波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

「息子の珍回答迷回答BEST3」~学校のテスト整理のついでに

2015-03-27 23:36:29 | 面白い出来事
☆アッピア夫です。桜も咲き始め、日ごとに暖かくなり、どんどん春めいて来ましたね。姪っ子が4月1日から大学生となるのも感慨深いですが、この1年間クラスで色々とトラブルのあった息子も無事に5年生が終わり、「平和な」春休みを迎えました。

春休みと言えば1年間の学校関係のテストやプリント類の整理・・・ですよね。アッピアが亡くなってから、この学校関係のプリント類の多さを実感することになりましたが、これらを整理する中で、「また1年成長したんだな・・・」ということも実感することになります。

どの位成長したのかは別として、テスト類を片づけながら日々の忙しい生活の中でじっくりと見ていなかった面白い「×回答」を見つけ、一人で楽しんでいます。・・・と言うことで、今回はその中で私が選んだ「息子の珍回答迷回答BEST3」を紹介したいと思います。

【第三位】・・・家庭科テスト ≪針の安全な使い方について≫

Q:針を使わない時には必ず(    )にさし、作業する時には(   )を相手に向けないようにする。
A:針を使わない時には必ず( 針さし )にさし、作業する時には(  )を相手に向けないようにする。

「針が、いつの間に包丁に変身したんだー!」

【第二位】・・・漢字テスト

Q:(ノウコウ)民族の生活
A:( 濃厚 )民族の生活

「濃厚なチーズを作っている民族なの? それとも濃い顔をした民族?」

【第一位】・・・理科 ≪ヒトのたんじょう≫

Q:「たいばん」から「へそのお」を通して、赤ちゃんが母親からもらっているものと、母親にわたしているものは何ですか?
A:母親からもらっているもの⇒( 養分 ) 母親へわたしているもの⇒( 幸せ )

「これには正直、感動しました・・・私なら花マルをあげたい!」

正解は( 不要なもの )ですが、×の下に先生が書き添えていた「そうなんだけどね」という言葉に何ともほのぼのとした気持ちになりました。
これから成長していくことによって、こういう珍回答や迷回答も少なくなっていくのかと思うと少し寂しさも感じる春休みです・・・

2015年3月27日 アッピア夫


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「料理って奥が深いわ・・・」~自炊デビューした息子のひと言

2015-03-20 23:45:07 | 息子の成長
☆アッピア夫です。今日は息子の学校の卒業式でした。今年は5年生として見送る側でしたが、来年は主役の最終学年。何とも感慨深いものです・・・

ところで、26日からの春休みを前に、今週の火曜日で給食はあえなく終了。毎回のことながら、給食がなくなるとお昼の用意・・・日によっては塾用の夜のお弁当と二つ分を用意しないといけないため、朝が忙しくなるのは当然のことながら、それぞれのメニューを考えたり、そのための食材も忘れずに買っておかないといけないなど、頭も忙しくなります。

去年の春休みは、まだアッピア亡き後の諸々の忙しさも続いていた中で、食事作りなどの疲れも出たのか、仕事でセミナー講師をやっている最中に気が遠くなってぶっ倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれる事態に・・・ブログでもコメントを頂いていましたし、多くの方から「数ヶ月経って少し落ち着いた頃にどっと疲れが出るから気をつけてね。」と言われていましたが、正にその通りとなりました。

火曜日の夜に、「明日のお昼は何を食べたい?」と訊いたところ、息子から「俺、自分で作ってみたい・・・作らせて!」との申し出あり。これまでは、火を使わせることに抵抗があり一人で料理はさせていなかったのですが、「お願いだからやらせて!」との強いダメ押しあり。結局、息子にとっては、生まれて初めて自炊に挑戦することとなりました。火の取り扱いだけはうるさい位に約束をさせ、まずは一緒に作った事があるチャーハンから始めることに・・・

結局、この3日間で息子が自分で作ったのが次のメニュー

<水曜日>チャーハン
<木曜日>肉野菜炒め
<今日>回鍋肉

当然のことながらいずれも無難な炒め料理・・・肉野菜炒めと回鍋肉は全く初めてながら、アッピアが結婚前に使っていた「お料理一年生」「お料理二年生」の本を見ながら、調味はそれさえ加えればOKなもので初挑戦。いずれも本人としては満足のいく出来だったようで、ご満悦・・・私としては、作ったものは食べてなくなっているので、当然その出来の確認しようがないのですが・・・

☆「どう難しかった?」
★「全然・・・俺、料理の楽しさを知ったよ!」
☆(・・・ってまだ3回だし・・・)「料理ってやってみると結構楽しいだろ!」
★「俺、春休みのお昼は全部自分で作るよ。」
☆(おお、そう来たか・・・)「じゃあ来週のメニューを一緒に考えようか?」

それから、しばらく「あれを作りたい」「それはちょっと無理だよ」などの話が続き・・・

★「いやあ、料理って奥が深いわ!」・・・のひと言
☆(・・・って、だからまだ3回だって・・・)

最後に息子の本音がチラリ・・・

★「料理が出来る男ってもてるんでしょ?」
☆(やっぱりそこだったか・・・)「その通り!今時料理出来ない男は結婚も出来ないからね。」
★「じゃあこれから色々な料理に挑戦してかっこいい男になる!」

まあ目的が何であれ、息子が料理作りの戦力になってくれれば言うことなし。これからお手伝いをさせるためのキーワードは「もてる男」に決定・・・頑張って男を磨いてくれ!

2015年3月20日 アッピア夫


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「自由と放任」「個人主義と無関心」~川崎の事件で考えさせられたこと

2015-03-14 01:48:41 | 悲しい出来事
☆アッピア夫です。地元の川崎で痛ましい殺害事件が起きましたが、自分自身も10代の子育ての真っただ中にあり、子育てと言う観点から色々と考えさせられました。

最近は、子育てだけではなく、職場、学校、地域、家庭など社会の様々な場所において、「自由」と「個人主義」が蔓延っていると感じますが、その反面、「過敏」「過干渉」なことも目にします。そう言う意味ではいびつに二極化していると言えるのでしょうか?

私が子供の頃は、多くの目で「監視」「干渉」されるのが当たり前の時代でした。生まれ育ったのが小さな田舎町ということもありますが、近所の人から郵便屋さん、新聞・牛乳配達の人(当時、牛乳は配達でした)、商店主、駅員さん、お巡りさんに至るまで、町の人は全員顔見知りと言う世界でしたので、何かあれば、正に池に石を投げた時の波紋のようにあっという間に広まります。

前回、学生の頃によく親が学校に呼び出されたことを書きましたが、決して不良だった訳ではなく、(少し)やんちゃだった程度なのですが、とにかく学校で何かしでかすとすぐに家に通報されました。呼び出されないまでも、学校から帰宅するのを、親が玄関で鬼の形相で待ち構えていることもしょっちゅうでした。

中学生となり彼女が出来始めた頃、こっそり一緒に下校したりなどすると、あっという間に話が駆け巡り、近所の情報通のおばちゃんなどからは「○○ちゃんもいい歳になったものねェ・・・」と意味深に言われ、帰宅すると「誰と帰って来たの?」と親からいきなり質問攻撃を受けるのが常でした。家にいても固定電話しかないので、女の子から電話でもかかって来ようものなら、親は耳が顔と同じ位の大きさになっていましたし、当然話の内容は筒抜け・・・町を歩けば人間監視カメラがうようよと言う状態でした。

昔はそう言う中で子供達が育ちましたので、今や絶滅危惧種になっている「ヤンキー」呼ばわりされた不良グループもいるにはいましたが、それ程大したものではなく、ちょっと格好つけてグレている風だけど、皆いいやつ・・・と言う感じでしたね。それが、今は至るところを監視カメラで監視しなければならず、見かけだけではごく普通の人と危険な人の区別もつかず、子育てを含めた家庭のあり方そのものが「自由」となり、社会全体が「個人主義」になりました。

「自由な子育て」と言うと聞こえが良く、「うちは子供の自由にさせています」「『自分で好きなように生きなさい』と言っています」・・・などと言うことが「理解のあるかっこいい親」と思われているように感じますが、本当にそうでしょうか?「自由」には「責任」が伴います。子供に自由を与える前に、まず或る程度の厳しさの中で責任感と自律心を育てるのが先ではないでしょうか?

最近の風潮として、「褒める子育て」が持て囃されていますが、「褒めるだけの子育て」と勘違いしてしまい、「叱る」ことをしない親が増えているということを耳にします。「叱られる」ことに耐性のない子供が大人になったらどうなるのか?ちょっと恐ろしさを感じます。

また、過干渉で、何でも先回りしてやってしまう親に育てられた子供は、転び方も知らず、親のいないところで突然転んだら手をつくことが分からずに顔面を強打するという笑えない話もあります。また、同じマンションに住む高校生位の女の子がいるのですが、その子は毎朝父親と一緒に家を出て、毎晩母親と一緒に帰宅します。この子の将来は一体どうなるのだろう?と本気で心配してしまいます。

まあそのような過干渉の問題はまた別としても、「自由」と言う名の「放任」と、「個人主義」と言う名の「無関心」により最悪の結果を招いたと言える今回の事件・・・家庭や地域のあまりにも希薄な人間関係と、幾多の兆候に気付いていたはずの誰一人として何の行動も起こさなかったという我関せずの世相・・・もっと地域で繋がりましょうよ。災害が起きてから地域の絆と言うのでは寂しすぎます。

2015年3月14日 アッピア夫


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「スクールウォーズ」~荒れる息子の5年2組

2015-03-06 23:45:07 | 息子の成長
☆アッピア夫です。校内暴力が吹き荒れた80年代には、それをテーマにした学園ドラマが流行りました。「3年B組金八先生」がその代表ですが、「スクールウォーズ」というドラマもありました。荒廃したある高校で、ラグビーの弱小チームが精神的に鍛えられて強くなって行くと言う物語・・・で、今回はそのドラマの話ではなく、トラブル続出で荒れている息子のクラスの話です。

息子のクラスは思春期や反抗期に突入している生徒が多いのか、同学年の中では一番トラブルの多いクラスとなり、昨年末頃より毎日のように喧嘩やトラブルが起きているということを息子から聞くようになりました。時には5年生の学年主任や他のクラスの先生、時には教頭先生までが入れ替わり立ち替わり関与し、毎日先生と生徒間で話し合いが持たれているようです。「よくもまあこれだけ毎日毎日トラブルが起こるもんだ・・・これじゃあ先生も大変だ・・・」と呆れつつ話を聞いていましたが、ある日家に帰ると、息子の顔に絆創膏が3つ・・・

☆「どうしたの?」
★「喧嘩を止めようとしたらいきなり顔を引っ掻かれた。」
☆「また?・・・」

息子は4年生の時にも、顔に絆創膏を4つも貼って学校から帰って来たことがあった。その時は、絆創膏の下には顔の肉にまで爪が深く喰い込んだ痛々しい傷跡が4つもくっきりと・・・喧嘩した相手に力いっぱい手でわしづかみにされたようでした。今回はその時ほど酷い怪我ではなかったものの、その夜に担任の先生から電話がありました。

T「顔に怪我をさせてしまい申し訳ありません。」
☆「いいえ、どうせ子供同志の喧嘩のことですので・・・」
T「息子さんから、最近の学校の様子を何か聞いていらっしゃいますか?」
☆「毎日のように喧嘩やトラブルが起きていることは聞いています。」
T「息子さん自身は、乱暴なことはしないのですが、友達から何かされると言い返す言葉がきつくて、喧嘩になることがあります。」

そうか・・・本人は「喧嘩を止めようとして」とは言っているものの、どうやら乱暴な相手に容赦ない言葉を浴びせ、それが原因で喧嘩の当事者の一人となっている様子。注意をしながらしばらく様子を見ていたものの、相変わらずの状態が続き、とうとう先生のことまで酷い言葉で批判し始めたため、昨夜はついに私も大噴火・・・

★「今日は、俺ともう一人が先生に呼ばれて話をした。」
☆「何で呼ばれたの?」
★「俺ともう一人が『先生チェンジ!』と叫んだから・・・」
☆「それは、『先生を替えろ』って言うことだよね?何でそんな酷いことを言った?」
★「先生が男子と女子を差別したりするから・・・」
☆「原因が何であれ、それは先生に対して言っていい言葉だと思うか?そうやって友達を挑発し、先生も挑発して、お前は何をいい気になってんだ!あと2週間もすればもう5年生も終わりだろ?そうやって毎日喧嘩や反抗しながら今のクラスを終わらせるのか?このまま行ったら、自分も先生も他の子も誰もいい気持ちで終えられないよ。皆の5年生の思い出が良くないものになったとしたら、お前のせいだぞ!」

昨夜は、久し振りに息子をこっぴどく叱ることとなった。月曜日に学年懇談会などがあり、クラスの終わりも近づいているため、ギリギリのところで何とかしないと・・・「明日先生に謝れ!月曜日に学年懇談会があるから、謝るなら明日しかない。お前にそれが出来ないなら、月曜日にお父さんが先生に頭を下げる。どうするかは自分で考えろ!」

今日、家に帰ると息子から「朝一番で先生に謝った」こと、先生から「謝ってくれて有難う!」と言われたことを聞いた。それをきっかけに息子と先生は色々な話をしたらしい。話の内容はあまり詳しくは聞かなかったが、何となくすっきりしたような息子の顔を見てひとまずはホッとした。

やれやれ・・・解ってはいるけれど、やはり思春期は面白いことばかりでは済まない。ついでに親や先生に相当迷惑をかけた自分の思春期の頃のことまで振り返ることになった・・・何度自分のせいで親が学校に呼びつけられたことか・・・「○○君が騒ぐと授業になりません」と親の前で先生にきつく言われたことは今でも忘れることが出来ない苦い思い出。そんな自分が今は息子に説教している・・・「やはり歴史は繰り返す」・・・まあそんな大袈裟な話でもないか?

2015年3月6日 アッピア夫


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