳腺炎になったこと。
おっぱいの中に大きな岩がはりついてしまったような。あり得ないぐらいの痛さとそして高熱も。
腫れと痛みがピークの時は、○ケタニのマッサージに連日通いました。

授乳と乳腺炎のコントロールがようやくできてきて、子供もおすわりが出来るようになり、
子育てをだんだん楽しいと感じ始めたころ、○ケタニのマッサージでもとりきれないしこりが
あることが時々気になりました。マッサージのおばさん(と言っても看護師と助産師の有資格者)に、
「ここの左側の下のところ、お乳の固まりがしこりになってとりにくくなっているから、
授乳終わったら一度乳腺科で診てもらってね。」と言われました。

このしこりの場所は、そう、20歳の時に良性のしこりがあった場所。しこりのみ取っていたのだが、
取ったあとが組織のひきつれのような、しこりのできそこないのような少し固い部分がずーっとあった。
今回しこりができたのはまさにその場所。しかもだんだん大きく硬くなってきたような気がする。
実は、左の脇の下にも、とれないぐりぐりのしこりもあるので言ってみたが、
マッサージの助産師は「副乳かなあ?」と。

今考えれば恐ろしいことです。マッサージでがんを成長促進させていたわけだし、
数ヶ月であっという間にリンパ節転移していたんですね。ちなみにそのころ子供は、
左のおっぱい飲むのを嫌がることが多かった・・・・。教えてくれていたんだね。

まさかとは思いつつ忙しさにかまけつつそれでも、産後7ヶ月の2003年12月10日に乳房の健診に行った。
前回の妊娠中の健診から10ヶ月。しこりが気になるから一応早めに行ったわけです。

ちなみに診察の医師は、20歳の良性腫瘍の時からずーっと診てもらっている。
いっしょに歳とっていった感じ。だからもちろん信頼している。
今回は、しこりのことを言って、すぐにエコー実施。
私はまさか悪い物ではないと思っていたので、あまり不安はなかった。

しかし検査技師の人が、私のしこりのエコー画面を見るなり、ギョとした表情になるのを横目で見てしまった。
医師が部屋に入ってきて「どう?わかった?お乳の固まりでしょ?」
技師は「・・・・・しゅ、しゅよう性のものが・・・、しかも炎症性の・・・・。」

私は意味がよくわからず、少し不安になった。間もなく診察室に呼ばれて、医師の表情を見て、
不穏な雰囲気を察知した。
医師「お乳の固まりではないような影像が見えたので、針で細胞取って調べてみましょう。」
私「・・・・・え?悪い物の可能性はあるんですか?あの・・・ここの脇の下にもぐりぐりがあるんです。」

すぐに再度脇をエコー検査した。
医師「脇のしこりもエコーで見たけど、うーん、フクザツだね。」
フクザツって?意味わからない。もうそれ以上聞けなかった。医師の表情見れば言いたいことがだいたいわかった。
いつも会社の事や雑談で終わる健診も、今日はまったく空気が違う。
不安MAX。だって、だって、脇が腫れているんだよ、リンパ節転移の知識ぐらいはあるよ。
もしがんなら、もう完全に手遅れじゃん、進行速すぎるよ、あり得ないよ。
もううなだれて帰ってくるしかなかった。結果は1週間後。どういう気持ちで過ごせばいいのか。

家に帰って、子供を見てくれていた実母に報告。夜には帰宅した主人に報告。
「もしかして私乳がんかもしれない・・・。」
最初はまさか~、という反応だったが、検査や医師の様子を話したら、これは本当かもしれない、
と感じたらしく、某大学病院にお世話になっている親戚筋など、手術する病院を探すべく家族で動き出した。
私は乳がんの事をネットで調べようともしたが、怖くて無理だった。もう手遅れで手術もできない的な事を
見つけようものなら立ち直れないと思ったから。1週間後の結果には、主人にも同席してもらうことにした。

そうは言っても、クリスマス近い1週間、ママ友の集まりや、家に旧友招くだの予定がいろいろ
入っていて、でも今の段階で誰にも何も言うことができないし、ドタキャンも申し訳ないので、
がんばってこなした。もちろん頭から離れることはなかったが、いっとき考えることからは逃避
できたので、家で悶々としているより良かったかもしれない。

そして1週間後、シロクロ付ける日が来た。嫌でも今日判る。恐ろしくもあり、待ちわびた日でもあった。
その時の私の気持ちは・・・医師の態度だとほぼクロの感じだが、検査の結果シロでした、良かったですね、
と言われることをひたすら心に描いていた、祈っていた・・・・。
その日2003年12月18日は、冷たい雨の降る日だった。

つづく・・・。

 *端折って書いてある部分も多いので、疑問質問等あれば遠慮なくコメント欄にいただければ幸いです。
  もちろん、突っ込みも大歓迎!



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今年最後の診察

2011-12-19 14:09:38 | 診察
昨日は○―イ○カウトの餅つきイベントで、お母さんたち10人程度で丸餅千数百個を作ったのだが、
日蔭はとても寒くて、後半は患側の左腕、肩、背中が痛くてダルくて辛かった。

無理せず休みを申し出ることもできたが、この性格が災いして、
「へい、病気だってこれぐらいのことできらあ。」的な気持ちで張り切り、やはり帰ってから撃沈。
きょうも背中のあたりがダルく、少し頭痛まで。これ(この性分)は、死ぬまで治らない?
でも、つきたて餅入りのお雑煮は、味噌味も醤油味も美味しかった!

年明けは、凧揚げ&おしるこのイベントがあり、これは係りなので、事前準備や調達もやらねば
ならない、さあ、どうする?でも、こういう楽しそうなイベント好きなんだよねえ。

先週木曜日は、年内最後の通院でした。

看護師助さんに、年末のご挨拶。

「どう?体調は・回復したの?やっぱり旅行の疲れだったんだね。」

「今年は本当にいろいろ助けて頂きましてありがとうございました。ほら、爪は今こんな感じ
 です。それと・・・。」

「あー、(院内携帯に出る)、ちょっと呼ばれちゃったから・・・。またね、良い年越しを。」

またも嵐のように去って行った。
今日も、助さんはたくさんの患者さんを助けるのですね!

主治医診察

検査もなかったので、触診と雑談など。

主治医 「年末はどこか出かけるんですか?」

私   「いやいや、さすがに・・・大人しくしています。先生はご予定は?」

主治医 「行けたらスキーに行こうかな、と。」

私   「スキーですか、いいですね。ちなみに私はスキーとか行ってもいいんですかね?」

主治医 「いいんじゃないですか。」

私   「い、行かないですよ、予定ないですから。無茶はもうしませんから。あはあは・・・。
     今年はいろいろお手間をおかけして・・・本当にありがとうございました。」

主治医 「まあ、前半はいろいろありましたが、後半は落ち着いてきて薬も効いてきて、よかったですよね。」

爪の件は、看護師・薬剤師・主治医にも見せたが、「一応皮膚科受診して。感染症など怖いから。」
とのこと。

翌日皮膚科に行ったが、

「この状態なら、剥がれかけた爪の下に新しい皮膚ができかけているし、感染もないでしょう。
爪をひっかけないように注意して、後は特に何もしないで爪が伸びてくるのを待つしかないです。」

意外と、専門医の方があっさりで拍子抜けのことも多い。
専門なだけに大丈夫なこともわかっているのだろう。

精神科診察

「体調はいいです。旅行疲れがなかなか取れなくて困りましたがそれも回復して、やっと日常が
 戻った感じです。」
「うん、良かった。ここに来た時(6月)とは随分違ってきた感じだよね。」
「おかげ様で、あの頃とは別人のようです。」(たった半年前なんだよね。)

治療が難しい段階に来た時の気持ちの持ち方、など少し話す。
結局は、本人がどう生きたいか、ということに尽きるだろうね。
 
薬もらって本日の診察終了。

さて、実は8年前の今日2003年12月19日は、今の大学病院に初めて行った日なのです。
前日の18日に事実上の乳がん告知を受けて、翌日に紹介状を持って向かったのでした。
初発時の顛末を・・・すごく辛い思い出(?)ですが、後日記事にしていきたいと考えています。

では、今日は天気も良く、リビングで日なたぼっこしながら雑用こなすことにします。
 

 


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死生観の共有・・・追悼記事

2011-12-16 23:00:53 | 日記
みなさんご存知のとおり、「オンナのサバイバル日記」の片野あかりさんが
お亡くなりになりました。

追悼のコメント欄を拝見しても、どれだけたくさんの人に読まれ、支持されていたかがわかります。

私も隠れファンで、時々コメントも入れていました。

3月に再発されてから、治療を何度も変更しながら、時に迷い時に落ち込み時に淡々と時にふっきれたように、
胸の内を、もちろん全部であろうはずはないのですが、明かしてくれていました。
私は何度も読み返し、自分のこととしていっしょに考えていました。
その発想の豊かさとユーモアは、私を何度も勇気づけてくれました。

あかりさん、薬が一度でも長く効いて、元気な時間をもっともっと過ごしていただきたかった。
抗がん剤が変わる度、私は今度こそは、とひたすら祈っていました。本当に残念で悔しい。

どうして癌はこんなにも残酷になれるのか。
早くなんでもいいから、どんな癌にでも効く薬ができて欲しい。
再発がん患者が、不安と恐怖と痛みや苦しさから解放される日が絶対来て欲しい。

あかりさんが、病状が悪化していく中で、自らの死生観を必死に模索していかれる姿が
私には非常に印象的でした。
私が今まで考えてループしていたことを、あかりさんもこうして考えて悩んでいる。
悩んでいたのは私だけではなかった、あかりさん、これからもいっしょに悩もうよ、
とずーっと思っていた。

私も、7年前の初発時に、あかりさんと同じくサイモントン療法をやったのです。
何とかして現状を脱したくて、何とかして気持ちを切り替えたくて。

あかりさんのことです。きっとまたユーモアセンスあふれる独特の記事を、私たちの心に
届けてくれることでしょう。

私はまだまだこれから死生観を固めていかないといけません。あかりさんの思いを
心にしまって、時々会話しながら考えていきたいです。

まずはゆっくりお休みくださいね。
ありがとうございます。





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爪の内側に黒っぽい点々が・・・。

2011-12-14 11:50:26 | 日記
みなさん、大掃除どうしてますか?あ、初っ端から憂鬱な言葉出してすいません。

はい、憂鬱です、この時期いつも。私は家事の中で一番キライなのが掃除。
でも部屋や水回りが汚れているのもキライなので、嫌々掃除します。

掃除好き = キレイ好き 
または
掃除嫌い = 汚れていても平気

大抵はどちらかのパターンにあてはまる場合が多い気がします。

大掃除は、やさしいダンナに頼めば?あー、そうでした。しかしながらやさしい(?)ダンナは
只今、資格試験に向けて勉強中の身なので頼めない。
仕方ない、自分でやるか。いや、やらなくていい理由が(大きな理由が)あった。

指の爪はがれだ。そうそう、あれから爪剥がれはどうなったのだ?
はい、10月中旬でパクリタキセルが終わり、爪も剥がれそうで剥がれないという微妙な状態で止まったまま。
結局1本も剥がれないまま、根元から新しい爪が伸びてきてそのまま再生しそうです。
でも全部の指が生え替わるまで何ヶ月かかることか。
それに、一番酷い右中指は爪の4/3が隙間開き状態なので、普段は指先用絆創膏を貼っている。

そのことでひとつ問題が・・・。
実は・・・あまり言いたくないのですが、事実なので・・・。

爪の内側に黒っぽい点々がいくつか・・・か、カビか?そうなのか?
絆創膏貼り過ぎで蒸れたからでしょうか。今は水仕事以外は何も貼っていません。
だから細かい作業がしにくいです。

おまけに爪剥がれの影響が出なかった右親指と人差し指を酷使しすぎたからか、指先のひび割れが酷くて、
常にかなり痛い、水もしみるほど。

ということで、右手の指が全滅状態。キーボードも指の腹で打っています。
こんな状態で、でも家事全般こなしています。
受験生ダンナには頼みにくいし、買ってきたお惣菜では子供がかわいそう、
ではなくて私が惣菜の味苦手なので。

カビ発見時、すぐに皮膚科に行くべきかとも思いましたが、試しにつまようじで爪の内側を
引っ掻いてみたら点々が少し取れたので、とりあえず様子見。明日の通院時に相談しよう。

まったく何が起こるかわからない、想定外の日々はまだまだ続くのか。
まあ、不便さは工夫で乗り切るとして、痛みや不快な症状がないだけ良しだ。
もし不快な症状が出たら、またまた大騒ぎして何としても取り除いてもらうつもり。
貴重な私の人生時間を快適な楽しい時間でなるべく満たしたいもの。

あれ、大掃除の件はどうなった。なるほど、快適な時間で満たすなら大掃除はやめようか、ハハハ。
いや、汚い空間で過ごすのも快適ではないのでバランスが必要だね。
そうだよ、アッピア、キミに必要なのはバランス感覚だよ、どこからか聞こえてきたような・・・。





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コメント (2)
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